樣《さま》でとつつきの一軒に匍ひ込む。扶け入れられ、差出された水を一杯飮み終つた時、到頭來たな! といふ太い聲がした。驚いて眼を上げると、此の家の主人らしい・赭ら顏の・前齒の大きく飛出た男がじつ[#「じつ」に傍点]と此方を見詰めてゐる。一向に見憶えが無い。
「見憶えが無い? さうだらう。だが、此奴なら憶えてゐるだらうな。」
男は、部屋の隅に蹲まつてゐた一人の女を招いた。其の女の顏を薄暗い灯の下で見た時、公は思はず※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の死骸を取り落し、殆ど倒れようとした。被衣を以て頭を隱した其の女こそは、紛れもなく、公の寵姫の髢《かもじ》のために髮を奪はれた己氏《きし》の妻であつた。
「許せ」と嗄れた聲で公は言つた。「許せ。」
公は顫へる手で身に佩びた美玉をとり外して、己氏の前に差出した。
「これをやるから、どうか、見逃して呉れ。」
己氏は蕃刀の鞘を拂つて近附きながら、ニヤリと笑つた。
「お前を殺せば、璧《たま》が何處かへ消えるとでもいふのかね?」
これが衞侯|※[#「萠+りっとう」、第3水準1−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]《くわい
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