−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]《かいがい》などという名前は昔からてんで[#「てんで」に傍点]聞いたこともなかったような顔をして楽しげに働いている。
明け暮れ黄河の水ばかり見て過した十年余りの中に、気まぐれで我が儘だった白面の貴公子が、何時《いつ》か、刻薄で、ひねくれた中年の苦労人に成上っていた。
荒涼たる生活の中で、唯《ただ》一つの慰めは、息子の公子疾であった。現在の衛侯|輒《ちょう》とは異腹の弟だが、※[#「萠+りっとう」、第3水準1−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]が戚の地に入ると直ぐに、母親と共に父の許に赴き、其処で一緒に暮らすようになったのである。志を得たならば必ず此の子を太子にと、※[#「萠+りっとう」、第3水準1−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]《かいがい》は固く決めていた。息子の外にもう一つ、彼は一種の棄鉢《すてばち》な情熱の吐け口を闘※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]戯に見出していた。射倖心《しゃこうしん》や嗜虐性の満足を求める以外に、逞しい雄※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の姿
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