に傍点]と此方を見詰めている。一向に見憶えが無い。
「見憶えが無い? そうだろう。だが、此奴なら憶えているだろうな。」
男は、部屋の隅に蹲《うずく》まっていた一人の女を招いた。其の女の顔を薄暗い灯の下で見た時、公は思わず※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の死骸を取り落し、殆ど倒れようとした。被衣を以て頭を隠した其の女こそは、紛れもなく、公の寵姫の髢《かもじ》のために髪を奪われた己氏《きし》の妻であった。
「許せ」と嗄れた声で公は言った。「許せ。」
公は顫える手で身に佩《お》びた美玉をとり外して、己氏の前に差出した。
「これをやるから、どうか、見逃して呉れ。」
己氏は蕃刀の鞘《さや》を払って近附きながら、ニヤリと笑った。
「お前を殺せば、璧《たま》が何処かへ消えるとでもいうのかね?」
これが衛侯|※[#「萠+りっとう」、第3水準1−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]《かいがい》の最期であった。
底本:「中島敦全集 2」ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年3月24日初版発行
1999(平成11)年10月15日第5刷発行
初出:「政
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