河馬
中島敦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)開《ひら》ける
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)河馬の顏|郷愁《ノスタルジア》も
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)青※[#「火+稻のつくり」、第4水準2−79−88]《せいえん》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)パシヤ/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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河馬の歌
うす紅くおほに開《ひら》ける河馬の口にキャベツ落ち込み行方知らずも
ぽつかりと水に浮きゐる河馬の顏|郷愁《ノスタルヂア》も知らぬげに見ゆ
この河馬にも機嫌・不機嫌ありといへばをかしけれどもなにか笑へず
赤黒きタンクの如く並びゐる河馬の牝《めす》牡《をす》われは知らずも
水の上に耳と目とのみ覗きゐていぢらしと見つその小さきを
× ×
わが前に巨《おほ》き河馬の尻むくつけく泰然として動かざりけり
無禮《なめ》げにも我が眼《め》の前にひろごれる河馬の臀《ゐしき》のあなむくむくし
臀《ゐさらひ》のたゞ中にして三角の尻尾かはゆし油揚のごと
これやこのナイルの河のならはしか我に尻向け河馬は糞《まり》する
事終り小さき尻尾がパシヤ/\と尻を叩きぬ動きこまかに
丘のごと盛《もり》上る尻をかつ/″\も支へて立てる足の短かさ
三角の尻尾の先端《さき》ゆ濁る水のまだ滴《したゝ》りて河馬は動かず
狸
春晝《しゆんちう》の靜けきまゝに暫《しまら》くは狸の面《つら》の澁きを嘉《よみ》す
藁《わら》の上《へ》に驚き顏の狸はもショペンハウエルに似たりけらずや
瞞《(だま)》すなど誰《たれ》がいひけむ瞞されて身を嘆きなむ狸の面《つら》ぞ
黒豹
ぬばたまの黒豹の毛もつや/\と春陽《はるび》しみみに照りてゐにけり
思ひかね徘徊《たもとほ》るらむぬば玉の黒豹いまだ独り身《み》ならし
マント狒《ひゝ》
[#ここから3字下げ]
マント狒は身長三尺余、毛は長くして白色。純白のマントをまとへ
るが如し。但し面部と臀部のみ鮮かなる紅色(桃色に近し)を呈す。
[#ここで字下げ終わり]
銀白の毛はゆたかなれどマント狒《ひゝ》尻の赤禿包むすべなし
マント狒の尻の赤さに乙女子は見ぬふり[#「ふり」に傍点]をして去《い》ににけるかも
白熊
仰《あふ》向けに手足ひろげて白熊の浮かぶを見ればのどかなりけり
白熊の白きを見ればアムンゼン往《ゆ》きて還《かへ》らぬむかし思ほゆ
眠り獅子の歌
何時《いつ》見ても眠るよりほかにすべもなきライオンの身を憐れみにけり
埒《らち》もなき状《ざま》にあらずや百獸の王の日向に眠れる見れば
うと/\と眠れる獅子の足裏《あなうら》に觸れて見たしとふと思ひけり
海越えてエチオピアより來しといふこのライオンも眠りたりけり
うつゝなき夫《せ》の鼻先に尻を向けこれも眠れり牝《めす》のライオン
汝《な》が國の皇帝《みかど》もすでに蒙塵《もうぢん》と知らでやもは[#「もは」に「(專)」の注記]ら獅子眠りゐる
仔獅子
獅子の仔も犬の仔のごと母親にふざけかゝるところがされけり
肉も未《ま》だ締らぬ仔獅子首かしげ相手ほしげに我が顏を見る
親獅子は眠りたりけり春の陽《ひ》に屈託げなる仔獅子の顏や
駱駝《(らくだ)》
生きものの負はでかなはぬ苦惱《くるしみ》の象徴かもよ駱駝の瘤は
やさし目の駱駝は口に泡ためて首差しのべぬ柵の上より
孔雀の歌
よく見れば孔雀の眼《まなこ》切れ上り猛鳥《まうてう》の相《さう》あり/\と見ゆ
印度《(インド)》なる葉廣《はびろ》菩提樹の蔭にしてひろげ誇らむこの孔雀《とり》の羽尾《はね》
いと憎き矜恃《ほこり》なりけり孔雀はも餌を拾ふにも尾をいたはりつ
六宮《リクキウ》の粉黛《ふんたい》も色を失はむ孔雀一たび羽尾《はね》ひろげなば
縞馬
縞馬の縞鮮かにラグビイのユニフォームなど思ほゆるかも
ペリカンの歌
ペリカンは水の浅處《あさど》に凝然と置物のごと立ちてゐるかも
浴《ゆあみ》して櫛梳《くしけづ》りけむペリカンの濡れたる翼《はね》の桃色細毛《ももいろほそげ》
舶來の石鹸の香《か》も匂ひなむうす桃色のペリカンの羽毛《はね》
ペリカンの圓《つぶ》ら赤目を我見るにつひに動かず義眼《いれめ》の如し
長嘴《ながはし》の下の[#「下の」に「黄なる」の注記]弛《たる》みも凋《しぼ》みたりふくらむものと我は待ちしに
禿鷲
プロメトイス苛《さいな》みにけむ禿鷲も今日は寒げに肩を張りゐる
アンデスの巖根《いはね》嶮《こゞ》しき山の秀《ほ》の鋭どき目かもコンドルの目は
ジャングルに生ふる羊齒草《しだくさ》えびかづら[#「えびかづら」に傍点]間なくし豹はたちもとほるを
短か手《で》を布留《ふる》の神杉《かんすぎ》カンガルー春きたれりと人招くがに
春の陽に汝《な》が短か手を千早ぶるカンガルーは耳を掻かんとするか
去年《こぞ》見しと同じき隅《すみ》に石亀は向ふむきたり埃《(ほこり)》を浴びて
山椒魚
山椒魚は山椒魚らしき顏をして水につかりゐるたゞ何となく
鶴
あさりする丹頂の前にしまらくは目守《まも》りたりけり心|清《すが》しく
水浅く端然と立つ鶴痩せて口紅《くちべに》ほどのとさか[#「とさか」に傍点]の紅《あか》や
火喰鳥
火くひ鳥火のみか石も木も砂も泥も食はんず面《つら》構へかも
ホロホロ鳥
ホロホロとホロホロ鳥が鳴くといふ霜降色の胸ふくらせて
駝鳥
障碍《ハードル》も容易《やす》く越ゆべし汝が脚の逞しくして長きを見れば
何處《(どこ)》やらの骨董《(こっとう)》店《てん》の店《みせ》さきで見たることあり此奴《こやつ》の顏を
何《なに》故の長き首ぞも中ほどをギユウと掴めばギヤアと鳴くらむ
大蛇
うね/\とくねりからめる錦蛇|一匹《ひとつ》にかあらむ二匹《ふたつ》にかあらむ
大青|蜥蜴《とかげ》
口あけば大青蜥蜴舌ほそく閃《せん》々として青※[#「火+稻のつくり」、第4水準2−79−88]《せいえん》奔《はし》る
再び 山椒魚について
山椒魚は山椒魚としかなしみをもてるが如しよくよく見れば
麒麟《(きりん)》の歌
黒と黄の縞のネクタイ鮮やけき洒落者《みやびをとこ》と見しは僻目《ひがめ》か
春の夜のシャンゼリゼェをマダム連れムッシュ・ヂラフがそゞろ歩むも
社交界の噂なるらむ麒麟氏が妻をかへりみ何かいふらしき
山高《ダービイ》も持たせまほしき男ぶり麒麟しづ/\と歩みたりけり
泥濘《ぬかるみ》を避《よ》けて道行く禮裝の紳士とやいはむ麒麟の歩み
隙もなき伊達男《ダンデイ》ぶりやワイシャツの汚れもさぞや気にかかりなむ
ハイエナ(鬣狗)
死にし子の死亡屆を書かせける代書屋に似たりハイエナの顏は
カンガルウ
力無きばつた[#「ばつた」に傍点]の如《ごと》も春の陽《ひ》に跳び跳びてをりカンガルー二つ
柵内《さくうち》の砂《すな》乾きゐて春風《しゆんぷう》にカンガルー跳《と》ぶ跳躍《とび》のさぶしも
熊
立上り禮《ゐや》する熊が月の輪の白きを賞《め》でて芋を與へし
熊立てば咽喉の月の輪白たへの蝶ネクタイとわが見つるかも
象の歌
年老いし灰色の象の前に立ちてものうきまゝに寂しくなりぬ
象の足に太き鎖見つ春の日に心重きはわれのみならず
心はれぬ様《さま》に煎餅を拾ひゐる象はジャングルを忘れかねつや
× ×
子供一人菓子も投げねば長き鼻をダラリブラリと象|徘徊《たもと》ほる
花曇る四月の晝を象の鼻ブラリ/\と搖れてゐたりけり
徘徊《たもと》ほる象の細目《ほそめ》の賢《さか》し眼《め》に諦觀《あきらめ》の色ものうげに見ゆ
この象は老いてあるらし腹よごれ鼻も節立《ふしだ》ち牙は切られたり
象の顎に白く見ゆる毛|剛《こは》げにて口には涎《よだれ》湛《たゝ》へたるらし
鰐魚《わに》の歌
さきつ年アフリカゆ來し鰐怒り餌《ゑ》を食はずして死ににけりとぞ
故《ゆゑ》もなく處移されて知らぬ人の與ふる食を拒みけむかも
飢ゑ死《し》にし鰐の怒りを我思ふわれの憤《いか》りに似ずとはいはじ
蝙蝠《(こうもり)》
小笠原の大蝙蝠は終日《ひねもす》を簑蟲のごとぶら下りたり
晝を寢《ぬ》る倒《さか》さ蝙蝠よく見れば狡《ずる》げなる目をあいてゐにけり
手の骨の細く不気味《けうと》き蝙蝠はひねこび顏に何をたくらむ
穴熊
うつし世をはかなむかあはれ穴熊は檻《をり》の奧|處《ど》にべそをかきゐる
穴熊の鼻の黒きに中學の文法の師を思ひいでつも
穴熊の鼻の黒きが気になりぬ家に歸りて未《いま》だ忘れず
雉
春の陽を豊かに浴びてさ野《ぬ》つ鳥|雉子《きぎし》は專《もは》ら砂浴びてゐる
家つ鳥|鷄《かけ》の匂を思ひけり野つ鳥|雉《きじ》の小舍の前にして
梟《(ふくろう)》
何處《いづこ》にか汝《な》が古頭巾忘れ來し物足らぬ気《げ》ぞ汝《なれ》の頭の
大きなるおどけ眼《まなこ》も陽《ひ》の中に見えぬと思《も》へば哀れなりけり
猪
藁屑と泥にまみれてぼやきつゝ猪《ゐのしゝ》の口うごめきあさる
カメレオン
日に八度《やたび》色を変ふとふ熱帶の機會主義者《オッポチュニスト》(青き魔術師)カメレオンぞこれ
蠅來ればさと繰出《くりいだ》すカメレオンの舌の肉色瞬間に見つ
長く圓き肉色の舌ひらめくやカメレオンの口はた[#「はた」に傍点]と閉ぢけり
カメレオンが木に縋《(すが)》りゐる細き尾のくる/\と卷く卷きのおもしろ
カメレオンの胴の薄さや肋骨も翠《みどり》なす腹に浮きいでて見ゆ
鵜《(う)》の歌
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豆州稻取海岸にて
[#ここで字下げ終わり]
山直ちに海に崩れ入る岩の上に飛沫浴びつゝ鵜は立ちてゐる
我が投げし石はとどかず崖下の氷雨《ひさめ》しぶかふ荒磯の鵜に
たちまちに海黒み來ぬ巖《いは》の上の鵜の聲風に吹消されつゝ
雨まじり吹く風強み岩の鵜は翼《つばさ》收めてこらへてをるも
鸚鵡《(おうむ)》の歌
まどろみゐてふと眼をあけし赤羅《あから》鸚鵡我を見いでて意外気《おもはずげ》なり
緋衣《ひごろも》の大嘴《おほはし》鸚鵡我を見てまた懶《もの》うげに眼をとぢにけり
娼婦《たはれめ》の衣裳《きぬ》を纒へる哲学者鸚鵡眼をとぢもの思ひをる
いにしへの達磨大師に似たりけり緋衣曳きてものを思へば
眼をとぢて日にぬくもれる緋鸚鵡の頬の毛|脱《ぬ》けていた/\しげなり
緋に燃ゆる胸毛に嘴《くち》を挿入れて鸚鵡うつ/\眠りてゐるも
麻の實をついばむ鸚鵡かたへなる我を無視してひた食《は》みに食《は》む
嘴《はし》と嘴|疾《と》く動きつゝまつ[#「つ」に「ツ」の注記]黒の鸚鵡の舌はまるまりて見ゆ
麻の實の殼を猛烈に彈《はじ》き飛ばす赤羅裳《あからも》鸚鵡ひたむきなるを
年老いし大赤鸚鵡|翼《はね》さきの瑠璃色なるが伊達者めきたり
小蝦《(こえび)》の歌
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――土肥海岸所見――
[#ここで字下げ終わり]
潮ひきし岩のくぼみの水溜り許多《ここだ》小蝦の影ひそみゐる
飴色に陽《ひ》に透きとほる小蝦らの何か驚きにはかに乱る
幾多《ここだく》の小蝦隱れし砂煙やがて靜まり水澄みにけり
砂煙の砂の一粒一粒が音なく沈み蝦隱れけり
黒鯛の歌
[#ここから3字下げ]
――土肥釣堀にて――
[#ここで字下げ終わり]
巖陰《いはかげ》はさ青に透り黒鯛の尾鰭白々と妖《あや》しく翻《かへ》る
洞窟に光は入らず黒き水の湧くが如くに黒鯛|群《む》るる
仔山羊の歌
[#ここから3字下げ]
熱《あた》川の浜に一匹の仔山羊あり
海に向ひてしきりに啼く
その
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