般を自分の身體のあるべき場所に想像して見たゞけであつて、頗る抽象的な想像の仕方だつた。しかし此の時は、何といふか、直接に、私といふ個人を形成してゐる・私の胃、私の腸、私の肺(いはゞ、個性をもつた其等の器關)を、はつきりと其の色、潤ひ、觸感を以て、その働いてゐる姿のまゝに考へて見た。(灰色のぶよ/\と弛んだ袋や、醜い管や、グロテスクなポンプなど。)それも今迄になく、かなり長い間――殆ど半日――續けた。すると、私といふ人間の肉體を組立ててゐる各部分に注意が行き亙るにつれ、次第に、私といふ人間の所在が判らなくなつて來た。俺は一體何處にある? 之は何も、私が大腦の生理に詳しくないから、又、自意識に就いての考察を知らないから、こんな幼稚な疑問が出て來た譯ではなからう。もつと遙かに肉體的な(全身的な)疑惑なのだ。
 その日以來こんな想像に耽るやうになり、それが癖になつて、何かに紛れてゐる時のほかは、自分の體内の器關共の存在を生々しく意識するやうになつて來た。どうも不健康な習慣だと思ふが、どうにもならない。一體、醫者は斯ういふ經驗を有《も》つだらうか? 彼等は自分達の肉體に就いても、患者等のそれと同樣に考へてゐるだけであつて、自分の個性の形成に與《あづか》る所の自分の胃、自分の肺を、何時も自分の皮膚の下に意識してゐる譯ではないのではなからうか。

 身體を二つに切斷されると、直ぐに、切られた各※[#二の字点、1−2−22]の部分が互ひに鬪爭を始める蟲があるさうだが、自分もそんな蟲になつたやうな氣がする。といふよりも、未だ切られない中から、身體中が幾つもに分れて爭ひを始めるのだ。外に向つて行く對象が無い時には、我と自らを噛み、さいなむより、仕方がないのだ。
 私が何事かに就いて豫想をする時には、何時も最惡の場合を考へる。それには、實際の結果が豫想より良かつた時にホツとして卑小な嬉しさを感じようといふ、極めて小心な策略もあるにはあるやうだ。私が人を訪ねようとすると、私は先づ彼が留守である場合を考へ、留守でも落膽しないやうにと自分に言ひきかせる。それから、在宅であつても、何か取込中だとか他に來客がある場合のこと、又、彼が何かの理由で(假令、どんなに考へられない理由にしろ)自分に對して好い顏を見せないであらう場合、その他色々な思はしくない場合を想定して、さういふ場合の方が好都合な場合よりもより多くあり得ることに思ひ込み、さうして、さういふ場合でも決して落膽せぬやうに自分を納得させてから、出掛けるのである。
 何事に就いても之と同樣で、竟《つひ》には、失望しないために、初めから希望を有《も》つまいと決心するやうになつた。落膽しないために初めから慾望をもたず、成功しないであらうとの豫見から、てんで努力をしようとせず、辱しめを受けたり氣まづい思ひをし度くないために人中へ出まいとし、自分が頼まれた場合の困惑を誇大して類推しては、自分から他人にものを依頼することが全然できなくなつて了つた。外へ向つて展かれた器關を凡て閉ぢ、まるで掘上げられた冬の球根類のやうにならうとした。それに觸れると、どのやうな外からの愛情も、途端に冷たい氷滴となつて凍りつくやうな・石とならうと私は思つた。

[#ここから2字下げ]
我はもや石とならむず 石となりて つめたき海を沈み行かばや
氷雨降り狐火燃えむ 冬の夜に われ石となる黒き小石に
眼《め》瞑《と》づれば 氷の上を風が吹く われ石となりて轉《まろ》びて行くを
腐れたる魚のまなこは 光なし 石となる日を待ちて吾がゐる
たまきはる いのち寂しく見つめけり つめたき星の上に獨りゐて
[#ここで字下げ終わり]

今迄和歌を作つたことのない私が、こんな妙なものを書散らしては、自ら球根のうた[#「うた」に傍点]と哂ふのである。

 金魚鉢の中の金魚。自分の位置を知り、自己及び自己の世界の下らなさ・狹さを知悉してゐる絶望的な金魚。
 絶望しながらも、自己及び狹い自己の世界を愛せずにはゐられない金魚。

 幼い頃、私は、世界は自分を除く外みんな狐が化けてゐるのではないかと疑つたことがある。父も母も含めて、世界凡てが自分を欺すために出來てゐるのではないかと。そして何時かは何かの途端に此の魔術の解かれる瞬間が來るのではないかと。
 今でもさう考へられないことはない。それを常にさうは考へさせないものが、つまり常識とか慣習とかいふものだらう。が、其等も私のやうな世間から引込んでゐる者には、もはや、さう強い力をもつてゐない。照明の變化と共に舞臺の感じがまるで一變するやうに、世界は、ほんのスヰッチの一ひねりで、さういふ幸福な(?)世界ともなり得るし、又同じ一ひねりで、荒冷たる救ひのないものともなる。私にとつて其のスヰッチが往々にして、呼吸困難の有無であり、鹽酸コカインやヂウレチンのきゝめ加減、天候の晴雨、昔の友人からの來信の有無等である。

 大きな――時に不可解な――ものの中に(組織、慣習、秩序)晏如と身を置いてゐる氣易さ。
 さういふものから、すつかり離れてゐる自由な人間の苦しさ。
 さういふ自由人は、自己の中で人類發展の歴史をもう一度繰返して見なければならぬ。普通人は慣習に無反省に從ふ。特殊な自由人は、慣習を點檢して見て、それが成立するに至つた必然性を實感しない限り、それに從はうとしない。いはゞ、彼は、人間が其の慣習を形作るに至つた何百年かの過程を、一應自己の中に心理的に經驗して見ないことには氣が濟まないのである。
 私自身の性情も、傾向としては、それに似たものを有《も》つてゐるやうだ。さういふ特殊の人達に往々見られる優れた獨創的な思考力だけは缺いて。

 友人の一人が「遠交近攻の策」と評した一つの傾向。一生懸命になつて巴里の地圖をこしらへたりして頭の中では未知の巴里の地理に一かど精通してゐるくせに、もう二年も住んでゐる此の港町の著名な競馬場へも、ひとりでは行けない。博物の教師のくせに博物のことはろく[#「ろく」に傍点]に知らず、古い語學を噛つて見たり、哲學に近いものを漁《あさ》つて見たりする。それでゐて、何一つ本當には自分のものにしてゐないだらしなさ。全くの所、私のもの[#「もの」に傍点]の見方といつたつて、どれだけ自分のほんもの[#「ほんもの」に傍点]があらうか。いそっぷ[#「いそっぷ」に傍点]の話に出て來るお洒落鴉。レヲパルディの羽を少し。ショペンハウエルの羽を少し。ルクレティウスの羽を少し。莊子や列子の羽を少し。モンテエニュの羽を少し。何といふ醜怪な鳥だ。

(考へて見れば、元々世界に對して甘い考へ方をしてゐた人間でなければ、厭世觀を抱くわけもないし、自惚や[#「自惚や」に傍点]か、自己を甘やかしてゐる人間でなければ、さう何時も「自己への省察」「自己苛責」を繰返す譯がない。だから、俺みたいに常にこの惡癖に耽るものは、大甘々《おほあまあま》の自惚や[#「自惚や」に傍点]の見本なのだらう。實際それに違ひない。全く、私[#「私」に白丸傍点]、私[#「私」に白丸傍点]、と、どれだけ私[#「私」に白丸傍点]が、えらいんだ。そんなに、しよつちゆう私[#「私」に白丸傍点]のことを考へてるなんて。)

          四

 今日も勤めのない日。火、水、木、と三日、休みが續くのである。昨夜は稍※[#二の字点、1−2−22]眠れた。發作への懸念(殆ど恐怖といつてもいゝ)も先づ無くなる。持藥の麻杏甘石湯《まきやうかんせきたう》の分量を少し増す位で濟みさうである。鈍い頭痛は依然去らない。午前中|嘔氣《はきけ》少々。
 カメレオンは一昨日から蠅を十二三匹しか喰べてゐない。止り木から下りて、綿の上に蹲《うづくま》つてゐる。寒いのであらう。之では長くもつまいと思ふ。いよ/\仕方がなければ動物園へ持つて行くことにしよう。後肢のつけねの所に小さい黒褐色の傷痕がついてゐる。學校で床へ落ちた時に傷めたのだらうか。背中のギザ/\はハンド・バッグの口に使ふチャックに似てゐる。

 今日も午前中ずつと小爬蟲類を前に、ぼんやり頬杖をついてゐた。少し眠い。前の晩に全然眠れなかつた日より、なまじ一・二時間眠れた次の日の方が眠いのである。うとうとしかけてハツと氣がついた瞬間、目の前のカメレオンの顏が、ルヰ・ジュウベエ扮する所の中世の生臭坊主に見えた。カメレオンと簑蟲《みのむし》との對話といふレヲパルディ風のものを書いて見度くなる。簑蟲の形而上學的疑惑、カメレオンの享樂家的逆説。……等々……。但し勿論本當に書きはしない。書くといふことは、どうも苦手だ。字を一つ一つ綴つてゐる時間のまどろつこしさ[#「まどろつこしさ」に傍点]。その間に、今浮かんだ思ひつきの大部分は消えてしまひ、頭を掠めた中の最もくだらない[#「くだらない」に傍点]殘滓《かす》が紙の上に殘るだけなのだ。

 午後、不圖頁をくつた或る本の中に、自分の精神のあり方[#「あり方」に傍点]を此の上なく適切に説明してくれる表現を見つけた。
[#ここから1字下げ]
――人間の分際といふものの不承認。そこから來る無氣力。拗ねた理想の郷愁。氣を惡くした自尊心。無限を垣間見《かいまみ》、夢みて、それと比較するために、自分をも事物をも本氣にしない……。自己の無力の感じ。周圍の事情を打破る力も、強ひる力も、按排する力も無く、事情が自分の欲するやうになつてゐない時には、手を出すまいとする。自分で一つの目的を定め、希望をもち、鬪つて行くといふ事は、不可能な・途方もない事のやうに思はれる。――
[#ここで字下げ終わり]
 私は本を閉ぢた。之は恐ろしい本だ。何と明確に私を説明して呉れることか!

 何とかしなければならぬ。これではどうにも仕樣がない。このまゝでは、生きながらの立消《たちぎえ》だ。次第に俺は、俺といふ個人性を稀薄にして行つて、しまひには、俺といふ個人がなくなつて、人間一般に歸して了ひさうだぞ。冗談ぢやない。もつと我執をもて! 我慾を! 排他的《エクスクルーシヴリイ》に一つの事に迷ひ込むことが唯一の救ひだ。アミエルの乾物《ひもの》になるな。自分で自分のあり方[#「あり方」に傍点]を客觀的に見ようなどといふ・自然に悖《もと》つた不遜な眞似は止めろ。無反省に、づう/\しく(それが自然への恭順だ)粗野な常識を尚び、盲目的な生命の意志にだけ從へ。

 夕方、吉田が訪ねて來る。大變激昂した樣子である。以前から彼との間にいざこざの絶えなかつた體操の教師が、今日「一寸顏を貸して呉れ」と、吉田を雨天體操場の控室に呼び込んで、亂暴な言葉で彼をなじり、脅迫的な態度に出たといふ。憤慨した吉田が直ぐに校長の所へ話を持つて行つた所、校長も勿論體操教師の亂暴を非難しはしたが、それでも、暗に、喧嘩兩成敗といつた考へを仄めかしたとかで、彼は非常に不滿なのだ。「辭《や》めてもえゝのんや」と繰返していふ。たしか、以前《まへ》にも二三囘、彼は斯うした事から「辭《や》める」と騷ぎ出し、職員全部にそれをふれて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つたが、結局辭めなかつた。あとになるとケロリとしてゐる。たゞもうカツとなると、皆の所へ行つて騷ぎ立て、繰返し/\愚痴を聞かせ、自己の正當と相手の不當とを認めて貰はなければ氣が濟まないのである。しかし、彼はいくら腹を立てた時でも、決して自分の損になること(毆り合ひをしたり、思ひ切つて辭職したり)はしない。今日とて、唯、私のアパアトが學校の近くにある爲に、歸りに立寄つて、それ程親しくもない私ではあるが、それでも一人でも多くの者に自分の正當さを認めて貰はうとしたゞけなのだ。辭める心配は絶對に無い。餘り騷ぐと後《あと》で引込がつかなくなり、てれ臭い[#「てれ臭い」に傍点]思ひをせねばなるまい、との心配も彼にはない。てれる[#「てれる」に傍点]などといふ事を彼は知らないからである。たゞ、どんな場合にでも、目に見えた損だけはしないやうに振舞つてゐるのは、彼の身についた本能なのであらう。
 一通りの憤慨がすむと、まづ氣が濟んだといふ態
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