ない時の状態みたいになつて、とかく他人《ひと》との間に摩擦を起すやうだ。
 一時間ばかり彼の話を聞いてから、餘り愉快ではない氣持になつて、蠅の詰まつたマッチ箱を持つて歸る。

 夜、外へ出て何氣なく東の空を仰いだ時、私は思はず「アヽ」と聲を出した。裸になつた榎の大樹の枝々を透して、春以來、半年ぶりでオリオンの昇つて來るのを見付けたからである。青い小さな蜜柑が出始めると、三つ星さまが見え出すんだよ、と幼い頃祖母によく言はれたことが記憶に甦つた。オリオンの上には馭者座《カペラ》だの、紅いアルデバランだの、玻璃器に凍りついた水滴のやうなすばる[#「すばる」に傍点]だのが、はつきりと姿を見せてゐる。恆星達ばかりではない。南の空に高く、左から順にほゞ同じ位の間隔をおいて竝んでゐるのは、土星《ザトウルン》と木星《ユウピテル》と火星《マルス》とであらう。殊に木星の白い輝きの明るさは、燦々と、まことに四邊《あたり》を拂ふばかりである。
 かなり冷えるけれども、風の無い靜かな晩であつた。三つの惑星を見上げながら、私は、「|詩と眞實《デイヒトゥング・ウント・ワアルハイト》」の冒頭を思ひ出してゐた。其處には、この詩人が誕生した日の・瑞象に充ちた星座の配置が、自己の偉大さへの自信に溢れた筆つきで記されてゐる。高等學校の理科三年の時、第二外國語の教科書として此の書物が使はれ、この冒頭の所の譯讀が私にあたつたので、はつきり覺えてゐるのである。急に、教科書に使つた其の本の緑色の表紙、それを金色で拔いた標題の文字、それを始めて手にした時の印刷インクの匂など、又、獨乙語の教師の風貌や、その聲つき、それから當時の級友達のこと迄が鮮かに頭に浮かんで來た。
 青春への郷愁に胸を灼かれるやうな思ひをしながら、私は部屋に歸つて來た。本棚や本箱をひつくり返して、まだ殘つてゐる筈の・昔使つた「|詩と眞實《デイヒトゥング・ウント・ワアルハイト》」を探して見たが、見付からなかつた。取散らかされた書物の間で、暫くは、若さへの愛惜と、友情への飢渇とに、ぢつとしてはゐられないやうな・遣瀬ないとでもいふより言ひやうのない氣持であつた。
 二三日前にもこんなことがあつた。或る文字を引かうとして英和辭典をバラ/\と繰《く》りながら、偶然開かれたページの Opera といふ文字に目がとまつた時、私は、瞬間ハツと何か明るい華やかな若々しいものが前を過ぎたやうな氣がした。田舍の暗い田圃道から、土手の上を通つて行く明るい夜汽車の窓々を見送る時に似て、今迄すつかり忘れてゐた華やかな夢の一片が、遠い世界からやつて來てチラリと前を通り過ぎて行つたやうな氣がした。私がまだ學生の頃、當時は映畫館でなかつた帝劇に、毎年三月頃になると、ロシヤとイタリイから歌劇團が來演した。カルメンやリゴレットやラ・ボエームやボリス・ゴドノフなど、私は金錢《かね》の許す限り其等を見に行つた。明るい照明の中で、女優達の豐かな肩や白い腕に生毛が光り、金髮が搖れ、頬が紅潮し、肉感的な若々しい聲が快く顫へて、私を醉はせた。偶然目にした Opera といふ、たつた五字が、失はれた・遠い・華やかな世界のかぐはしい空氣をちら[#「ちら」に傍点]と匂はせ、しばし私を混亂させた。所要の文字を探すことも忘れて、私は Opera といふ字を見詰めたまゝ、ぼんやりしてゐた。

 囘顧的になるのは身體が衰弱してゐるからだらうと人はいふ。自分もさうは思ふ。しかし何といつても、現在身を打込める仕事を(或ひは、生活を)有《も》つてゐないことが一番大きな原因に違ひない。
 實際、近頃の自分の生き方の、みじめさ、情なさ。うぢ/\と、内攻し、くすぶり、我と我が身を噛み、いぢけ果て、それで猶、うすつぺらな犬儒主義《シニシズム》だけは殘してゐる。こんな筈ではなかつたのだが、一體、どうして、又、何時頃から、こんな風になつて了つたのだらう? 兎に角、氣が付いた時には、既にこんなヘンなものになつて了つてゐたのだ。いゝ、惡い、ではない。強ひて云へば困るのである。ともかくも、自分は周圍の健康な人々と同じでない。勿論、矜恃を以ていふのではない。その反對だ。不安と焦躁とを以ていふのである。ものの感じ方、心の向ひ方が、どうも違ふ。みんなは現實の中に生きてゐる。俺はさうぢやない。かへる[#「かへる」に傍点]の卵のやうに寒天の中にくるまつてゐる。現實と自分との間を、寒天質の視力を屈折させるものが隔ててゐる。直接そとのものに觸れ感じることが出來ない。はじめはそれを知的裝飾と考へて、困りながらも自惚れてゐたことがある。しかし、どうもさうではないらしい。もつと根本的な・先天的な・或る能力の缺如によるものらしい。それも一つの能力でなく、幾つかの能力の缺如である。例へば、個人を個人たらしめる・最も普遍的な意味に於ての・功利主義が私には缺けてゐるやうだ。又、もの[#「もの」に傍点]を一つの系列――或る目的へと向つて排列された一つの順序――として理解する能力が私には無い。一つ一つをそれ/″\獨立したものとして取上げて了ふ。一日なら一日を、將來の或る計畫のための一日として考へることが出來ない。それ自身の獨立した價値をもつた一日でなければ承知できないのだ。それから又、ものごと(自分自身をも含めて)の内側に直接はひつて行くことが出來ず、先づ外《そと》から、それに對して位置測定を試みる。全體に於ける其の位置、大きなものと對比した其の價値等を測つて見るだけで失望して了ひ、直接そのものの中にはひつて行けないのだ。sub specie aeternitatis に見る、といつたつて、別に哲人がる譯ではない。それ所か最も平凡な無常觀を以て見る――つまり、何事をも、(身の程知らずにも)永遠と對比して考へるために、先づその無意味さを感じて了ふのである。實際的な對處法を講ずる前に、そのことの究極の無意味さを考へて(本當は感ずるのだ。理窟ではなく、アヽツマラナイナアといふ腹の底からの感じ)一切の努力を抛棄して了ふのだ。
 考へて見れば、大體、今迄の生き方が、まあ何といふ無意味な生き方だつたか。精神の統一集注を妨げることにばかり費された半生といつてもいい。とにかく私は自分を眠らせ、自分の持つてゐるものを打消すことにばかり力を盡くして來たやうなものだ。
 曾て自分にも多少は感覺の良さがあつた時分には、私はそれにのみ奔ることを惧れて、自分の欲しもしない・無味な概念のかたまりを考へることによつて感覺を鈍くしようと力めた。さうして、結局凡ての概念が灰色[#「灰色」に傍点]だと知つた時、又、自分が苦心の結果取除くことに成功したところのものが、如何に黄金なす緑色[#「黄金なす緑色」に傍点]をなしてゐたかを悟つた時には、すでにそれを取返す術《すべ》を失つてゐるのだ。私が曾て、かなり確かな記憶力を有《も》つてゐた頃、私は之を輕蔑した。記憶力しか有《も》つてゐない人間は、足《た》し算しか出來ない人間と同じだと云ひ、自分のこの力を撲滅しようとした。之は隨分無理なことだつた。で、少くとも、之を利用することだけは避けるやうにした。さて、人間生活の多くの貴い部分が、最も基礎的な意味に於て精神の此の能力に負うてゐることを、身を以て悟るやうになつた今となつては、はや(種々な藥品の過度の吸入や服用その他によつて)自分にそれが失はれてゐるのだ。
 今でもさうだが、以前から私は、夜、床に就いてから容易に睡れない。之は主に、この十年間一晩として服用しないでは濟まない喘息の鎭靜劑のせゐ[#「せゐ」に傍点]なのだが、結局睡眠の時間は二時間か三時間位のもので、却つて、晝間は一日中ボウツとしてゐる。床に就いてから眼が冴えてくるのに、私はそれでも無理に眠らなければいけないと考へて、恐らく私の一日中で一番頭のはつきりしてゐるに違ひない數時間を、眠らうとする消極的な下《くだ》らぬ努力のために費して了ふ。本當はさういふ時こそ、色々な思想の萌芽といつてもいゝやうなものが、どん/\湧いて來るやうな氣がするのだ。しかし、そんなものに就いて思考を集注し出したら一晩中興奮のために眠れないぞ、さうすると又、明日は發作だぞ、と、私は躍氣になつて、さうした斷片的な思惟の芽を揉み消して行く。全く私はどれ程の多くの思索の種子を寢床の闇の中でむざ/\と躪《にじ》り潰して了つたことか。勿論、私は思想家でも科學者でもないから、私のひよい/\と浮かんで來る思ひつきや斷片的な考へが皆優れたものだつたらうなどといふのではない。けれども初めは極く詰まらないものであつても、後の發展によつては、案外面白いものとなり得ることがあるのは、物質界でも精神界でも屡※[#二の字点、1−2−22]見られるのだ。闇の中で私に慘殺された無數の思ひつき(それらは、高く風に飛ぶ無數の蒲公英の種子のやうに、闇の中に舞ひ散つて、再び歸つて來ない)の中には、さうした類のものだつて多少は交じつてゐたらうと考へるのは、自惚に過ぎるだらうか?
 さて、數年の間斯うして、私の精神が溌剌として來ようとする時には、それを眠らせようと力め、それが眠く朦朧としてゐる時にのみ、それを働かせようとした。いや、精神をば全然働かせまいと力めたのだ。(何の爲に? 身體の爲に。それで身體はよくなつたか? どうして、どうして。少しもよくなんかなりはしない。)私はこの馬鹿げた企てに成功した。本當の睡眠も本當の覺醒も私からは失はれた。私の精神はもはや再び働く力を失ひ、完全に眠り・淀み・腐つた。精神の罐詰、腐つた罐詰、木乃伊、化石。
 之以上完全な輝かしい成功があらうか。

          三

 昨夜就寢する頃から少し胸苦しかつたが、夜半果して例の發作に襲はれて、起上る。アドレナリン一本をうち、朝迄床上に坐つてゐる。呼吸困難は稍※[#二の字点、1−2−22]をさまつたが、頭痛甚だし。朝になつて未だ不安なので、エフェドリン八錠服用。朝食は攝らず。息苦しきため横臥する能はず。終日椅子に掛け机に凭り、カメレオンの籠を前に、頬杖をついて眺める。
 カメレオンも元氣なし。鳥の止り木にとまり、小さな眼孔からぢつと[#「ぢつと」に傍点]こちらを見てゐる。動かず。瞑想者の風あり。尾の捲き方が面白い。木をつかんでゐるゆび[#「ゆび」に傍点]は、前三本、後二本。體色は餘り變化しないやうだ。全く異つた環境に連れ込まれたために、之に應ずる色素の準備がないのか?
 眺めてゐるうちに、ものが段々と、sub specie chameleonis に見えて來さうだ。人間としては常識として通つてゐることが、一つ一つ不可思議な疑はしいことに思はれて來る。頭痛は依然止まず。おほむね鈍痛だが、時にヅキヅキと劇しくなる。

 頭痛の合間にきれ/″\にうかぶ斷想。
 俺といふものは、俺が考へてゐる程、俺ではない。俺の代りに習慣や環境やが行動してゐるのだ。之に、遺傳とか、人類といふ生物の一般的習性とかいふことを考へると、俺といふ特殊なものはなくなつて了ひさうだ。之は云ふ迄もないことなのだが、しかし普通沒我的に行動する場合、こんな事を意識してゐる者は無い。所が私のやうに、全力を傾注する仕事を有《も》たない人間には、この事が何時も意識されて仕方がない。しまひには何が何やら解らなくなつて來る。

 俺といふものは、俺を組立てゝゐる物質的な要素(諸道具立)と、それをあやつるあるもの[#「あるもの」に傍点]とで出來上つてゐる器械人形のやうに考へられて仕方がない。この間、欠伸をしかけて、ふと、この動作も、俺のあやつり[#「あやつり」に傍点]手の操作のやうに感じ、ギヨツとして伸ばしかけた手を下《おろ》した。
 一月《ひとつき》程前、自分の體内の諸器關の一つ一つに就いて、(身體模型圖や動物解剖の時のことなどを思ひ浮かべながら)その所在のあたりを押して見ては、其の大きさ、形、色、濕り工合、柔かさ、などを、目をつぶつて想像して見た。以前だつて斯ういふ經驗が無いわけではなかつたが、それは併し、いはゞ、内臟一般、胃一般、腸一
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