の心に時々浮かんでくる想像――一生の終りに臨んで必ず感じるであらう・自分の一生の時の短かさ果敢なさの感じ(本當に肉體的な、その感覺)を直接《ぢか》に想像して見る癖が、私にはある――が、又ふつと心を掠めた。一年前が現在とまるで區別できないやうに思はれる今の感じが、死ぬ時のそれに似たものではないかと思はれたからである。坂道を駈降る人のやうに、停れば倒れるので止むを得ず走り續けて行く、さういふのが人間の生涯だ、と云つたのは誰の言葉だつたらう。
少し隔たつた處に極く小さい十字架が立つてゐて、前に鉢植のヂェラニウムが鉢ごと埋《い》けられてゐる。十字架の下の、書物を開いた恰好の白い石に、TAKE THY REST と刻まれ、生後五ヶ月といふ幼兒の名が記されてゐる。南傾斜の暖かさでヂェラニウムはまだ鮮かな紅い花を着けてゐる。
斯ういふ綺麗な墓場へ來ると却つて死といふものの暗さは考へにくい。墓碑、碑銘、花束、祈祷、哀歌など、死の形式的な半面だけが、美しく哀しい舞臺の上のことのやうに、浮かび上つてくるのである。
エウリピデスの作品の中の一節。ヒポリュトスの繼母のファイドラが不倫の愛情に苦しんで臥せ
前へ
次へ
全44ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング