たり、幼稚な動機に大層な理由附を施してみたり、さういふ事を覺えたに過ぎないのではないか。誰も褒めて呉れないといつてべそ[#「べそ」に傍点]をかいたり、友達に無意味な意地惡をして見たり、狡猾《ずる》をしようとしてつかまつたり、みんな子供の言葉に飜譯できる事ばかりだ。だからK君の愛すべき自己宣傳なども、却つて正直でいいのだと思ふ。
 歸途、山手の丘を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて見る。
 まだ十時頃。極く薄い霧がずうつと立罩めて、太陽は空に懸つてゐるのだが、見詰めても左程眩しくない。磨《すり》硝子めく明るい霧の底に、四方の風景が白つぽく淀んでゐる。昨夕から引續いて、風は少しも無い。四邊の白さの底に何か暖いほんのりしたものさへ感じられる。
 ポケットが重いので手をやつて見ると本がはひつてゐる。出して見るとルクレティウスである。今朝着て來た上着《うはぎ》は久しく使はなかつた奴だから、この本も何時ポケットに入れて持ち歩いたものやら記憶がない。
 基督教會《クライスト・チャアチ》の蔦が葉を大方落し、蔓だけが靜脈のやうに壁の面に浮いて見える。コスモスが二輪、柵に沿つてちゞれながら咲殘
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