かり話してから歸つて行つた此の若い母親と色白の男の赤ん坊とは、老孃達の上に通り魔のやうな不思議な作用《はたらき》を殘して行つた。午後を通じて、ずつと、獨身の女教師達の落着きの無さは、兎角かうした事の氣のつかない私のやうな者にも明らかに看取された。人間の心理的動搖が氣壓に何かの影響を及ぼすものだとしたら、午後の職員室の此のモヤ/\したものは、確かに晴雨計の上に大きな變化を與へてゐるに違ひないと思はれた。老孃達は數年前から同じ職員室の同じ机の前に腰掛け、同じ教室で同じ事柄を生徒に説き聞かせてゐる。來年も更來年も、恐らくは又その次の年も、神々の屬性の一つである「絶對の不變性」を以て之を繰返すであらう。そのうちに彼女達の中に在つた、ほんの僅かの貴いものも次第に石化して行き、つひには、男とも女とも付かない――男の惡い所と女の惡い所とを兼ね備へた怪物、しかも自分では、男の良い所と女の良い所とを兩つながら有《も》つてゐると自惚れてゐる怪物に成上つて了ふ。
今日職員室を訪れた若い母親――先の音樂の教師は、去年私がこの學校へ來てから一月《ひとつき》程して職を辭したのである。其の頃の先生としての彼女と、
前へ
次へ
全44ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング