、主人が上京するのについて來たついでに寄つたのだといふ。さて、それからの此の遠來の客に對する彼女達の――殊に未婚の老孃達の擧動、表情、つまり外觀に迄現れる彼女等の心理的動搖は、まことに興味深きものであつた。「赤と黒」の作者の筆を以てしても、恐らくは猶その描寫に困難を覺えようと思はれた。羨望、嫉視、自己の前途への不安、酸つぱい葡萄式の哀しい矜恃、要するに之等の凡てを一緒にした漠然たる胸騷ぎ。彼女等は口々に赤ん坊(全く、色が白く、可愛く肥《ふと》つてゐた)の可愛らしさを讚めながら、男性《をとこ》には想像も出來ない貪婪な眼付を以て、幸福さうな若い母を、一年前とはすつかり變つて了つた髮かたちを、見違へる程派手になつた其の服裝を、(學校に勤めてゐた時は洋服だつたのに、今日は和服である)――さうして、其等凡てから讀み取らるべき生活の祕密をむさぼるやうに探らうとする。赤ん坊を抱き取つて、あやしながら其の顏に見入る眼差《まなざし》に至つては、子供一般に對して婦人の有《も》つ愛情とは全く別な激しさを以て爛々と燃え、複製を通じて原畫を想像しようとする畫家の眼と雖も、到底この熱烈さには及ぶまい。
三十分ば
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