たといふ・その事だけで、既に、心中の大變な擾亂・動搖を免れない。暴力への恐怖は動物的本能だとか、暴力の實際の無意義さとか、暴力行使者への輕蔑とか、そんな議論は此の際三文の値打もなく、私の身體は顫へ、私の心は只もう譯もなくベソをかいて了ふのである。暴力の侵害(腕力ばかりでなく、思ひがけない野卑な惡意、誤解なども之に入れていい)に打克つだけの力を備へてゐるのは結構に違ひないが、相手に對抗し得る腕力・權力を有《も》たないでゐて、(或ひは有《も》つてゐても、それを用ひずに)唯精神的な力だけで悠揚と立派に對處し得る人があれば、尊敬しても宜いと思ふ。それはどんな方法によるか、私には想像もつかない。色々な有名な人物を考へて見ても、その社會的な背景を剥ぎ去つて暴力の前に曝した場合に立派に對處できさうな人は中々思ひ當らないやうだ。

          五

 カメレオンは愈※[#二の字点、1−2−22]弱つて來たやうで、後肢のつけ根の所の傷も、氣のせゐか昨日より擴がつたやうに思はれる。胴が鮒などよりも薄い位で、細い肋骨の列が外から見え、時々咽喉の邊をふくらませるのも何か寒さうで痛々しい。矢張動物園へ持
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