々トシテ我獨リ昏《クラ》キガ如ク、俗人察々トシテ我獨リ悶々タリ。……」學務部長に隨喜の涙を流す吉田の姿が、急に、皮肉でも反語でもなく、誠に此の上無く羨ましいものに思はれて來た。
夜、床に就いてから、先刻の吉田の、脅迫云々の言葉を思ひ出し、向ふつ氣は頗る強いが腕力の無い吉田が、其の時どんな態度をとつたか、と考へて見たら、をかしくなつて來た。自分だつたらどうするだらうと、考へて見た。
まことに意氣地の無い話だが、私は、暴力――腕力に對して、まるで對處すべき途を知らぬ。勿論、それに屈服して相手の要求を容れるなどといふ事は意地からでもしないけれども、たとへば、毆られたやうな場合、どんな態度に出ればいいのだらう。此方に腕力が無いから毆り返す譯には行かぬ。口で先方の非を鳴らす? さういふ時の自分の置かれた位置の慘めさ、その女のやうな哀れな饒舌が厭なのである。その位なら、いつそ超然と相手を默殺した方がまし[#「まし」に傍点]だ。併し其の場合にも猶、負惜しみ的な弱者の強がりが、(傍人に見えるのは差支へないとして)自分に意識されて立派とは思へない。といふよりも、私は、他人との間に暴力的な關係に陷つ
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