で、今度は、昨日、或る先輩から紹介されて、縣の學務部長に會ひに行つた話を始めた。學務部長が非常に款待してくれて、又遊びに來給へ、と肩を叩かんばかりにして呉れたこと、だから、これからも時々伺はうと思つてゐること、この學務部長さん(彼はさん[#「さん」に傍点]をつけ、このやうな高官に衷心からの尊敬を抱かないやうな人間の存在は、想像することも出來ない樣子である)は從×位、勳×等で、まだ若いからもつと大いに出世されるであらうこと、この人の夫人の父君が内閣の某高官であることなど、恐懼に堪へないやうな語り口で話した。全く、先刻《さつき》の悲憤をまるで忘れて了つたやうな幸福げな面持である。
吉田が歸つてから、幸福といふことを一寸考へて見る。躍氣となつて騷ぎ立て他人に自分の立場を諒解して貰ふことが、彼にとつての幸福であり、役人と近づきになることが彼の最大の愉悦なのだ。それを嗤ふ資格は私には無い。嗤つたとしても、それでは、私にどんな幸福があるといふのだ。「衆人熙々トシテ大牢ヲ享クルガ如ク、春、臺ニ登ルガ如シ。我獨リ怕兮トシテ、嬰兒ノ未ダ咳《ワラ》ハザルガ如ク、儡《ツカ》レテ歸スル所ナキガ如シ。俗人昭
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