ゝのんや」と繰返していふ。たしか、以前《まへ》にも二三囘、彼は斯うした事から「辭《や》める」と騷ぎ出し、職員全部にそれをふれて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つたが、結局辭めなかつた。あとになるとケロリとしてゐる。たゞもうカツとなると、皆の所へ行つて騷ぎ立て、繰返し/\愚痴を聞かせ、自己の正當と相手の不當とを認めて貰はなければ氣が濟まないのである。しかし、彼はいくら腹を立てた時でも、決して自分の損になること(毆り合ひをしたり、思ひ切つて辭職したり)はしない。今日とて、唯、私のアパアトが學校の近くにある爲に、歸りに立寄つて、それ程親しくもない私ではあるが、それでも一人でも多くの者に自分の正當さを認めて貰はうとしたゞけなのだ。辭める心配は絶對に無い。餘り騷ぐと後《あと》で引込がつかなくなり、てれ臭い[#「てれ臭い」に傍点]思ひをせねばなるまい、との心配も彼にはない。てれる[#「てれる」に傍点]などといふ事を彼は知らないからである。たゞ、どんな場合にでも、目に見えた損だけはしないやうに振舞つてゐるのは、彼の身についた本能なのであらう。
 一通りの憤慨がすむと、まづ氣が濟んだといふ態
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