る。簑蟲の形而上學的疑惑、カメレオンの享樂家的逆説。……等々……。但し勿論本當に書きはしない。書くといふことは、どうも苦手だ。字を一つ一つ綴つてゐる時間のまどろつこしさ[#「まどろつこしさ」に傍点]。その間に、今浮かんだ思ひつきの大部分は消えてしまひ、頭を掠めた中の最もくだらない[#「くだらない」に傍点]殘滓《かす》が紙の上に殘るだけなのだ。
午後、不圖頁をくつた或る本の中に、自分の精神のあり方[#「あり方」に傍点]を此の上なく適切に説明してくれる表現を見つけた。
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――人間の分際といふものの不承認。そこから來る無氣力。拗ねた理想の郷愁。氣を惡くした自尊心。無限を垣間見《かいまみ》、夢みて、それと比較するために、自分をも事物をも本氣にしない……。自己の無力の感じ。周圍の事情を打破る力も、強ひる力も、按排する力も無く、事情が自分の欲するやうになつてゐない時には、手を出すまいとする。自分で一つの目的を定め、希望をもち、鬪つて行くといふ事は、不可能な・途方もない事のやうに思はれる。――
[#ここで字下げ終わり]
私は本を閉ぢた。之は恐ろしい本だ。何と明確に私を説明
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