、古い語學を噛つて見たり、哲學に近いものを漁《あさ》つて見たりする。それでゐて、何一つ本當には自分のものにしてゐないだらしなさ。全くの所、私のもの[#「もの」に傍点]の見方といつたつて、どれだけ自分のほんもの[#「ほんもの」に傍点]があらうか。いそっぷ[#「いそっぷ」に傍点]の話に出て來るお洒落鴉。レヲパルディの羽を少し。ショペンハウエルの羽を少し。ルクレティウスの羽を少し。莊子や列子の羽を少し。モンテエニュの羽を少し。何といふ醜怪な鳥だ。

(考へて見れば、元々世界に對して甘い考へ方をしてゐた人間でなければ、厭世觀を抱くわけもないし、自惚や[#「自惚や」に傍点]か、自己を甘やかしてゐる人間でなければ、さう何時も「自己への省察」「自己苛責」を繰返す譯がない。だから、俺みたいに常にこの惡癖に耽るものは、大甘々《おほあまあま》の自惚や[#「自惚や」に傍点]の見本なのだらう。實際それに違ひない。全く、私[#「私」に白丸傍点]、私[#「私」に白丸傍点]、と、どれだけ私[#「私」に白丸傍点]が、えらいんだ。そんなに、しよつちゆう私[#「私」に白丸傍点]のことを考へてるなんて。)

       
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