、鹽酸コカインやヂウレチンのきゝめ加減、天候の晴雨、昔の友人からの來信の有無等である。
大きな――時に不可解な――ものの中に(組織、慣習、秩序)晏如と身を置いてゐる氣易さ。
さういふものから、すつかり離れてゐる自由な人間の苦しさ。
さういふ自由人は、自己の中で人類發展の歴史をもう一度繰返して見なければならぬ。普通人は慣習に無反省に從ふ。特殊な自由人は、慣習を點檢して見て、それが成立するに至つた必然性を實感しない限り、それに從はうとしない。いはゞ、彼は、人間が其の慣習を形作るに至つた何百年かの過程を、一應自己の中に心理的に經驗して見ないことには氣が濟まないのである。
私自身の性情も、傾向としては、それに似たものを有《も》つてゐるやうだ。さういふ特殊の人達に往々見られる優れた獨創的な思考力だけは缺いて。
友人の一人が「遠交近攻の策」と評した一つの傾向。一生懸命になつて巴里の地圖をこしらへたりして頭の中では未知の巴里の地理に一かど精通してゐるくせに、もう二年も住んでゐる此の港町の著名な競馬場へも、ひとりでは行けない。博物の教師のくせに博物のことはろく[#「ろく」に傍点]に知らず
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