寒中滞岳記
(十月一日より十二月廿一日に至る八十二日間)
野中到

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)玄冬《げんとう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)八|月《つき》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]
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 玄冬《げんとう》の候、富士山巓《ふじさんてん》の光景は、果して如何《いか》なるものなるべきや。吾人《ごじん》の想像以上なるべきか、これを探※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]して以《もっ》て世に紹介せんことは、強《あなが》ち無益の挙にあらざるべし、よって予はここに寒中の登岳《とうがく》を勧誘せんと欲するに臨《のぞ》み、先《ま》ず予が先年寒中滞岳中の状況を叙述して、いささか参考に供する所あらんとす、既に人の知る如く、富士山巓は木《き》の葉《は》一枚だになき、極めて磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]《こうかく》なる土地なれば、越年八|月《つき》間《かん》の準備は、すこぶる多端《たたん》なりし、しかも平地に於ける準備と異なり、音信不通《いんしんふつう》の場所なれば、もし必要品の一だも欠くることあらんか、到底《とうてい》これを需《もと》むるに道なし、故に事物によりては直《ただ》ちに生命に関するものあり、しかも滞在半年余の長日月《ちょうじつげつ》を要する胸算《きょうさん》なりしがゆえに、すこぶる注意周到なる準備を為《な》すにあらざれば、能《よ》く堪《た》え得《う》べきに非《あら》ず、予は冬籠《ふゆごも》り後《ご》の困難はむしろ苦とは思わざりしが、諸準備の経費の遣《や》り繰《く》りには、かなり頭を痛めたり、加うるに観測所の構造、材料運搬の方法、採暖《さいだん》の装置、食料もしくは被服《ひふく》の撰択等、多くは相談相手となるべき、経験者なき事柄のみなれば、大抵自ら考慮を回《めぐ》らさざるべからず、殊《こと》に測器の装置、荷物の搬上する道筋の撰択等自ら踏査を要するが如き、古《いにし》えより二度登るものは馬鹿とさえ言伝えられたるにもかかわらず、十数回の昇降をなし、また山頂は快晴なるも五、六合辺にて風雨に遮《さえぎ》られ、建築材料延着のため、山頂に滞在せる大工《だいく》石工《せきこう》人夫《にんぷ》ら二十余名が手を空《むな》しくして徒食せるにもかかわらず、予約の賃金は払わざるべからず、しかもその風雨は何時《いつ》晴るべき見極《みきわ》めも付かず、あるいは日光のために、眩暈《めまい》と激烈なる頭痛とに悩まされて、石工らの倒るるあり、また程《ほど》なく落成せんと楽《たのし》める前日に、暴風雨の襲来に遇《あ》い、数十日の日子《にっし》と労力とを費して搬《はこ》び上《あ》げたる木材を噴火坑内に吹き飛ばされ、剰《あまつ》さえ人夫らの中《うち》に、寒気と風雨とに恐れ、ために物議を生じて、四面|朦朧《もうろう》咫尺《しせき》を弁《べん》ぜざるに乗じて、何時《いつ》の間《ま》にか下山せしものありたるため、翌日落成すべき建築もなお竣工《しゅんこう》を告《つ》ぐる能《あた》わざる等《とう》、故障続出して、心痛常に絶ゆることなかりし、かかる有様《ありさま》なれば残余の人夫に対しては、あるいは呵責《かせき》し、あるいは慰撫《いぶ》し、随《したがっ》て勢い賃金を増すにあらざれば、同盟罷工《どうめいひこう》を為《な》し兼《か》ねまじき有様《ありさま》に至りたるが如《ごと》き、かかる場合に於て、予も幾分《いくぶん》か頭痛を感ずることあるも、何ともなきを仮粧《かそう》したり、また土用中なるにもかかわらず寒気|凜冽《りんれつ》にして、歯の根も合わぬほどなるも、風雨の中を縦横奔走して、指揮監督し、或《あ》る時は自ら鍬《くわ》を揮《ふる》い、または自ら衣《い》を剥《ぬい》で人夫に与え、力《つと》めて平気の顔色《がんしょく》を粧い居《い》たりしも、予も均《ひと》しく人間なれば、その実|甚《はなは》だ難義なりしなり、特に最終の登山前は、気象台との打合せ、または東京より廻送すべき荷物(東京に於て特に注意して搗《つ》かしめたる白米または家財等)さては祖父の墓参を為《な》すなど、およそ一週日ばかりは、殆んど昼夜忙殺の有様なりし、さていよいよ最後の荷物を負いたる十数名の剛力《ごうりき》、及び有志者と共に、強風を冒《おか》して登るや、その夜《よ》九時観測所に着し、まもなく夜半十二時、即ち十月一日より隔時観測を始めたり、折節《おりふし》天候不穏の兆《ちょう》ありしを以て、翌日剛力ら一同を下山せしめしため、予はいよいよ俊寛も宜《よろ》しくという境遇となり、全く孤独の身となれり、これより先《さ》き小厠《こづかい》を一|人《にん》使用するの必要は無論感ずる所なりしといえども、強《しい》てこれを伴《ともな》わんとすれば、非常に高き賃金を要し、また偶《たまた》ま自ら進んで、越年を倶《とも》にせんことを言い出《い》でたる者なきに非《あら》ずといえども、これらは平素単に強壮と称するのみにして、衛生上何の心懸《こころが》けもなく、終日原野に出《い》でて労働に慣れし身を以て、俄《にわ》かに山巓《さんてん》の観測所に閉居するに至らば、あるいは予よりも先《さ》きに倒るることなきを保《ほ》せず、殊《こと》に幾分測器の取扱《とりあつかい》位は、心得あるを要するがゆえに、遂《つい》にこれを伴わざるに決したり。
 然《しか》るに荷物の整理いまだその緒《ちょ》に就《つ》かざるを以て、観測所の傍《かたわ》らの狭屋《きょうおく》に立場もなきほど散乱したる荷物を解き、整理を急ぐといえども、炊事《すいじ》を為《な》す暇だになければ、気象学会より寄贈せられたる鑵詰を噬《かじ》りて飢《うえ》を凌《しの》ぎ、また寒気次第に凜冽《りんれつ》を加うるといえども、器具散乱して寝具を伸ぶべき余地なく、かつ隔時観測を為しつつあるを以て、睡眠の隙《すき》を得ず、加うるに意外の寸隙《すんげき》より凜冽なる寒気と吹雪との侵入|烈《はげ》しきを以て、これを防ぐに忙《せ》わしく到底睡眠せんと欲するも能《よ》くすべからず、予は時なお十月初めなれば、かくまでにあるべしとは想《おも》わざりしに、実に意想外の事のみなれば、この前途|如何《いか》にあるべきかといささか心痛せしが、ここぞ勇を奮うべき時ぞと奮発し、幸い近所合壁はなし、ただ一人故障をいう者もなければ、それより昼夜の嫌《きら》いなく、鼻歌など謡《うた》いつつ、夜を日に継ぎて、ガチガチコツコツと、あるいは棚を釣り、薪《まき》を割り、殆《ほと》んど十二、三日間、征衣《せいい》のまま昼夜|草鞋《わらじ》を解かず、またその間にはしばしば降雪に遇《あ》い、ために風力計|凝結《ぎょうけつ》して廻転を止《とど》むるや、真夜中に斫《き》るが如き寒冽なる強風を侵《おか》して暗黒《あんこく》裡《り》に屋後《おくご》の氷山に攀《よ》じ登り、鉄槌《かなづち》を以て器械に附着したる氷雪を打毀《うちこ》わす等、その他千種|万態《ばんたい》なる困難辛苦を以て造化の試験を受けてやや整頓の緒《ちょ》に就かんとせし所に、図《はか》らずも妻《さい》登山し来《きた》りたり、それより飲料に供すべき氷雪の収拾、室内の掃除、防寒具の調製、その他|炊事《すいじ》一切《いっさい》の事を同人に一任し、予は専《もっぱ》ら観測に従事し、やや骨を休むることを得て、先《ま》ずこれまでの造化の試験を恙《つつが》なく、及第することを得たりしなり。
 然るに造化は更らに鋭利なる武器を以て、短刀直入し来りたり、そは他にあらず、寒気と強風これなり、寒気は日々厳烈を加え、風力また強大になり、岩角に触れて怒号する音|轟々《ごうごう》として、一月中僅かに二、三日を除くの外《ほか》昼夜止むことなし、従《したがっ》て飲料に充《あ》つべき氷雪の収拾等の外出容易ならず、加うるに門口《かどぐち》の戸氷結して、容易《たやす》く開くこと能わず、折節十月三十日頃なりしかと覚ゆ、彼《か》の有名なる報効義会員二人にて、剛力を伴《ともな》い、郡司氏《ぐんじし》の厚意を齎《もた》らし来訪せられし時の如き、前日は風力猛烈なりしため、八合目より一旦《いったん》七合に引返したりといえり、二人は山頂の光景を見て、如何《いか》に感じけん、予に向いて、焉《いずく》んぞこれ千島《ちしま》の比《たぐ》いならんや、君《きみ》は如何にして越年を遂げんとするか、前途憂慮に堪えずと曰《い》われたり、十月末の光景を見て、既にこの言あり、進んで十二月に入りては、実に平地に在《あ》りて想像の及ばざるものあり、かくの如き有様なるを以て、重要の外は外出を為《な》さずこれかえって健康を害するの恐れあればなり、(外出の難《かた》かるべきは予期せる所なりしを以て、運動に供せんため自ら室内|操櫓器《そうろき》と名《なづ》くる者を携え行きたりしが室内狭くしてしばしばこれを用ゆること能わざりし)故に僅かに狭少なる※[#「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1−87−69]《まど》によりて下界を瞰下《みおろ》し、常に山頂の風力の強暴なるに似ず、日光の朗《ほが》らかなるを見て、時として妻《さい》などはもし空気が目に見ゆるものならば、この烈《はげ》しき風を世人《せじん》に見せたし、下界の人は山頂も均しく長閑《のどか》ならんと思うなるべし、彼《か》の三保の松原に羽衣《はごろも》を落して飛行《ひぎょう》の術を失いし天人《てんにん》は、空行く雁《かり》を見て天上を羨《うらや》みしに引《ひき》かえ、我に飛行の術あらば、暫《しば》しなりとも下界に下《お》りて暖かそうな日の光に浴したしなど戯《たわ》むれをいいしことありたり、実に山頂は風常に強くして、殆《ほと》んど寧日《ねいじつ》なかりしなり、然《しか》れども諸般《しょはん》の事《こと》やや整理して、幾分|安堵《あんど》の思《おも》いをなし、室内に閑居《かんきょ》するに至《いた》るや、予が意気豪ならざる故といわんか、将《は》た人情の免れざる所ならんか、今までは暇《いとま》なくて絶えて心に浮ばざりし事も、夜半観測の間合《まあい》などには暖炉に向いながら、旧里《ふるさと》に預《あず》け置きたる三歳の小児《しょうに》が事など始めて想い起せし事もありたり。
 かくの如くにして、やや堵《と》に安んぜんとするを、造化はなお生意気《なまいき》なりと思いしか、将《は》たまた更《さら》に予を試《こころ》みんとてか、今回は趣向を変えて、極めて陰険なる手段を用いジリジリ静かに攻め来りたり、そは他に非《あら》ず、気圧の薄弱これなり、人の知る如く、平地の気圧は、大抵七百六十|耗《ミリ》前後なるに、山頂は四百六十耗前後にして、実に三百耗の差あり勿論夏期とてもなお同様なりといえども、寒気増進するに及びては、ますます低落の傾きあり、故に静座するもなお胸部の圧迫を覚え、思わず溜息《ためいき》を吐《つ》くことあり、いわんや労働するに於ては、呼吸ますます逼迫《ひっぱく》するを覚ゆ、しかも先きの攻め道具たりし寒気と風力とは、ますます猛烈を加うるのみにして、更にその勢《いきおい》を減ずることなし、剰《あまつ》さえ強猛なる寒気は絶えず山腹の積雪を遠慮会釈《えんりょえしゃく》なく逆《さか》しまに吹上げ来り、いわゆる吹雪なるものにして、観測所の光景はあたかも火事場に焼け残りたる土蔵の、白煙の中《うち》に包まれたるに似たり故に一|天《てん》拭《ぬぐ》うが如く快晴なるも、雪は常に降れるに異ならず、実に平壌《へいじょう》の清兵《しんへい》も宜《よろ》しくという有様にて、四面包囲を受けしなり、ために運動意の如くならず、随て消化力減少して食気更に振わざるを以て、食物総て不味《ふみ》にして口に入らず、およそ食事の如きは普通かかる場所に於ける娯楽の一とする所なるに、今は殆んどこれをしも奪い去られたれば、あます所は観測時に測器に示す所の諸般の現象を※[
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