#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]して、以て無上の楽《たのし》みとするの一事あるのみ、実に造化の作戦計画は、あたかも真綿を以て首を締むるが如き手段なりしなり、しかも予らは屈せずして、これに堪えつつありしに、ここにまた二個の憂うべき事併発し来りたり、他にあらず、電池の破壊と、風力計の破損のために、爾来《じらい》風力を測《はか》る能《あた》わざるに至りし事、及び妻《さい》の浮腫病《ふしゅびょう》これなり、しこうしてこの病《やまい》や、実にこれ味方敗北の主因となるに至りしこと、後に至り大《おおい》に思い当りたるなり。
湿球寒暖計は、夙《つと》に測る能わざるに至り、大に楽みを殺《そ》がれし心地せしが、今また暖炉の傍《かたわら》に、置ける電池|凝結《ぎょうけつ》して破壊し、ために発電するに由《よし》なく、また風雨計の要部を蔽《おお》う所の硝子板《がらすいた》紛砕して、内部に氷雪|填充《てんじゅう》し全くその用を為《な》さざるに至りしかば、更に大に楽みを殺がれたり。
初め予が種々の事情により、単身越年を為《な》さんと決するや、妻《さい》これを憂《うれ》い独《ひと》り密《ひそ》かに急行、小児を郷里の父母に托して登山し来るに就きては、幾分心を労することもあるなるべし、その結果妻は十一月上旬に至り、甚《いた》く逆上し、ために平素往々|患《うれ》うる所の、扁桃腺炎《へんとうせんえん》を[#「扁桃腺炎《へんとうせんえん》を」は底本では「扁桃腺災《へんとうせんえん》を」]誘起し、体温上昇し咽喉《いんこう》腫《は》れ塞《ふさ》がりて、湯水《ゆみず》も通ずること能わず、病褥《びょうじょく》に呻吟《しんぎん》すること旬余日、僅かに手療治《てりょうじ》位にて幸に平癒《へいゆ》せんとしつつありしが、造化は今の体《たい》の弱みに乗じたるものならんか、いわゆる富士山頂の特有とも称すべき、浮腫《ふしゅ》に冒《おか》され、全身次第に腫《ふく》れて殆んど別人を見るが如き形相となりたり、この浮腫《ふしゅ》ということは、山頂に於て多少|免《のが》るる能わざるものなることを、後《のち》にこそ知るを得たるなれ、当時は初めてにして、特に医業の門外漢たる予らには、なおさらその原因を極むるに由なく、少《すくな》からず心を痛めたり、もとよりその辺の用意は一と通り為《な》したりしも、かかる病魔に襲われんとは、全く思い寄らざることなれば、僅かに下剤を用いなどして、一向《ひたす》ら恢復を祈りしも、浮腫容易に減退するに至らず、然るに如何《いかん》せん、これを平地に報ずる道なく、さればとて猛烈なる吹雪の中を下らんことは、到底一、二人の力を以て為し得べきにあらず、またこれを下山せしめんことは無論当人の本意に非ざるべしなど、これを患者に語ることの、病《やまい》に障《さわ》りあらんを思い、独《ひと》り自ら憂慮に沈みたりしが、もとこれ無人《むにん》の境、あるいは斯計《かばか》りのことあらんは、予め期したることなるにと思い返し、よしよし万一|運《うん》拙《つたな》くして斃《たお》れなば飲料用の氷桶《こおりおけ》になりと死骸《しがい》を入《い》れ置《お》くべしなど、今よりこれを顧《おも》えば笑止に堪《た》えずといえども、当時はかかる事も心に期したることありき、然るに如何なる幸運にか、十一月下旬に至り、浮腫日を追うて減退し、十二月の初には、不思議にも全く常体に復し、前日の如く忠実に彼《か》れが負担の業務を執《と》り得《う》るに至りたり、ここに於て室内も、自ら陽気となり、始めて愁眉を開くことを得《え》、予が看護中の心事《しんじ》など、打語《うちかた》りつつありしこと、僅かに二、三日にして又々大に憂うべきこと出《い》で来《きた》りたり、他にあらず予もまた浮腫に冒されたることこれなり。
予が漸次《ぜんじ》浮腫を来《きた》すや、均しく体温上昇し、十二月は実に病《やまい》の花盛りなりしが如し、然れども足を引摺《ひきず》りながらも、隔時の観測だけは欠くことなかりしが、予の浮腫も全く妻のと同質なりと推定したれば、已《すで》に幾分経験あるを以て、今回は敢て驚くことなかりしといえども、漸次病勢を増すに及びては、妻もまた予が彼れを看護せし時と、同様の心事を繰り返しつつありたるものの如し、折節図らずも山麓有志者の、寒中数回登山を企て、しかも一行数人の内、倔強《くっきょう》なるもの僅かに二人のみ万艱《ばんかん》を排して始めてその目的を達して来訪せられしに遇《あ》いしかば、予はその当時の病状を決して他に告ぐるなからんことを誓《ちか》いおきしに、何時《いつ》しかその筋の耳にまでも入る所となりしなり、けだし予の浮腫は登山前より、多少の疲労に乗じて妻のよりも幾分重かりしならん、来訪者の一行中には予が舎弟も加わりし由なれども、他二、三人と共に猛烈なる吹雪に遮《さえぎ》られあるいは依頼品を吹飛ばさるる等、僅かに必要の文書類を、倔強《くっきょう》なる二人に依頼して持ち行かしめ、他は皆《み》な八合目の石室《せきしつ》に止まりたりしも如何にも残念なりとて、一人を追躡《ついじょう》して銀明水《ぎんめいすい》の側《かたわら》まで来りしに、吹雪一層烈しく、大に悩み居る折柄、二人は予らに面会を了《おわ》りて下るに遇《あ》い、切《しき》りに危険なる由を手真似《てまね》して引返すべきことを促《うなが》せしかば、遂に望みを達し得ざるのみならず、舎弟は四肢《しし》凍傷《とうしょう》に罹《かか》り、爪《つめ》皆《みな》剥落《はくらく》して久しくこれに悩み、後《の》ち大学の通学に、車に頼《よ》りたるほどなりしという。
それより程なく、予が実に忘るる能わざる明治二十八年十二月二十一日は来りぬ、和田中央気象台技師、筑紫《つくし》警部、平岡巡査らは倔強《くっきょう》の剛力を引率し、一行十二人注意周到なる準備を為《な》して、登山し来られたり、そもそも下山は予に於て実に重大の関係あるが故に、差当《さしあた》りこの病を医すべき適切なる薬餌《やくじ》を得、なお引続き滞岳《たいがく》して加養せんことを懇請《こんせい》したれども、聴《き》かれざりしかば、再挙の保証として大に冀望《きぼう》する所あり、かつこの事業の遠大を期するものなることを慮《おも》い、遂に一旦下山に決したり、ここに於て予は遂に造化の陰険なる手段に敵すること能わずして、全く失敗に帰したるなり、これに就きても予はこれまでの実験上、ますます気象の人世《じんせい》に最大関係あることを確認するを得たり、内地に於ける各種の企業者にして、しかも平地に於てすら、往々|身体《しんたい》の健康を傷《そこな》いて失敗するものあり、いわんや海の内外土地の開《かい》未開《みかい》を問わず、その故郷を離れて遠く移住せんと欲するもの、もしくは大に業を海外に営まんと欲するものの如きは、先ずその地の気象を調査すること最大要務なりとす、従て平素より気象なるものに注意し、これが観念を養うを要す、然《しか》らざればあるいは失敗に帰するに至るべきなり、あに戒《いまし》めざるべけんや。
予はここに於て終に十年来の素志《そし》を達する能わずして、下山の止《や》むべからざるに至りたれば、腑甲斐《ふがい》なくも一行に扶《たす》けられて、吹雪の中を下山せり、胸突《むねつき》を過ぎし頃|日《ひ》は既に西山《せいざん》に傾きしかば寒気一層甚しく、性来|壮健《そうけん》なりとはいえ、従来身心を労し、特に病体を氷点下二十余度に及べる寒風の中に曝《さら》せしことなれば、如何《いか》でかこれに堪《た》ゆるを得んや、最早《もはや》寒風に抵抗して呼吸するの力なく、特に浮腫せる胸部を剛力の背に圧迫せし故、呼吸ますます苦しく、空《くう》を攫《つか》みて煩悶《はんもん》するに至れり、今は刻一刻、気力次第に弱《よ》わり、両眼自ら見えずなりたれば我今これまでと思いて、自ら眼《まなこ》を閉《と》じなばあるいはこれ限《かぎり》なるべし、力の続かんまではと心励まし、歯《は》がみをなし、一生懸命吹雪に向いて見張《みは》りしため、両眼殆んど凍傷に罹《かか》りたるか、色朱の如《ごと》く、また足は氷雪の上を引摺《ひきず》りしため、全く凍傷に罹る等実に散々の体《てい》に打ち悩まされ、ここに気力全く尽《つ》き果《は》てて、終に何時《いつ》となく、人事不省に陥《おちい》りたり、かくの如き際に、普通起るべき感情は、予も強《あなが》ち世捨人ならねば、大は世界及び国家の事より、小は一家及び我が子の事までもむらむらと思い起さざるにはあらねども、男子の本領として屑《いさぎ》よく放棄したり。
既に夜半過ぎなりしかと覚えし頃、漸く人心地《ひとここち》に立ち還《かえ》りぬ、聞けば予が苦しさの余りに、仙台萩《せんだいはぎ》の殿様《とのさま》が御膳《ごぜん》を恋しく思いしよりも、なお待ち焦《こが》れし八合目の石室《せきしつ》の炉辺に舁《か》き据《す》えられ、一行は種々の手段を施こし、夜を徹して予が病躯《びょうく》を暖《あた》ためつつある真最中なりしなり、さて予は我に還るや、俄《にわ》かにまた呼吸の逼迫《ひっぱく》、凍傷《とうしょう》の難《なや》み、眼球の激痛《げきつう》等を覚えたり、勿論《もちろん》いまだ眼《まなこ》を開くこと能《あた》わざるのみならず、痛みに堪えかねて、眼球を転ずることさえ叶わず、実に四苦八苦の責《せ》めに遇《あ》いしも、もと捨てたりし命を図らずも拾いしに、予に於て毫《ごう》も憂うるに足らず。ただただ以上述ぶる所の場合に、終始一行の骨折《ほねおり》心配は、如何ばかりなりしぞ、実に予が禿筆《とくひつ》の書き尽し得べき所に非ず、願《ねがわ》くは有志の士は自ら寒中登岳してその労を察せられんことを。
予は実にこの経験によりて、造化の執拗《しつよう》にしてますます気象の畏《おそ》るべきものなることを知ると共に、山頂と山下《さんか》との総ての気候は、いわゆる霄壌《しょうじょう》の差異あることを認め得たり、下山の途中既に五合目辺に下れば、胸部自ら透《す》きて、心神爽快を覚え、浮腫知らず識《し》らず、減退して殆んど常体に復し、全く山麓に達するに及びては、いわゆる形容|枯槁《ここう》の人となり、余人は寒気耐え難しといい合えるにもかかわらず、予らはさほどに寒気を感ぜず、また今まで食気更に振わざりしに引かえ忽《たちま》ち食慾を奮起し、滞岳中に比すれば無論多食せしといえども、更に胃を傷《そこな》うことなかりし、これによりて見るに、滞岳中食気振わざりしは、強《あなが》ち直接に胃の衰弱せしためのみに非《あら》ずして、山頂と寒気さほど差違なき五合目辺に於て、已に爽快を覚ゆるを以て考うれば、その身体に異常を感ずるものは、ただ気圧の点あるのみ、勿論運動または沐浴《もくよく》の不如意《ふにょい》等も、大に媒助《ばいじょ》する所ありしには相違なきも主として気圧薄弱の然《しか》らしむる所ならんか、暫《しばら》く疑《うたがい》を存す、もし予にして羸弱《るいじゃく》にして、体育の素養なからんには、人事不省に陥《おちい》りたる後ち、再び起つこと能わざりしならんにと、下山後医師の言を耳にしたることもありたれども、要するに予が幸に今日あるを得たるは、偏《ひと》えに有志者の特別の援助を与えられたるに依《よ》る。
予はかくの如く、しばしば思わざる逆境に臨《のぞ》みし代りに、再挙の計画に就きては、経験を得たること鮮少ならず。特に先ず須要《しゅよう》にして急務となすものは、観測所改造の挙に在《あ》り、これをして完全ならしめざれば常に天候に妨げられ、到底力を目的の業務に専《もっぱ》らにすること能わず、随て満足なる観測の結果を得んこと望むべからず、故に完全なる家屋改造のことは、実にこの事業の根底なりとす、然るに先年は諸事完備を欠くこと多かりしにもかかわらず、寒中殆んどその半ば滞在し得たるのみならず、図らずも婦女子の弱体すらなおこれに堪《た》え得たる有様なるを以て、今《いま》もし前途の施設を完備せんには、常住観測の決して至難の業にあらざるは
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