は解剖し、分析し、命名するかもしれない。しかし、究極の原因は言うにおよばず、第二、第三級の原因も、哲学者にはまるきり知られていないのだ。私は、人間が自然の本丸のなかに入ることを妨げている保塁と障碍物を眺めて、むやみにわけもわからず愚痴をこぼした。
 しかし、ここに書物があり、一段と深くつっこみ、一段と多く知っている人々があった。私はこの人たちの主張したとおりにそのことばを取り、この人たちの弟子になった。そういうことが十八世紀に起ったのは、ふしぎとおもわれるかもしれないが、ジュネーヴの学校できまりきった教育の課程を踏んでいるあいだにも、自分の好きな勉強に関するかぎりは、大いに独習した。私の父は科学的ではなかったので、知識に対する私の学生らしい熱心さに加えて、子どもらしい盲目さで私がもがいているのを、そのままにしていた。新しい先生たちの指導のもとに、私はひどく勤勉に、賢者の石とか不老不死の霊薬の研究に入りこんだが、まもなく経済の研究に専念した。富などというものはくだらないものだ。けれども、もしも私が、人体から病気を駆逐して、人間を暴力による死以外は不死身にすることができたら、その発見はなに
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