り注終わり])の著作を買い求めることであった。私は大喜びで、これらの著者の放恣な空想を読み、かつ研究したが、そういうものは、私以外の人のほとんど知らない宝のような気がした。私は自分を、自然の秘密を洞察しようという激しい憧憬にいつも浸っている者だと称した。近代の哲学者たちの烈しい労作やすばらしい発見にもかかわらず、私はいつも、自分で研究してみたあげく、不満と不足を感じるようになった。アイザック・ニュートン卿は、自分は、まだ探検されない大きな真理の大海の岸で貝殻を拾っている子どものようなものだ、と言いきったという。自然哲学の各部門でこのニュートンのあとを継いでいる人たちと私は親しんだが、この人たちは、少年の私が理解してさえ、同じ研究に従っている初心者のようにおもわれた。
 人に教えてもらわない百姓でも、自分のまわりの自然力を見て、その実察的な用途をよく知っているものだ。それなのに、たいへん学問のある哲学者だって、それ以上のことは、あまり知らなかったのだ。そういう哲学者は、部分的には「自然」の顔のヴェールをはがしたが、この「自然」の不滅の相貌は、今なおひとつの驚異、ひとつの神秘なのだ。哲学者
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