で、かつ二つは共に道徳の原理に密接に依存しているのであるが、それらは分《わか》たれて一方所有権の理論は生産理論に、他方租税の理論は消費理論に投げ込まれ、共に全く経済的な観点からその理論が立てられている。反対に明らかに自然現象の研究としての性質を具《そな》えている交換理論は分配理論の一部をなしている。もっとも彼の弟子らはこれらの勝手な分類を自由に解釈して、ある者は交換価値の理論を生産理論の中に、ある者は所有権の理論を分配の理論の中に、任意に組み入れている。このようにして今日の経済学は形成せられ教授せられている。しかしこれでは枠が破れていて、ただ表面的に維持されているに過ぎないのではないか。そしてかかる状態においては、経済学者の権利と義務とは、まず入念に科学の哲学を研究することにあるのではあるまいか。
 九 セイの弟子らのある者は、セイの定義の欠点を知っていたが、あえて修正しなかった。アドルフ・ブランキ(Adolphe Blanqui)はいっている。「ドイツ並びにフランスでは、今日経済学は、一般に考えられている領域を脱出している。ある経済学者は経済学を普遍的科学となそうとし、他の人は狭いかつ通俗的に考えられている範囲に限ろうとする。フランスにおいてこれら両極端の意見の間に存する争《あらそい》は、経済学はある所のものの説明であるかまたはあるべき所のもののプログラムを立てるべきものであるか。他の言葉でいえば、それは自然科学であるか規範科学であるかということに関する。私は、経済学がそれらの二つの性質を具えたものであると思う。」ブランキはかかる動機からセイの定義を支持したがこの動機はかえってこれを弱からしめるであろう。
 ブランキに次いで、ジョセフ・ガルニエ(Joseph Garnier)はいっている。「経済学は自然科学であり、同時に規範科学である。これらの二つの観点から、経済学は、ある所のものと、物の自然的流れに従い正義の観念に一致してあるべき所のものとを証明する。」そこでガルニエはセイの定義に少しく附け加えて、それを修正しようとした。曰く、「経済学は富の科学である」すなわちいかにして富が、個人及び社会の利益となるように、最も合理的に(もちろん正義に合するように)生産せられ、分配せられ、消費せられるか、またはせられるべきかを決定することを目的とする科学である」と。ここでガルニ
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