B「経済学は、富が形成せられ、分配せられ、消費せられる道行を知らしめるものだ、と私は言いたい。」彼の著書[#「著書」は底本では「著者」]は一八〇三年に第一版を出し、第二版は執政政府の検閲に基き発売を禁止せられ、第一帝国の転落後にしか公にせられなかったが、それは「経済学概論、または富が形成せられ、分配せられ、消費せられる方法の簡単な解説」(〔Traite' d'e'conomie politique, ou simple exposition de la manie`re dont se forment, se distribuent et se consomment les richesses〕)と題せられている。この定義とこの書物が採った分け方とは、経済学者が一般に承認し、追随しているものである。それはたしかに、人々がクラシックと考えようとしている定義であり、分け方である。だが私は、これに従い得ないと主張するのを許してもらわねばならぬ。そしてその理由は、この定義と分け方とを成功せしめたその点にまさしくあるのである。
七 一見して明らかであるように、セイの定義はスミスのそれと異るのみでなく、ある意味においてはそれと正反対である。スミスを信ずる限り全経済学は科学であるよりはむしろ技術であり(第四節)、セイに従えばそれは自然科学である。セイによれば、富は全く自然的ではないにしても、少くとも人間の意志とは独立の態様で形成せられ、分配せられ、消費せられるのであり、全経済学はこの態様の単純なる解説であるようである。
セイがこの定義のうちで経済学に与えた自然科学的色彩は、経済学者を魅《ひ》きつけた。実際に経済学者は、社会主義者との闘争において、この考え方の助けを借りたことが大である。経済学者は労働組織改造のすべてのプラン、所有権制度の改造のすべてのプランを先験的に排斥した。換言すれば何らの議論をなすことなく、すなわち経済的利益に反するものとしてでもなく、また社会的正義に反するものとしてでもなく、ただ人為的結合を自然的結合に代えるものとして排斥した。セイはこの自然主義的な見方をフィジオクラットに借り、かつフィジオクラットが工業及び商業生産に関し自らの学説を要約した方式「自由放任」(Laissez faire, laissez passer)によって動かされた。プルードンは自由主義
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