xールとラグランジの力学となるには、百年ないし百五十年二百年を要したのである。しかるにアダム・スミスの著書の出現とクールノー、ゴッセン、ジェヴォンスと私の試みとの間には、一世紀を経過していない。故に我々は、その持場にあって我々の職務を果したのである。純粋経済学の発祥地である十九世紀のフランスがこれに全く無関心であるとしたら、それはブルジョアの狭隘《きょうあい》な見解、十九世紀のフランスを、哲学、倫理学、歴史、経済学の知識のない計算者を作り出す領域と、少しの数学的知識もない文学者を出す領域の二つに分けた智的教養、に基いた見解によるのである。来るべき二十世紀においてはフランスもまた、社会科学を、一般的教養があって、帰納と演繹、推理と経験とを共に操るのに馴れた人の手に委ねる必要を感ずるであろう。そのとき数理経済学は、数理天文学、数理力学と並んでその地位を占めるであろう。そして我々がなしたことの正しさはそのときにこそ認められるであろう。
[#地から12字上げ]ローザンヌ、一九〇〇年六月
[#地から4字上げ]レオン・ワルラス

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註一 この書の印刷用の紙型が出来上ってから、第三七六頁と第四一四頁とにわずかの修正を加え、かつ一九〇二年日付の二つの註を添えた。(一九〇二年記す)
註二 これら第二、第三部に代えて、〔E'tudes d'e'conomie sociale〕(1896)と 〔E'tudes d'e'conomie applique'e〕(1898)との二巻を公にした。これで私の仕事はほぼ完成したわけである。
註三 〔Compte−rendu des se'ances et travaux de l'Acade'mie des sciences morales et politiques, janvier 1874.〕 または 〔Journal des e'conomistes, avril et juin 1874.〕 参照。
註四 純粋経済学要論の第一版の第一分冊は、〔Principe d'une the'orie mathe'matique de l'e'change〕 及び 〔Equation de l'e'change〕 と題せられる二箇の論文に要約せられ、一は一八七三年パリの 〔Acade'mie des sciences morale
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