の物が利用のない無益のものであるとしたら、充された最後の欲望というものはあり得ない。また物が利用曲線をもっていても、外延利用より大なる量において存在し、すなわち量において無限であるならば、充された最後の欲望の強度はあり得ない。だから、ここでいう稀少性は、先にいった稀少性に他ならない。そして、このことは、稀少性が評価し得られる大さと考えられ、また交換価値がそれに伴うのみでなく必然的にそれに比例することがあたかも重量が質量と比例する如くである場合にのみ、あり得るのである。ところで稀少性と交換価値とが、同時に存在し比例を保つ二つの現象であることがたしかだとしたら、たしかに稀少性は交換価値の原因である。
交換価値は重量のように相対的[#「相対的」に傍点]事実であり、稀少性は質量のように絶対的[#「絶対的」に傍点]事実である。二商品(A)、(B)があり、その一方が無利用となり、または利用があっても量において無限となれば、それはもはや稀少ではなく、交換価値をもたない。この場合には、他方の商品も交換価値をもたなくなる。しかしこの商品は稀少でなくなりはしない。所有者である人々の各々において種々の程度に稀少であり、それぞれ一定の稀少性をもつのである。
私はここに所有者である人々の各々においてといった。まことに、(A)商品または(B)商品の稀少性というような一般的なものはあり得ない。従って(A)の稀少性の(B)の稀少性に対する一般的比、または(B)の稀少性の(A)の稀少性に対する一般的比なるものも、もちろんあり得ない。(A)または(B)の所有者(1)、(2)、(3)……に対するこれら商品の多数の稀少性があり、これら所有者に対する(A)の稀少性の(B)の稀少性に対する多数の比があるのみである。稀少性[#「稀少性」に傍点]は個人的であり、主観的[#「主観的」に傍点]である。交換価値は現実的[#「現実的」に傍点]であり、客観的[#「客観的」に傍点]である。だから、稀少性、有効需要、所有量を速力、通過した空間、通過に要した時間に対比し、また速力をある空間を通過するに用いられた時間に対する通過距離の導函数と定義するように、稀少性をも、所有量に対する有効利用の導函数と定義し得るのは、それぞれの個々の人についてである。
もし(A)商品の稀少性一般または(B)商品の稀少性一般のようなものを考えよ
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