んだのぢやア無かつたのですか。」
と智慧蔵は問ひました。
「いゝえ、この通り生きてゐます。私《わたし》は山火事が起つたので、直《す》ぐ隣りの国へ杉苗を買ひに参りました。御覧なさい。この通り杉苗を三千本買つて参りました。」
「まア、小い杉苗ですね。これを何《ど》うするつもりですか。」
「これをあの狸山へ植ゑて、元の通りの森にするのです。」
「こんな小い苗を植ゑて、元の森にする? 何年後に大きな森になると思ふ?」
「さうさなア、三百年も経《た》てば……。」
「はゝゝゝは、」と智慧蔵は笑ひました。皆なも一度に笑ひました。そして又太鼓を打《たた》いて踊り始めたのです。けれども馬鹿七は、さつさと山へ上つて行きました。そして土を掘つて叮嚀《ていねい》に、其《その》杉苗を植ゑました。それから二十日もたつて馬鹿七が、山を下りて来た時、村の人達は、矢張り雨乞踊りを踊つてゐました。
馬鹿七は小高い所から、ぢつとその踊りを眺《なが》めてゐましたが、不思議にも村の人達が、皆《みん》な狸に見えるのです。
「あすこで狸が踊つてゐる? 狸が腹鼓を打つてゐる? いゝや、あれは人間ぢや、村の馬鹿な人達ぢやらう? いゝや狸だらう? はてな……」と頻《しき》りに頭を傾《かし》げて考へてゐました。そこで段々と近寄つて見ましたがどうしても、智慧蔵を始め皆なが、毛むくぢやらな、腹の大きい狸に見えるのです。
「おうい/\、お前達は皆《みん》な狸なのか、此村で本当の人間は俺《おれ》一人なのか……」と云つて馬鹿七は、おい/\と大声をあげて泣いたさうです。
それから何百年もたつて、狸山は又元の通りの、大きな森になりました。馬鹿七の植ゑた杉苗が、もう幾抱《いくかか》えもある大きなものになつて、高く聳《そび》えてゐます。そして此村は、五日目に風が吹き、十日目に雨が降り、田畑の作物が大変よく実ります。毎年秋の末に村の人達が木の刀を腰にさして、狸山へ上つて、其所《そこ》で太鼓を打いて、狸の仮面《めん》を被つて踊ります。森の中にはお宮があつて、そのお宮を「馬鹿七|権現《ごんげん》」と申します。そして村人の被る狸の仮面《めん》を「智慧蔵|仮面《めん》」と申します。しかし村人の誰《た》れもその由来を知つたものはありません。
底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「赤い猫」金の星社
1923(大正12)年3月
初出:「金の船」キンノツク社
1919(大正8)年11月
入力:tatsuki
校正:田中敬三
2007年2月21日作成
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