やりましたが、猿は水底深く沈んで行く樫の枝には縋つてゐても、与兵衛の釣竿は見向きもしませんでした。
「助けてやるんだよ、おい、助けてやるツて云ふのに。」
 与兵衛はかう言ひましたが、悲しい事には猿に人間の言葉は通じませんから、親猿は却つて歯齦《はぐき》を剥《む》き出して唸《うな》るのでした。
 すると今度は山の上から小猿が五疋十疋と、ゾロ/\川岸へ出て来ました。彼等《かれら》は与兵衛が鉄砲を持つてゐないのを見《み》て安心したらしく向ふの川岸へ下りて来て、「その親猿を、そつちへは遣《や》らぬぞ!」といふやうに、キヤツ! キヤツ! 言ひながら、川端の柳の枝に掴《つか》まつて水の中へ手を伸《のば》して見たり、枯枝を差出して見たりしたが、親猿の浮いて居る所へは届きません。親猿は川の中で、顔だけ水の上に浮べて、悲しさうに時々|啼《な》きました。
 与兵衛はふと気付いて手に持つてゐた釣竿を、向岸に投げてやりました。けれども自分|達《たち》に投げつけられたのだと思つたらしく子猿どもは一時|藪影《やぶかげ》へ隠れましたが、また出て来て、今度はその釣竿を一疋の可成り大きい兄さんの猿が掴んだと思ふと、それを淵の中へ差出したので、親猿はすぐそれに取縋つて難なく岸に這上《はひあが》りました。けれどももう其時親猿は余程弱つて居たと見え、大きな岩の上にパタリと倒れたまゝ動きませんでした。子猿達は親の生命を助けたのを喜ぶやうに、また親の身の上を気遣ふやうにそのぐるりを取捲いてゐました。
 この有様を見た与兵衛は一生懸命に川原を下の方へ駈けて行きました。そして家《うち》へ走り帰つて信次と追駈《おつかけ》ゴツコをして遊んで居たチヨン[#「チヨン」に傍点]を抱きあげて、
「さア、チヨン[#「チヨン」に傍点]、お前をお父さんに返してやるぞ!」と言つて其《その》まゝまた川原を上《かみ》へ上へと走つて行きました。
 行つて見ると川向ふの岩の上には、まだ子猿が親猿を取捲《とりま》いて日向ボツコをして遊んで居ました。
 与兵衛は淵の上手の浅瀬を渡つて向岸に行つて、チヨン[#「チヨン」に傍点]を川原に座らせて、
「さア、チヨン[#「チヨン」に傍点]よ、彼所《あすこ》にお前のお父さんが居る! お前は――もう、お父さんの所へお出《い》で! さア早くあつちへお出で!」と言ひ聞せました。
 けれどもチヨン[#「チヨン」に傍点]はうつむいて川原の砂を弄《いぢ》くつて居るばかりで親猿の所へ行かうとはしないのです。与兵衛はポロ/\涙を流しながら、
「左様なら、チヨン[#「チヨン」に傍点]よ、私《わし》は最《も》う帰るから、早くお父さんの所へお出で、兄さんや姉さん達もあの岩の上に居るぢやないか、左様なら……」と云つて浅瀬の中へ入らうとしますと、チヨン[#「チヨン」に傍点]は周章《あわ》てゝ与兵衛の肩に這上つて、其《そ》の襟《えり》の所にピツタリ頭《かしら》を押しつけてゐるのです。丁度《ちやうど》母猿が射殺《うちころ》された時、其の乳房《ちぶさ》に縋つてゐた時のやうに。
「よし/\、お前は俺《おれ》を恋しいのか、では伴《つ》れて帰つてやる! 死ぬまで大事に/\飼つてやらう。そして死んだら、お前のおツ母アと一緒の墓に葬つてやるぞ!」
 与兵衛はかう言ひ乍《なが》ら川を渡りました。そして、大きな声で川向ふの猿に対つて、
「皆さん左様なら!」と云ひました。けれども猿共は不思議さうな顔でヂロ/\とチヨン[#「チヨン」に傍点]と与兵衛とを見て居るばかりでした。



底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「赤い猫」金の星社
   1923(大正12)年3月
初出:「金の船」キンノツク社
   1920(大正9)年1〜2月
入力:tatsuki
校正:田中敬三
2007年2月21日作成
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