今はじめて会つたのではないか。」と、申しました。
石之助は、小学校卒業の時に、硯箱をいただいたこと。中学校卒業の時に、時計をいただいたことを、申し上げますと、殿様は腹をかかへて、笑ひました。
「僕は知らないよ。僕はそんなものを、君達《きみたち》にあげた覚えはないよ。多分山野家が、だんだんと、昔の家来たちに、忘れられて行くのを苦しく思つて、家令どもが、そんな事をはじめたのだらう。へえん、さうかなあ。僕の名前で硯箱だの時計だのを、君に上げたのかい。実はね、僕は身体《からだ》がよわくて、学習院の中学部で、二度も落第したんだぜ。だから、たうとう高等部に入学できないで、かうして毎日、ぶらぶら遊んでばかりゐるんだよ。世間には、僕のやうな落第生から、賞品をもらつて喜んでゐるやつがあるのかい。」
殿様はそんな事を言つて、また大きな声で笑ひました。
石之助はびつくりして、ぼんやりしてゐました。すると殿様は、
「粉白石之助君。君は今まで僕を君よりえらい人間だと思つてゐたんだらうね。昔は殿様がえらくて、足軽は、ひくい役人だつたが、今は中学の落第生よりも、高等学校の学生さんの方がえらいんだよ。だから、君
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