はれてゐたので、田端《たばた》の丘の上にある、山野《やまの》子爵家に、たづねて行きました。
 表げんくわんから取次を頼みますと、ひとりの老人が出て来て、住所姓名を尋ねた上、
「旧藩時代の御身分は。」と、むつかしいことを問ひました。そこで、石之助は、
「おぢいさまの時まで、足軽といふ役を勤めてゐたさうでございます。」と、答へますと、
「さうですか。では表げんくわんから、入つてはいけません。あちらの小玄関からお入り下さい。」と、申しました。
 石之助は、へんだなあと思ひながら、小玄関へ行つてみますと、短い袴《はかま》をはいた書生さんが出て来て、
「こちらの応接室へお入り下さい。」と、言ひました。
 石之助は、ほこりまみれになつた靴《くつ》をぬいで、げんくわんへ上りました。書生さんが、どあをあけてくれました。見れば応接室の奥に、色の白い青年が椅子にかけてゐました。その青年が、殿様の山野子爵だつたのです。
 石之助は顔をまつかにして、応接室へ入つて行きました。そして、硯箱と時計とのお礼を申しますと、殿様は、
「不思議だね、僕《ぼく》はそんなものを、君にあげた覚えはありませんよ。第一僕と君とは、
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