蚊帳の釣手
沖野岩三郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)万作《まんさく》は
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十二年|経《た》つて
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ずん/\と
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一
万作《まんさく》は十二歳になりました。けれども馬鹿《ばか》だから字を書く事も本を読む事も出来ません。数の勘定もやつと一から十二までしか知らないのでした。
「おい万作! お前は幾歳《いくつ》になつた。」と問ひますと「十二です!」と元気よく答へますが、其時「来年は何歳《いくつ》になる?」と問ひますと、もう黙つてしまひます。それは、十二の次が十三だといふ事を知らないからであります。だから毎日々々お友達から、「馬鹿万」と云はれて、からかはれました。
夏の初め頃《ころ》でした。万作は朝早く起きて顔を洗つて「お父さんお早うございます。おつ母さんお早うございます。」と何時になく叮嚀《ていねい》にお辞儀を致しました。
お父さんもおつ母《か》さんも吃驚《びつくり》して「まア、万作! お前は大変賢くなつたものだネ。」と云《い》つて喜びました。
万作は嬉《うれ》しさうな顔をして、こんな事を云ふのでした。
「お父さん! おつ母さん! 私は今日から暫《しばら》くの間お暇を頂戴《ちやうだい》したうございます。私は今日から遠い遠い国へ行つて、うんとお金を儲《まう》けて帰ります。」
「え? お前が遠い国へ行くつて?」お父さんは驚きました。
「お前がお金を儲けて来る?」おつ母さんは眼《め》を円くしました。
万作は平気な顔で、
「えゝ、きつと儲けて来ます。私がお金を儲けて来たなら何を買つて上げませう。」と云ふのです。おつ母さんは、
「では万作、お前がお金を儲けて来たなら蚊帳《かや》を一つ買つて下さい。もう十二年前に丁度万作の生れた年、たつた一枚の蚊帳を泥棒《どろぼう》に盗まれて今だに蚊帳を買ふ事が出来ないんだから。」と云ひました。
万作の家《うち》には蚊帳がありませんでしたから、夏になると宵の口から火鉢《ひばち》の中で杉つ葉を燻《くす》べて蚊を追出してそれから、ぴつしやり障子を閉め切つて寝たのでした。
だから、万作は夏といふものは煙くつて暑いものだ、夜になるとどんなに涼しい風が吹いても障子を開けてはならな
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