着を出さうとする。
「いゝえ決してそんなこと、そりやいけません」
 私は無理に押し留めた。
「それぢやどうも相済みませんでございますね」
 お婆さんはすぐに
「ですがね、あれも漸く片がつきましてね」
 と分らぬことをいうて独で悦んで居るやうである。これまでとは違つてそわ/\して居る。女は階子段を昇つて来た。気がついて見ると今日はきりつと晴衣に着換へて居る。髪にも櫛の目が通されてある。
「車はもう来たかい」
 お婆さんは聞いた。
「まだのやうでございますが」
 低い声であるがはつきりと女はいつた。がら/\と表に空車の音がして女中はやがて知らせに来た。
「それではどうもなが/\御厄介になりましたが……」
 お婆さんは私へ挨拶をする。女も後から挨拶する。女は衣物を着換へたせゐか何となくはき/\していつもより美しく見えた。私が店まで送らうとするとお婆さんはたつてとめる。私は態と遠慮して勾欄に近く立つて居た。翳した二つの蝙蝠傘が軒の下から現れて忽ち他の軒へ隠れて畢つた。私は隣の座敷を覗いて見た。火鉢も茶器もちやんと隅にくつゝけてあつて只からりとして居る。番頭はすぐに塵払と箒とを持つて来て隣の座敷
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