ちらりと見えた。私は此の宿へ来てから一度も女の座敷を覗いたことがなかつたのである。私は何となく心に不安を感じた。夜中にうと/\として居ると一しきりどこともなく人声が騒がしく聞えたやうに思つたが私はそれつきり眠つて畢つた。
明くる朝起きて見ると空は拭つたやうに晴れて居た。港の松魚船はもう一艘も居ない。みんな夜中に漕ぎ出したと見える。がや/\と遠く私の耳にはひつたのは其時の騒ぎであつた。私は洞門をくゞつて又九面まで行つて見た。今朝はもうひつそりとして只干したコマセの臭ひが鼻を衝くばかりであつた。波もさら/\とゆるやかである。散歩からもどつて来ると隣の座敷には客が一人殖えたやうである。聞いたやうな女の声で威勢よく語つては時々笑声も交る。女の声といふのは此の間のお婆さんであつた。女が階子段をおりて行つた時お婆さんは私の座敷の方へ来て
「先日はどうもまあ、あれが飛んだ御厄介になりました相でございまして、どうもねえあなた独りでそんな所迄本当に私もびつくり致しましたよ。どうかするとまあそんな事を致すんでございますから」
お婆さんはかういつて
「あのお立て換へがあります相ですが」
と帯の間から巾
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