まして」
 女はいつものやうに低い声である。
「脳貧血でも起したんぢやないか」
 私は独でかう呟いた。
「胸が少しいけませんでしたが、もう落付きました」
「どうです少し背中でも叩きませうか」
「いゝえもう決して」
 女はかういつてそつと首を擡げた。どうしたものか女の眼は涙でうるんで居る。女が固辞するので私は只立つて見て居た。私は女が更にひどく悶えて居ても実際は女の体へ手を触れることが出来ないで只はら/\して居たかも知れぬ。私は此の女にひどく恐怖心を持つて居たからである。女は起ちあがつた。単衣の砂を叩いて前を合せた。さうしてほつれた髪を両手で掻き上げた。雨はいつか晴れて居た。雨の粒ははら/\と乾いた砂の上にまぶれて畢つた位に過ぎなかつた。あたりにはみやこ草の花が砂にひつゝいて黄色にさいて居る。こぼれ松葉がみやこ草にもぱらりと散つて居る。女は立つて蝙蝠傘を杖づいて歩き出した。私も無言の儘女の先に立つて歩いた。私は漸く小径を求めて松原から街道へ出た。小径の雑草が衣物の裾にさはる。月見草が私等二人を見て居るやうにところ/″\雑草の中から首を擡げて居た。私は車夫が空車を曳いて来るのがあつたら女を
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