する機会が一度も与へられなかつたからとでなければならぬ。私の村に相手になつてくれるものがないといふのは私と百姓との間には生活状態から自然著しい隔てを生じて疏通し難い点が多い為めである。百姓の子でも麦の臭に満ちた畑の中に働いて居る時や、熊手を持つて櫟林の間を落葉掻に行く処をちらりと見た時や其姿が有繋に目を惹くことがないではないが、それは只一瞥した感じに過ぎないので、暫くも私の心を動かすには足らぬのである。私の生涯の春もこんなであつたけれど赭い枯葉を振ひ落したやうに時期が来つて忽ちに変化した。さうして人一倍の陋劣な行為を敢てしたのである。それは私の家に一人の女が来たからであつた。
二
私の村の学校の教師に溝口といふ老人があつた。彼はみじめな残骸をそつちへこつちへ逐ひやられて到頭辺鄙な私の村へ逐ひつめられたのであつた。自ら士族だといつて居たがさういふ俤もあつた。撃剣をしたしるしだといふて皺だらけの手の甲を見せることがあつた。目もどうかするとぎろりと光ることもあつたが生活の圧迫からいつとはなしにさもしい心が出たと見えて酒でもやるとへこ/\と頭を下るのであつた。遅くまで子があつた
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