拶する。私は帳場の前へ一寸坐る。此の間のお婆さんはまだ帰らなかつたと見えて帳場の側に坐つて居た。お婆さんは自分の前の煙草盆を私の方へ移して軽く時儀をした。
「大分浜らしくなつて来ましたね」
私も主人へ挨拶した。
「えゝこの塩梅ぢや此からよからうと思ふんですがね、これで少し続いてくれなくちや困りますからね」
「馬鹿に臭いですな」
と私がいつた時主人は机の上に披いてあつた帳簿をはたと閉ぢて
「今も其噺をした所ですが、此は鯨の肉ですがね、どうも日数がたつて居ますからすつかり腐つて居るんです。そこらに浮いて居たのを引つ張つて来たんですが肥料ですな」
主人はかういつて更に
「どうぞまあ、お二階で御ゆつくり」
といつた。又た威勢のいゝ挂声がして松魚船がはひつて来た。私はつと店先へ立つて松魚の人だかりを見た。
「此の臭が厭だつていふんだからね」
お婆さんが主人に向つていつてるのを聞いた。
隣座敷はひつそりとして居る。女中が茶を持つて来たので、私は黙つて隣の座敷を指して肘を頭へあてゝ、女は寝て居るかと聞いた。
「しよつちふなんですよ、それに今日はね、此の臭が厭だつてね、吐いたんですよ。本当
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