であつた。或日隣の座敷では何かさら/\と巻紙でも巻いて居るやうな音が微かに聞えた。やがてばちりと筆を擱く音がしてそれからかたりと硯箱の蓋を落す音がした。ひつそりとした隣の座敷からは茶碗へ湯を汲む音さへはつきりと私の耳に響くのであつた。私の懐疑心は隣の座敷に対して神経を鋭敏にして居たのであつた。やがて女は一封の手紙らしいものを持つて、衣物で胸を掩ひながら私の座敷の前を通つて二階をおりて行つた。二三日たつてから私は少しの雨間を見て散歩に出た。復た此の間の畑へ行つて見た。青い煙も立つて居らなければ百姓の女も見えぬ。燃やして棄てた麦束は此の間の儘ぐつしよりと湿つて居る。僅かの間に白い野茨の花もなくなつた。懶げな海と相接して空がどんよりと低く垂れて居る。私は寂しさに堪へなかつた。宿へもどつたのは正午少し過ぎであつた。隣の座敷には草履が二足脱いであつてひそ/\と噺をして居るのが聞えた。私が自分の座敷の障子を開けてはひつた時噺は少し途切れたやうであつた。軈て又以前よりもひそ/\と語りはじめたやうである。女中が私へ昼餐を持つて来た時、隣の障子が開いて女は一人のお婆さんと階子段をおりて行つた。お婆さんは
前へ
次へ
全66ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング