入江を抱へた丘の一端は拳のやうに一段高い。其処に立つて居る一簇の老松の梢には夕方になれば鴉が四方から聚つて鬱陶しい雨に打たれながら騒ぐ。梢に棲みつくまでは飛び交し/\騒いで居る。二三日の間は此の鴉の騒ぎが私の心を引き立てた位であつた。一日空の模様がよくなり挂けたので私はすぐに散歩に出た。入江の岸を伝うて臭い漁師町を越して丘の間を小径の導くまゝに行つた。小径は貝殻の白く散らばつた畑の間の窪みである。ぽつ/\と穴が明いたやうに空には青い所が見えて来た。丘の間からところ/″\行手に青い煙の立つて居るのが見える。其煙は空へ明いた穴に吸はれるやうに真直に立ち騰つて行く。空の穴は心持よくずん/\と拡がつて行く。煙がすぐ近くに見えて小径がめぐつたと思つたら丘の上へ出た。畑がひろ/″\と見渡される。目の前には穢い衣物を着た女が其火を燃やして居るのを見た。それは麦の束であつた。穂先へ火のついた麦束を片手に翳して燃やしながら、片手に別の束をとつて其燃やして居る穂先から火を移す。めろ/\と燃えはじめたかと思ふと焦げた麦の穂がぼろ/\と落ちる。短くなつた燃えさしの麦束はぽつと傍へ投げ棄てる。そこにも煙はうすく
前へ
次へ
全66ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング