度口が小さく蹙まつて鼻の処に微かな皺が寄るのであつた。私は身内がだるくなつて居るので其時はおいよさんを見て厭な心持――厭といふ程でもないが――がした。庭先から聞える懶い稲扱の音を聞きながら又うと/\して漸く起きたのは十時近くであつた。毎朝の習慣で私は便所へ立つた。窓の障子を開けて見ると西に聳えた杉森の梢が二尺ばかり間を隔てゝ廂にくつゝかうとして居る。其間から空が見える。夜の降りが強かつたので秋の空は研ぎ出したやうに冴えて見える。杉の木の間から見える空も青く光つて居る。横からも竪からも秋の空が窓を覗いて居るやうである。廂の上に立つた桐の木へ啄木鳥が一羽飛んで来た。丈夫相な爪先で幹にしつかとつかまりながらぼく/\と嘴で叩いては時々きゝと鳴く。さうして幹をめぐりながら上部へのぼつて行く。私は凝然として見て居た。私は以前病気で居る間からぼうつとして畢つて居る時は或物に目をつけると喪心したやうに何時までも見て居るのが癖であつた。其ぼうつとして見て居ることから他へ移る運動が懶くてたまらぬのであつた。其朝もさういふ心持で啄木鳥に見入つたのであつた。威勢のいゝ啄木鳥は赤い腹を出したり黒い脊を見せたりしてぼく/\と幹をつゝいて居る。其姿は赤い半股引を穿いて尻をねぢあげて大形な飛白の羽織を引つ挂けたやうである。さう思つて見るとぐつと後へ首を引いては嘴が痛からうと思ふ程ぼく/\と強く叩く其動作がひどく滑稽で私は思はず興味を持つた。私はぼうつとして何かに興味を持つて来ると先から先へと迷想に耽つて畢ふことが度々であつた。私は足が痺れたので漸く便所を出た。自分の部屋の障子を開けると空はからりとしてすべてが皆きら/\した日光を浴びて居る。傭人は四人で向合になつ[#底本では「っ」]て陸稲を扱いて居る。各左手に積んだ陸稲の束をほぐしてはぶり/\と扱いて居る。女が一人其扱いだ藁を小さな束に拵へて居る。小さな蜻蛉が薄い羽を日にきらめかしながらすい/\と飛びめぐつて居る。庭におりて見ると杉の梢にも蜻蛉の羽がきら/\と光つて見えた。私は水浴をするために楊枝を使ひながら井戸端へ行つた。其所には井戸端を覆うて葉鶏頭が簇生して居る。赤い葉が目に眩きばかり燃え立つて居る。白い手拭を冠つたおいよさんが葉鶏頭の蔭に洗濯をして居る。盥の中には私の衣物がつけてあつた。朝から暖かなのでおいよさんは例の浴衣を着て居た。私が井戸端へ立つと
「汲みませう」
おいよさんは急いで水を一杯汲んでくれた。私はおいよさんのする儘に任せた。釣瓶の水がぼんやり立つて居た私の下駄へざぶりとかゝつた。
「まあ済みません、私が後にようく洗つて干して置いてあげますから」
さういつておいよさんは手拭の下から私をちらりと見た。只水を汲ました丈では何でもないことである。然し私は其時おいよさんに対してどういふものか心が臆したのであつた。おいよさんも言葉遣がいくらか違つて居た。私はふと傭人を見た。二人はこちらに後を見せて居る。二人がこちらを向いて居る。其時陸穂を手にした儘一人がにこ/\しながら私の方を見た。私にはそれが嘲弄されるやうに感じた。だが群つた葉鶏頭は私の方からはすかして見えるけれどずつと離れた庭の中央からでは私等二人は掩はれて見える筈はないのである。彼等同士が唯饒舌つては笑つて居たに過ぎないのであつた。それでも私は其時厭な心持がしたのであつた。水浴をしてから幾らか爽快になつた。私は跣足になつて雨で倒れかゝつた秋草に杖を立てたりした。門の側のカナメ垣の外へいつも来る商人が天秤をおろして近所の百姓と噺をして居るのが私の耳にはひつた。見ると百姓は商人の荷から生薑の束を引き出してまけろというて居る。不作だから不廉いことはないと商人はいつて居る。時節が後れたから筋が堅くてもう不味いといふやうなことを声高にいつて百姓は生薑を買つた。
「生薑位はおめえ只ぶん投げて行くことにしてもいゝんだ」
百姓がいふと
「商人がおめえそれで立ちきれるかい」
と天秤を杖につきながら商人がいつた。
「おめえそれでも今の嚊持つ時にやどうしたつけ」
「又そんなこと、つまんねえことをいふなよ」
「それだつておめえが通つて来る時にや俺はなんぼおめえがことはかばつてやつたか知れめえ。又おめえも能く追出され/\してな」
百姓は暫く笑つたが間を措いて
「あんな時からぢやおめえも年とつたな」
「年もとらな」
二人は戯談半分にこんなことをいつて笑つて居る。かういふ野卑な対話でも私は平生ならば幾分の興味を持つたであらうが其日はいつまでも聞いて居ることが出来なかつた。其日は兎に角私に不快の感を与へることの多い日であつた。おいよさんは洗濯物を葉鶏頭に添うて干した。私は白い衣物を葉鶏頭の側に干すのが好きであつた。おいよさんは私の下駄を洗つて軒下へ干してそれから
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