なつたら一刻も我慢が仕切れなくなつてすぐ鮎川まで歸つたのである。然し其時は渡船の時間が切れてしまつたから非常の時に打つべき筈の鐘を鳴らして山雉《やまどり》の渡しの船を呼んだのだといつた。さうして彼は又仙臺へ歸つたら少し身躰の養生をしなくちやならねえと獨言をいつた。牡鹿半島は一望晴朗としてテーブルへ掛けた絨布の如く平らかで且つ青い海の上に低く長く連つて其先端にとがつた金華山が聳えて見える。其聳えた下のあたりに鮎川の港はあるのであらうがもう遙かに隔つてわからぬ。大工の棟梁らしい男が其牡鹿半島を一々弟子共に指し示して居る。あれが石の卷だといふ所に白帆が二つ三つ見える。そこには日和山の杉であるべき筈の木立が小さく然かも鬱然として居る。余は二日もかゝつて歩いた土地を安坐して一目に見るのであるからそれが非常に嬉しかつた。忽ちあれ/\と人々が騷ぐ。汽船の右舷に近く一區域をなして平靜な波に更に小波を立てゝ水の動いて居る所がある。洋服の男はあれは魚の群だといつた。時々尾が出たり頭が出たりする。少女はあれ/\と我を忘れて延びあがるやうにして見入る。年増の女はあぶないというて制する。汽船の進行するに連れてそ
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