次《かんじ》の目《め》には心丈夫《こゝろじやうぶ》であつた。彼《かれ》は自分《じぶん》の恐怖《おそれ》を誘《さそ》うた瘡痍《きず》が白《しろ》い快《こゝろ》よい布《ぬの》を以《もつ》て掩《おほ》ひ隱《かく》されたのと、自分《じぶん》の爲《す》べき仕事《しごと》を果《はた》し得《え》たやうに感《かん》ぜられるのとで心《こゝろ》が俄《にはか》に輕《かる》くすが/\しくなつた。卯平《うへい》もどうなることか確《しか》とは分《わか》らぬながら心《こゝろ》の内《うち》では悦《よろこ》んだ。
 勘次《かんじ》は又《また》何處《どこ》へか出《で》た。彼《かれ》は只《たゞ》心《こゝろ》がそは/\として容易《たやす》くは落《おち》つかなかつた。
 軟《やはら》かな春《はる》の光《ひかり》は情《なさけ》を含《ふく》んだ目《め》を瞬《またゝ》きしながら彼《かれ》の狹《せま》い小屋《こや》をこまやかに萱《かや》や篠《しの》の隙間《すきま》から覗《のぞ》いて卯平《うへい》の裾《すそ》にも偃《は》つた。卯平《うへい》は暫《しばら》く目《め》を瞑《つぶ》つた儘《まゝ》で居《ゐ》たが復《ま》たぱつちりと目《め》を開《あ》いた。側《そば》にはおつぎが坐《すわ》つて居《ゐ》た。
「おつう」と卯平《うへい》は低《ひく》い聲《こゑ》で喚《よ》んだ。
「何《なん》でえ」おつぎは又《また》耳《みゝ》へ口《くち》を當《あ》てた。卯平《うへい》は右《みぎ》の手《て》を出《だ》して蒲團《ふとん》の上《うへ》へ伸《のば》して
「熱《あつ》ぼつてえから一|枚《めえ》とつてくんねえか」力《ちから》ない縋《すが》るやうな聲《こゑ》でいつた。
「本當《ほんたう》に暖《ぬくと》く成《な》つたんだよなあ日輪《おてんとさま》まで酷《ひど》く眩《まちつ》ぽくなつたやうなんだよ」おつぎは例《れい》の少《すこ》し甘《あま》えるやうな口吻《くちつき》で一|枚《まい》の掛蒲團《かけぶとん》をとつた。
「此《こ》の蒲團《ふとん》は板《いた》ツ端《ぱち》見《み》てえなんだよなあ、此《こ》れとつた方《はう》が爺《ぢい》は輕《かる》く成《な》つてよかつぺなほんに、さう云《ゆ》つても暖《ぬくと》くなるつちやえゝもんだよ、俺《お》ら作日等《きのふら》見《み》てえぢやどうすべと思《おも》つたつきや」おつぎは掛蒲團《かけぶとん》を四《よ》つにして卯平《うへい》の裾《すそ》へ置《お》いた。
「彼岸《ひがん》過《す》ぎて斯《か》うだことつちや俺《お》ら覺《おべ》えてからだつで滅多《めつた》にやねえこつたから此《こ》れから暖《ぬくと》く成《な》るばかしだな、麥《むぎ》も一日毎《いちんちごめら》に腰《こし》引《ひ》つ立《た》たな」卯平《うへい》は稍《やゝ》快《こゝろ》よげにいつた。
「俺《お》ら家《ぢ》の麥《むぎ》は今《いま》ん處《ところ》ぢや村落《むら》でも惡《わる》かねえんだぞ、俺《お》らそんだが先《せん》の頃《こ》ら畑《はたけ》耕《うな》あな厭《や》だつけな本當《ほんたう》に、おとつゝあにや深《ふか》く耕《うな》へ、深《ふか》く耕《うな》あねえぢや肥料《こやし》したつて役《やく》にや立《た》たねえからなんて怒《おこ》られてなあ」
「うむ、畑《はたき》や深《ふか》くなくつちや收穫《と》んねえものよそら、俺《お》らあ壯《さかり》の頃《ころ》にや此間《こねえだ》のやうに淺《あさ》く耕《うな》あもんだた思《ま》あねえのがんだから、現在《いま》ぢやはあ、悉皆《みんな》利口《りこう》んなつてつから俺《お》らがにや分《わか》んねえが」
「深《ふか》く耕《うな》つちや逆旋毛《さかさつむじ》立《た》てる見《み》てえで行《や》りつけねえぢやなんぼ大儀《こえ》えかよなあ、そんだが俺《お》ら今《いま》ぢや、汝《われ》の方《はう》が俺《お》れより深《ふけ》えつ位《くれえ》だなんておとつゝあにや云《ゆ》はれんのよ」
「大儀《こえ》えにもよそら、そんでも汝《わ》りや能《よ》くやんな、以前《めえかた》は女《をんな》に三|年《ねん》作《つく》らせちや畑《はたけ》は出來《でき》なくなるつちつた位《くれえ》だ」
「そつから俺《お》ら幾《いく》らも耕《うな》えねえんだよ此《こ》の頃《ご》らそんでもさうだに大儀《こえ》えた思《おも》はなくなつたがな俺《お》らも」おつぎがいふのを卯平《うへい》は又《また》軟《やはら》かに目《め》を蹙《しが》めるやうにして聞《き》きながら、輕《かる》く成《な》つた掛蒲團《かけぶとん》を足《あし》の先《さき》で裾《すそ》の方《はう》へこかして少《すこ》し身動《みうご》きをした。おつぎは其《そ》の時《とき》ちらと出《だ》した卯平《うへい》の手《て》を始《はじ》めて氣《き》がついたやうに
「爺《ぢい》は手《て》も痛《えた》くしてんだつけな、そんぢや先刻《さつき》藥《くすり》貼《は》つて貰《もら》あとこだつけな」おつぎは卯平《うへい》の手先《てさき》を手《て》にして見《み》た。
「こつちはそれ程《ほ》だひどかねえやそんでもなあ」おつぎは安心《あんしん》したやうにそつと手《て》を放《はな》した。
 勘次《かんじ》は忙《いそが》しげな容子《ようす》をして歸《かへ》つた。彼《かれ》は蒲團《ふとん》を二三|枚《まい》疊《たゝ》んだ儘《まゝ》帶《おび》で脊負《しよ》つて來《き》た。
「どうしてえおとつゝあ、昨夜《ゆんべ》はそんでも寒《さむ》かなかつたつけゝえ」彼《かれ》は荷物《にもつ》を卯平《うへい》の裾《すそ》の方《はう》へ卸《おろ》して胸《むね》で結《むす》んだ帶《おび》を解《と》きながらいつた。
「熱《あつ》ぼつてえつて今《いま》蒲團《ふとん》一|枚《めえ》とつた處《ところ》なんだよ」おつぎは横合《よこあひ》からいつた。
「うむ、さうだ、此《こ》の蒲團《ふとん》は返《けえ》さなくつちやなんねえから」勘次《かんじ》は獨語《どくご》して
「どうしたおとつゝあ、藥《くすり》貼《は》つてちつたよかねえけ」彼《かれ》は復《また》白《しろ》い曝木綿《さらしもめん》を見《み》ていつた。
「うむ、枕《まくら》おつゝかるやうに成《な》つたからえゝこたえゝに」卯平《うへい》のいふのを聞《きい》て勘次《かんじ》は幾《いく》らか矜《ほこり》を以《もつ》て又《また》白《しろ》い木綿《もめん》を見《み》た。
「おとつゝあ、喫《た》べてえ物《もの》でもねえけえ、俺《お》ら明日《あした》川向《かはむかう》さ行《い》つて來《く》べと思《おも》ふんだ」勘次《かんじ》はまだ幾《いく》らか心《こゝろ》に蟠《わだかま》りがあるといふよりも、こそつぱい處《ところ》が取《と》れ切《き》らないやうで然《しか》も力《つと》めて機嫌《きげん》をとるやうな容子《ようす》であつた。
「うむ」と卯平《うへい》はいつて唾《つばき》をぐつと嚥《の》んだ。
「格別《かくべつ》はあ、喫《た》べてえつち物《もの》もねえが」彼《かれ》の目《め》には又《また》改《あらた》めて軟《やはら》かな光《ひかり》を有《も》つた。
「そんぢやおとつゝあ水飴《みづあめ》でも買《か》つて來《き》てやつたらよかつぺな、與吉《よき》げ隱《かく》して置《お》けば何《なん》でも有《あ》んめえな」おつぎは更《さら》に卯平《うへい》を顧《かへり》みて
「なあ爺《ぢゝ》、其《そ》の方《はう》がよかつぺ」といひ掛《か》けた。卯平《うへい》は其《そ》の蹙《しが》めるやうな目《め》で微《かす》かに點頭《うなづ》いた。
「おとつゝあ、どうせ茶漬茶碗《ちやづけぢやわん》も要《え》つから茶碗《ちやわん》買《か》つてそれさ水飴《みづあめ》入《せ》えて繩《なは》で縛《しば》つて來《こ》う、さうすつとえゝや」
「さうでも何《なん》でもすびやな」
「それに、明日《あした》行《い》つたら又《また》藥《くすり》貰《もら》つて來《こ》う、爺《ぢい》が手《て》さも貼《は》つてやんなくつちや仕《し》やうねえぞ」
「俺《お》ら云《ゆ》はんねえでも藥《くすり》は氣《きい》ついてたのよ」勘次《かんじ》はおつぎのいふのを迎《むか》へて聞《き》いた。彼《かれ》の三|尺帶《じやくおび》には其《そ》の時《とき》もぎつと括《くゝ》つた塊《かたまり》があつた。其《その》財布《さいふ》の僅《わづか》な蓄《たくは》へは此《この》數日間《すじつかん》にどれ程《ほど》彼《かれ》を救《すく》つたか知《し》れなかつた。彼《かれ》はまだ幾《いく》らかの日用品《にちようひん》を求《もと》める餘力《よりよく》を有《いう》して居《ゐ》た。彼《かれ》は開墾《かいこん》の賃錢《ちんせん》を手《て》にすることが出來《でき》ればといふ望《のぞ》みが十|分《ぶん》にあつた。只《たゞ》彼《かれ》は目下《いま》其《そ》の幾部分《いくぶぶん》でも要求《えうきう》することが、自分《じぶん》の火《ひ》が燒《や》いた其《そ》の主人《しゆじん》の家《うち》に對《たい》して迚《とて》も口《くち》にするだけの勇氣《ゆうき》が起《おこ》されなかつたのである。

         二八

 勘次《かんじ》は午餐過《ひるすぎ》になつて復《ま》た外《そと》に出《で》た。紛糾《こぐら》かつた心《こゝろ》を持《も》つて彼《かれ》は少《すこ》し俛首《うなだ》れつつ歩《ある》いた。暖《あたゝ》かな光《ひかり》は畑《はたけ》の土《つち》の處々《ところ/″\》さらりと乾《かわ》かし始《はじ》めた。殊更《ことさら》がつかりしたやうにしをたれた櫟《くぬぎ》の枯葉《かれは》もからからに成《な》つた。凡《すべ》ての樹木《じゆもく》は勢《いきほひ》づいて居《ゐ》た。村落《むら》の處々《ところ/″\》にはまだ少《すこ》し舌《した》を出《だ》し掛《か》けたやうな白《しろ》い辛夷《こぶし》が、俄《にはか》にぽつと開《ひら》いて蒼《あを》い空《そら》にほか/\と泛《うか》んで竹《たけ》の梢《こずゑ》を拔《ぬ》け出《だ》して居《ゐ》た。只《たゞ》蒿雀《あをじ》は冬《ふゆ》も春《はる》も辨《わきま》へぬやうに、暖《あたゝ》かい日南《ひなた》から隱氣《いんき》な竹《たけ》の林《はやし》を求《もと》めて低《ひく》い小枝《こえだ》を渡《わた》つて下手《へた》な鳴《な》きやうをして、さうして猶且《やつぱり》日南《ひなた》へ出《で》て土《つち》をぴよん/\と跳《は》ねた。凡《すべ》ての心《こゝろ》は暖《あたゝ》かな光《ひかり》の中《なか》に融《と》けて畢《しま》はねばならなかつた。
 勘次《かんじ》は依然《いぜん》として俛首《うなだ》れた儘《まゝ》遂《つひ》に隣《となり》の主人《しゆじん》の門《もん》を潜《くゞ》つた。燒趾《やけあと》は礎《いしずゑ》を止《とゞ》めて清潔《きれい》に掻《か》き拂《はら》はれてあつた。中央《ちうあう》の大《おほ》きかつた建物《たてもの》を失《うしな》つて庭《には》は喬木《けうぼく》に圍《かこ》まれて居《ゐ》る。赭《あか》く燒《や》けた杉《すぎ》の木《き》を控《ひか》へてからりとした庭《には》は、赤土《あかつち》の斷崖《だんがい》の底《そこ》に沈《しづ》んだやうに見《み》える。蒼《あを》い空《そら》を限《かぎ》つて立《た》つた喬木《けうぼく》の梢《こずゑ》が更《さら》に高《たか》く感《かん》ぜられた。勘次《かんじ》は怕《おそ》ろしい異常《いじやう》な感《かん》じに壓《あつ》せられた。隣《となり》の主人《しゆじん》の家族《かぞく》は長屋門《ながやもん》の一|部《ぶ》に疊《たゝみ》を敷《し》いて假《かり》の住居《すまゐ》を形《かたち》づくつて居《ゐ》た。主人夫婦《しゆじんふうふ》は勘次《かんじ》の目《め》からは有繋《さすが》に災厄《さいやく》の後《あと》の亂《みだ》れた容子《ようす》が少《すこ》しも發見《はつけん》されなかつた。主人夫婦《しゆじんふうふ》の曇《くも》らぬ顏《かほ》が只管《ひたすら》恐怖《きようふ》に囚《とら》へられた勘次《かんじ》の首《くび》を擡《もた》げしめた。殊《こと》に内儀《かみ》さんの迎《むか》へて聞《き》く態度《たいど》
前へ 次へ
全96ページ中94ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング