へ口《くち》を當《あて》ていつた。今更《いまさら》のやうに近所《きんじよ》の者《もの》が頼《たの》まれて夜通《よどほ》しにも行《ゆ》くといふことに成《な》つた。
次《つぎ》の日《ひ》の午餐過《ひるすぎ》に卯平《うへい》は使《つかひ》と共《とも》にのつそりと其《そ》の長大《ちやうだい》な躯幹《からだ》を表《おもて》の戸口《とぐち》に運《はこ》ばせた。彼《かれ》は閾《しきゐ》を跨《また》ぐと共《とも》に、其《その》時《とき》はもう只《たゞ》痛《いた》い/\というて泣訴《きふそ》して居《ゐ》る病人《びやうにん》の聲《こゑ》を聞《き》いた。
「何處《どこ》が痛《いた》いんだ、少《すこ》しさすらせて見《み》つか」勘次《かんじ》が聞《き》いても
「背中《せなか》が仕《し》やうがねえんだよ」と病人《びやうにん》はいふのみである。
「お品《しな》さん、おとつゝあ來《き》たよ、確乎《しつかり》しろよ」と近所《きんじよ》の女房《にようばう》がいつた。それを聞《き》いてお品《しな》は暫時《しばし》靜《しづ》かに成《な》つた。
「品《しな》どうしたえ、大儀《こは》えのか」寡言《むくち》な卯平《うへい》は此《これ》だけいつた。
「おとつゝあ待《ま》つてたよ、俺《お》ら仕《し》やうねえよ」お品《しな》は情《なさけ》なさ相《さう》にいつた。
「うむ、困《こま》つたなあ」卯平《うへい》は深《ふか》い皺《しわ》を蹙《しが》めていつた。さうして後《あと》は一|言《ごん》もいはない。お品《しな》の病状《びやうじやう》は段々《だん/\》險惡《けんあく》に陷《おちい》つた。醫者《いしや》はモルヒネの注射《ちうしや》をして僅《わづか》に睡眠《すゐみん》の状態《じやうたい》を保《たも》たせて其《そ》の苦痛《くつう》から遁《のが》れさせようとした。それでも暫《しばら》くすると病人《びやうにん》は復《ま》た意識《いしき》を恢復《くわいふく》して、びり/\と身體《からだ》を撼《ふる》はせて、太《ふと》い繩《なは》でぐつと吊《つる》されたかと思《おも》ふやうに後《うしろ》へ反《そりかへ》つて、其《その》劇烈《げきれつ》な痙攣《けいれん》に苦《くる》しめられた。
「先生《せんせい》さん、わたしや此《こ》れでもどうしたものでがせうね」お品《しな》は突然《とつぜん》に聞《き》いた。醫者《いしや》は只《たゞ》口髭《くちひげ》を捻《ひね》つて默《だま》つて居《ゐ》た。
「どうでせうね先生《せんせい》さん」勘次《かんじ》も聞《き》いた。
「まあ大丈夫《だいぢやうぶ》だらうつて病人《びやうにん》へだけはいつて居《ゐ》たらいゝでせう」醫者《いしや》は耳語《さゝや》いた。
「お品《しな》、大丈夫《だいぢやうぶ》だとよ、夫《それ》から我慢《がまん》して確乎《しつかり》してろとよ」勘次《かんじ》は病人《びやうにん》の耳《みゝ》で呶鳴《どな》つた。
「そんでも俺《お》ら明日《あす》の日《ひ》まではとつても持《も》たねえと思《おも》ふよ。本當《ほんたう》に俺《お》ら大儀《こは》い[#「い」に「ママ」の注記]ゝなあ」お品《しな》は切《せつ》な相《さう》にいつた。齒《は》の間《あひだ》を漸《やうや》くに洩《も》れる聲《こゑ》は悲《かな》しい響《ひゞき》を傳《つた》へて然《し》かも意識《いしき》は明瞭《めいれう》であることを示《しめ》した。醫者《いしや》は遂《つひ》に極量《きよくりやう》のモルヒネを注射《ちうしや》して去《さ》つた。
夜《よ》になつて痙攣《けいれん》は間斷《かんだん》なく發作《ほつさ》した。熱度《ねつど》は非常《ひじやう》に昂進《かうしん》した。液體《えきたい》の一|滴《てき》をも攝取《せつしゆ》することが出來《でき》ないにも拘《かゝは》らず、亂《みだ》れた髮《かみ》の毛《け》毎《ごと》に傳《つた》ひて落《おち》るかと思《おも》ふやうに汗《あせ》が玉《たま》をなして垂《た》れた。蒲團《ふとん》を濕《ぬら》す汗《あせ》の臭《くさみ》が鼻《はな》を衝《つ》いた。
「勘次《かんじ》さん此處《ここ》に居《ゐ》てくろうよ」お品《しな》は苦《くる》しい内《うち》にも只管《ひたすら》勘次《かんじ》を慕《した》つた。
「おうよ、こゝに居《ゐ》たよ、何處《どこ》へも行《ゆき》やしねえよ」勘次《かんじ》は其《その》度《たび》に耳《みゝ》へ口《くち》を當《あて》ていつた。
「勘次《かんじ》さん」お品《しな》は又《また》喚《よ》んた。
「怎的《どう》したよ」勘次《かんじ》のいつたのはお品《しな》に通《つう》じなかつたのか
「おとつゝあ、俺《お》らとつてもなあ」とお品《しな》は少時《しばし》間《あひだ》を措《お》いて、さうして勘次《かんじ》の手《て》を執《と》つた。
「おつう汝《われ》はなあ、よき[#「よき」に傍点]もなあ」といつて又《また》發作《ほつさ》の苦惱《くなう》に陷《おちい》つた。
「勘次《かんじ》さん、俺《おら》死《し》んだらなあ、棺桶《くわんをけ》へ入《い》れてくろうよ……」勘次《かんじ》は聞《き》かうとすると暫《しばら》く間《あひだ》を隔《へだ》てて
「後《うしろ》の田《た》の畔《くろ》になあ、牛胡頽子《うしぐみ》のとこでなあ」お品《しな》は切《き》れ/″\にいつた。勘次《かんじ》は略《ほゞ》其《そ》の意《い》を了解《れうかい》した。
お品《しな》はそれから劇烈《げきれつ》な發作《ほつさ》に遮《さへ》ぎられてもういはなかつた。突然《とつぜん》
「風呂敷《ふろしき》、/\」
と理由《わけ》の解《わか》らぬ囈語《うはごと》をいつて、意識《いしき》は全《まつた》く不明《ふめい》に成《な》つた。遂《つひ》には異常《いじやう》な力《ちから》が加《くは》はつたかと思《おも》ふやうにお品《しな》の足《あし》は蒲團《ふとん》を蹴《けつ》て身體《からだ》が激動《げきどう》した。枕元《まくらもと》に居《ゐ》た人々《ひと/″\》は各自《てんで》に苦《くる》しむお品《しな》の足《あし》を抑《おさ》へた。恁《か》うして人々《ひと/″\》は刻々《こく/\》に死《し》の運命《うんめい》に逼《せま》られて行《ゆ》くお品《しな》の病體《びやうたい》を壓迫《あつぱく》した。お品《しな》の發作《ほつさ》が止《や》んだ時《とき》は微《かす》かな其《そ》の呼吸《こきふ》も止《とま》つた。
夜《よ》は森《しん》として居《ゐ》た。雨戸《あまど》が微《かす》かに動《うご》いて落葉《おちば》の庭《には》を走《はし》るのもさら/\と聞《き》かれた。お品《しな》の身體《からだ》は足《あし》の方《はう》から冷《つめ》たくなつた。お品《しな》が死《し》んだといふことを意識《いしき》した時《とき》に勘次《かんじ》もおつぎもみんな怺《こら》へた情《じやう》が一|時《じ》に激發《げきはつ》した。さうして遠慮《ゑんりよ》をする餘裕《よゆう》を有《も》たない彼等《かれら》は聲《こゑ》を放《はな》つて泣《な》いた。枕元《まくらもと》のものは皆《みな》共《とも》に泣《な》いた。與吉《よきち》は獨《ひと》り死《し》んだお品《しな》の側《そば》に熟睡《じゆくすゐ》して居《ゐ》た。卯平《うへい》は取《と》り取《あへ》ずお品《しな》の手《て》を胸《むね》で合《あは》せてやつた。さうして機《はた》の道具《だうぐ》の一《ひと》つである杼《ひ》を蒲團《ふとん》へ乘《の》せた。猫《ねこ》が死人《しにん》を越《こ》えて渡《わた》ると化《ば》けるといつて杼《ひ》は猫《ねこ》の防禦《ばうぎよ》であつた。杼《ひ》を乘《の》せて置《お》けば猫《ねこ》は渡《わた》らないと信《しん》ぜられて居《ゐ》るのである。
夜《よ》は益《ます/\》深《ふ》けて冷《ひ》え切《き》つて居《ゐ》た。家《いへ》の内《うち》には一|塊《くわい》の※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》も貯《たくは》へてはなかつた。枕元《まくらもと》に居《ゐ》た近所《きんじよ》の人々《ひと/″\》は勘次《かんじ》とおつぎの泣《な》き止《や》むまでは身體《からだ》を動《うご》かすことも出來《でき》ないで凝然《ぢつ》と冷《つめ》たい手《て》を懷《ふところ》に暖《あたゝ》めて居《ゐ》た。おつぎは漸《やうや》く竈《かまど》へ落葉《おちば》を燻《く》べて茶《ちや》を沸《わか》した、みんな只《たゞ》ぽつさりとして茶《ちや》を啜《すゝ》つた。
「勘次《かんじ》もかせえて[#「かせえて」に傍点]知《し》らせやがればえゝのに」卯平《うへい》がぶすりと呟《つぶや》く聲《こゑ》は低《ひく》くしかもみんなの耳《みゝ》の底《そこ》に響《ひゞ》いた。卯平《うへい》は其《そ》の日《ひ》の未明《みめい》に使《つかひ》の來《く》るまではお品《しな》の病氣《びやうき》はちつとも知《し》らずに居《ゐ》た。驚《おどろ》いて來《き》て見《み》ればもうこんな始末《しまつ》である。卯平《うへい》も泣《な》いた。彼《かれ》は煙管《きせる》を噛《か》んでは只《たゞ》舌皷《したつゞみ》を打《う》つて唾《つば》を嚥《の》んだ。勘次《かんじ》は只《たゞ》泣《な》いて居《ゐ》た。彼《かれ》はお品《しな》の發病《はつびやう》からどれ程《ほど》苦心《くしん》して其《その》身《み》を勞《らう》したか知《し》れぬ。お品《しな》の病氣《びやうき》を案《あん》ずる外《ほか》彼《かれ》の心《こゝろ》には何《なに》もなかつた。其《その》當時《たうじ》には卯平《うへい》に不平《ふへい》をいはれやうといふやうな懸念《けねん》は寸毫《すこし》も頭《あたま》に起《おこ》らなかつたのである。
お品《しな》の死《し》は卯平《うへい》をも痛《いた》く落膽《らくたん》せしめた。卯平《うへい》は七十一の老爺《おやぢ》であつた。一昨年《をととし》の秋《あき》から卯平《うへい》は野田《のだ》の醤油藏《しやうゆぐら》へ火《ひ》の番《ばん》に傭《やと》はれた。卯平《うへい》はお品《しな》が三つの時《とき》に、死《し》んだお袋《ふくろ》の處《ところ》へ入夫《にふふ》になつたのである。五つの時《とき》から甘《あま》へたのでお品《しな》は卯平《うへい》に懷《なづ》いて居《ゐ》た。お袋《ふくろ》の生《い》きて居《ゐ》るうちは卯平《うへい》もまだ壯《さかり》であつたが、お袋《ふくろ》が亡《な》くなつて卯平《うへい》の皺《しわ》が深《ふか》く刻《きざ》まれてからは以前《いぜん》から善《よ》くなかつた勘次《かんじ》との間《あひだ》が段々《だん/\》隔《へだ》つて、お品《しな》もそれには困《こま》つた。到頭《たうとう》村《むら》の紹介業《せうかいげふ》をして居《ゐ》る者《もの》の勸《すゝ》めに任《まかせ》て卯平《うへい》がいふ儘《まゝ》に奉公《ほうこう》に出《だ》したのであつた。
病人《びやうにん》の枕元《まくらもと》に居《ゐ》た近所《きんじよ》の者《もの》は一|杯《ぱい》の茶《ちや》を啜《すゝ》つて村《むら》の姻戚《みより》へ知《し》らせに出《で》るものもあつた。それから葬式《さうしき》のことに就《つ》いて相談《さうだん》をした。葬式《さうしき》はほんの姻戚《みより》と近所《きんじよ》とだけで明日《あす》の内《うち》に濟《すま》すといふことに極《き》めた。夜《よ》があけると近所《きんじよ》の人々《ひとびと》は寺《てら》へ行《い》つたり無常道具《むじやうだうぐ》を買《か》ひに行《い》つたり、他村《たそん》の姻戚《みより》への知《し》らせに行《い》つたりして家《いへ》には近所《きんじよ》の女房《にようばう》が二三|人《にん》義理《ぎり》をいひに來《き》て居《ゐ》た。姻戚《みより》といつてもお品《しな》の爲《た》めには待《ま》たなくては成《な》らぬといふものはないので勘次《かんじ》はおつぎと共《とも》に筵《むしろ》を捲《まく》つて、其處《そこ》へ盥《たらひ》を据《す》ゑてお品《しな》の死體《したい》を淨《きよ》めて遣《や》つた。劇烈《げきれつ》な病苦《びやうく》の爲《た》めに其《その》力《ちから》ない死體《したい》はげつ
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