》は此《こ》の土地《とち》でも綿《わた》が採《と》れたので、夜《よ》なべには女《をんな》が皆《みな》竹※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]《たかわく》で絲《いと》を引《ひ》いた。綿打弓《わたうちゆみ》でびんびんとほかした綿《わた》は箸《はし》のやうな棒《ぼう》を心《しん》にして蝋燭《らふそく》位《ぐらゐ》の大《おほ》きさにくる/\と丸《まる》める。それがまるめ[#「まるめ」に傍点]である。此《こ》のまるめ[#「まるめ」に傍点]から不器用《ぶきよう》な百姓《ひやくしやう》の手《て》が自在《じざい》に絲《いと》を引《ひ》いた。此《こ》の頃《ごろ》では綿《わた》がすつかり採《と》れなくなつたので、まるめ[#「まるめ」に傍点]箱《ばこ》も煤《すゝ》けた儘《まゝ》稀《まれ》に保存《ほぞん》されて居《ゐ》るのも絲屑《いとくづ》や布《ぬの》の切端《きれはし》が入《い》れてある位《くらゐ》に過《す》ぎないのである。お品《しな》はそれから膨《ふく》れた巾着《きんちやく》の爲《た》めに跳《は》ねあげられた蒲團《ふとん》の端《はし》を手《て》で抑《おさ》へた。それから又《また》横《よこ》になつた。先刻《さつき》から疲勞《ひらう》したやうな心持《こゝろもち》に成《な》つて居《ゐ》たが横《よこ》になると身體《からだ》が溶《と》けるやうにぐつたりして微《かす》かに快《こゝろ》よかつた。
 其《そ》の晩《ばん》一|年中《ねんぢう》の臟腑《ざうふ》の砂拂《すなはらひ》だといふ冬至《とうじ》の蒟蒻《こんにやく》を皆《みんな》で喰《た》べた。お品《しな》は喰《そ》の日《ひ》は明日《あす》からでも起《お》きられるやうに思《おも》つて居《ゐ》た。さうして勘次《かんじ》は仕事《しごと》の埓《らち》が明《あ》いたので又《また》利根川《とねがは》へ行《ゆ》かれることゝ心《こゝろ》に期《き》して居《ゐ》た。

         四

 お品《しな》の容態《ようだい》は其《そ》の夜《よ》から激變《げきへん》した。勘次《かんじ》が漸《やうや》く眠《ねむり》に落《お》ちた時《とき》お品《しな》は
「口《くち》が開《あ》けなく成《な》つて仕《し》やうねえよう」と情《なさけ》ない聲《こゑ》でいつた。お品《しな》は顎《あご》が釘附《くきづけ》にされたやうに成《な》つて、唾《つば》を飮《の》むにも喉《のど》が狹《せば》められたやうに感《かん》じた。それで自分《じぶん》にもどうすることも出來《でき》ないのに驚《おどろ》いた。勘次《かんじ》も吃驚《びつくり》して起《お》きた。
「どうしたんだよ大層《たえそ》惡《わり》いのか、朝《あさ》までしつかりしてろよ」と力《ちから》をつけて見《み》たが、自分《じぶん》でもどうしていゝのか解《わか》らないので只《たゞ》はら/\しながら夜《よ》を明《あか》した。勘次《かんじ》は只《たゞ》お品《しな》が心配《しんぱい》になるので、近所《きんじよ》の者《もの》を頼《たの》んで取《と》り敢《あへ》ず醫者《いしや》へ走《はし》らせた。さうして自分《じぶん》は枕元《まくらもと》へくつゝいて居《ゐ》た。彼等《かれら》は容易《ようい》なことで醫者《いしや》を聘《よ》ぶのではなかつた。然《しか》し其《その》最《もつと》も恐《おそ》れを懷《いだ》くべき金錢《きんせん》の問題《もんだい》が其《その》心《こゝろ》を抑制《よくせい》するには勘次《かんじ》は餘《あま》りに慌《あわ》てゝ且《かつ》驚《おどろ》いて居《ゐ》た。醫者《いしや》は鬼怒川《きぬがは》を越《こ》えて東《ひがし》に居《ゐ》る。
 勘次《かんじ》は草臥《くたぶ》れやしないかといつてはお品《しな》の足《あし》をさすつた。それでもお品《しな》の大儀相《たいぎさう》な容子《ようす》が彼《かれ》の臆《おく》した心《こゝろ》にびり/\と響《ひゞ》いて、迚《とて》も午後《ごゞ》までは凝然《ぢつ》として居《ゐ》ることが出來《でき》なくなつた。近所《きんじよ》の女房《にようばう》が見《み》に來《き》て呉《く》れたのを幸《さいは》ひに自分《じぶん》も後《あと》から走《はし》つて行《い》つた。鬼怒川《きぬがは》の渡《わたし》の船《ふね》で先刻《さつき》の使《つか》ひと行違《ゆきちがひ》に成《な》つた。船《ふね》から詞《ことば》が交換《かうくわん》された。勘次《かんじ》は醫者《いしや》と一|緒《しよ》に歸《かへ》るからさういつてお品《しな》に安心《あんしん》させて呉《く》れといつて醫者《いしや》の門《もん》を叩《たゝ》いた。醫者《いしや》は丁度《ちやうど》そつちへ行《ゆ》く序《ついで》も有《あ》つたからと悠長《いうちやう》である。屹度《きつと》行《い》つては呉《く》れるにしても其《そ》の後《あと》に跟《つ》いて行《ゆ》くのでなくては勘次《かんじ》には不安《ふあん》で堪《たま》らないのである、さうして彼《かれ》はぽつさりと玄關《げんくわん》に踞《うづくま》つて待《ま》つて居《ゐ》ることがせめてもの氣安《きやす》めであつた。醫者《いしや》は小《ちひ》さな手鞄《てかばん》を一つ持《も》つて古《ふる》い帽子《ばうし》をちよつぽり載《いたゞ》いて出《で》た。手鞄《てかばん》は勘次《かんじ》が大事相《だいじさう》に持《も》つた。醫者《いしや》は特別《とくべつ》の出來事《できごと》がなければ俥《くるま》には乘《の》らないので、いつも朴齒《ほうば》の日和下駄《ひよりげた》で短《みじか》い體躯《からだ》をぽく/\と運《はこ》んで行《ゆ》く。それで車錢《くるません》だけでも幾《いく》ら助《たす》かるか知《し》れないといふので貧乏《びんばふ》な百姓《ひやくしやう》から能《よ》く聘《よば》れて居《ゐ》るのであつた。勘次《かんじ》は途次《みち/\》お品《しな》の容態《ようだい》を語《かた》つて醫者《いしや》の判斷《はんだん》を促《うなが》して見《み》た。醫者《いしや》は一|應《おう》見《み》なければ分《わか》らぬといつて五月蠅《うるさ》い勘次《かんじ》に返辭《へんじ》しなかつた。お品《しな》の病體《びやうたい》に手《て》を掛《か》けると醫者《いしや》は有繋《さすが》に首《くび》を傾《かたぶ》けた。それが破傷風《はしやうふう》の徴候《てうこう》であることを知《し》つて恐怖心《きようふしん》を懷《いだ》いた。さうして自分《じぶん》は注射器《ちうしやき》を持《も》たないからといつて辭退《じたい》して畢《しま》つた。勘次《かんじ》は又《また》慌《あわ》てゝ他《た》の醫者《いしや》へ駈《か》けつけた。其《そ》の醫者《いしや》は鉛筆《えんぴつ》で手帖《ててふ》の端《はし》へ一寸《ちよつと》書《か》きつけて、それでは直《すぐ》に此《これ》を藥舖《くすりや》で買《か》つて來《く》るのだといつた。それから自分《じぶん》の家《うち》へ此《これ》を出《だ》せば渡《わた》して呉《く》れるものがあるからと此《これ》も手帖《ててふ》の端《はし》を裂《さ》いた。勘次《かんじ》は又《また》川《かは》を越《こ》えて走《はし》つた。藥舖《くすりや》では罎《びん》へ入《い》れた藥《くすり》を二包《ふたつゝみ》渡《わた》して呉《く》れた。一罎《ひとびん》が七十五|錢《せん》づゝだといはれて、勘次《かんじ》は懷《ふところ》が急《きふ》にげつそりと減《へ》つた心持《こゝろもち》がした。彼《かれ》は蜻蛉返《とんぼがへ》りに歸《かへ》つて來《き》た。醫者《いしや》の家《うち》からは注射器《ちうしやき》を渡《わた》してくれた。他《ほか》の病家《びやうか》を診《み》て醫者《いしや》は夕刻《ゆふこく》に來《き》た。醫者《いしや》はお品《しな》の大腿部《だいたいぶ》を濕《しめ》したガーゼで拭《ぬぐ》つてぎつと肉《にく》を抓《つま》み上《あ》げて針《はり》をぷつりと刺《さ》した。暫《しばら》くして針《はり》を拔《ぬ》いて指《ゆび》の先《さき》で針《はり》の趾《あと》を抑《おさ》へて其處《そこ》へ絆創膏《ばんさうかう》を貼《は》つた。それが凡《すべ》て薄闇《うすくら》い手《て》ランプの光《ひかり》で行《おこな》はれた。勘次《かんじ》に手《て》ランプを近《ちか》づけさせて醫者《いしや》はやつと注射《ちうしや》を畢《をは》つた。
 翌日《よくじつ》の午前《ごぜん》に來《き》て醫者《いしや》は復《また》注射《ちうしや》をして大抵《たいてい》此《こ》れでよからうといつて去《さ》つた。然《しか》しお品《しな》の容態《ようだい》は依然《いぜん》として恢復《くわいふく》の徴候《ちようこう》がないのみでなく次第《しだい》に大儀相《たいぎさう》に見《み》えはじめた。お品《しな》は其《そ》の夕刻《ゆふこく》から俄《には》かに痙攣《けいれん》が起《おこ》つた。身體《からだ》がびり/\と撼《ゆる》ぎながら手《て》も足《あし》も引《ひ》き緊《し》められるやうに後《うしろ》へ反《そ》つた。痙攣《けいれん》は時々《ときどき》發作《ほつさ》した。其《その》度《たび》毎《ごと》に病人《びやうにん》は見《み》て居《ゐ》られない程《ほど》苦惱《くなう》する。顏《かほ》が妙《めう》に蹙《しが》んで口《くち》が無理《むり》に横《よこ》へ引《ひ》き吊《つ》られるやうに見《み》える。勘次《かんじ》はたつた一人《ひとり》のおつぎを相手《あひて》に手《て》の出《だ》しやうもなかつた。さうしてしら/\明《あ》けといふと直《すぐ》に又《また》醫者《いしや》へ駈《か》けつけた。醫者《いしや》は復《また》藥舖《くすりや》へ行《い》つて來《こ》いといつた。勘次《かんじ》は又《また》飛《と》んで行《い》つた。然《しか》し其《そ》の二|號《がう》の血清《けつせい》は何處《どこ》にも品切《しなぎれ》であつた。それは或《ある》期間《きかん》を經過《けいくわ》すれば効力《かうりよく》が無《な》くなるので餘計《よけい》な仕入《しいれ》もしないのだと藥舖《くすりや》ではいつた。それに値段《ねだん》が不廉《たかい》ものだからといふのであつた。勘次《かんじ》はそれでも幾《いく》ら位《ぐらゐ》するものかと思《おも》つて聞《き》いたら一罎《ひとびん》が三|圓《ゑん》だといつた。勘次《かんじ》は例令《たとひ》品物《しなもの》が有《あ》つた處《ところ》で、自分《じぶん》の現在《いま》の力《ちから》では到底《たうてい》それは求《もと》められなかつたかも知《し》れぬと今更《いまさら》のやうに喫驚《びつくり》して懷《ふところ》へ手《て》を入《い》れて見《み》た。
 醫者《いしや》は更《さら》に勘次《かんじ》を藥舖《くすりや》へ走《はし》らせた。勘次《かんじ》は只《たゞ》醫者《いしや》のいふが儘《まゝ》に息《いき》せき切《き》つて駈《か》けて歩《ある》く間《あひだ》が、屹度《きつと》どうにか防《ふせ》ぎをつけてくれるだらうとの恃《たのみ》もあるので僅《わづか》に自分《じぶん》の心《こゝろ》を慰《なぐさ》め得《う》る唯《ゆゐ》一の機會《きくわい》であつた。醫者《いしや》は一|號《がう》の倍量《ばいりやう》を注射《ちうしや》した。然《しか》しそれは徒勞《とらう》であつた。病人《びやうにん》の發作《ほつさ》は間《あひだ》が短《みじか》くなつた。病人《びやうにん》は其《その》度《たび》に呼吸《こきふ》に壓迫《あつぱく》を感《かん》じた。近所《きんじよ》の者《もの》も三四|人《にん》で苦惱《くなう》する枕元《まくらもと》に居《ゐ》て皆《みな》憂愁《いうしう》に包《つゝ》まれた。お品《しな》は突然《とつぜん》
「野田《のだ》へは知《し》らせてくれめえか」と聞《き》いた。勘次《かんじ》も近所《きんじよ》の者《もの》も卯平《うへい》へ知《し》らせることも忘《わす》れて只《たゞ》苦惱《くなう》する病人《びやうにん》を前《まへ》に控《ひか》へて困《こま》つて居《ゐ》るのみであつた。
「明日《あした》は屹度《きつと》來《く》るやうにいつて遣《や》つたよ」勘次《かんじ》はお品《しな》の耳《みゝ》
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