》みた。さうかといつて火《ひ》に當《あた》らうとするのには猶且《やつぱり》火傷《やけど》の疼痛《いたみ》を加《くは》へるだけであつた。彼《かれ》は思出《おもひだ》したやうに泣《な》いては又《また》泣《な》いた。遂《つひ》には泣《な》き疲《つか》れてしく/\と只《たゞ》聲《こゑ》を呑《の》んだ。それが却《かへつ》て勘次《かんじ》とおつぎの心《こゝろ》を掻《か》き亂《みだ》した。疲《つか》れた二人《ふたり》はうと/\としながら到頭《たうとう》眠《ねむ》ることが出來《でき》なかつた。
 燒趾《やけあと》に横《よこた》はつた梁《はり》や柱《はしら》からまだ微《かす》かな煙《けぶり》を立《た》てつゝ次《つぎ》の日《ひ》は明《あ》けた。勘次《かんじ》はおつぎを相手《あひて》に灰燼《くわいじん》を掻《か》き集《あつ》めることに一|日《にち》を費《つひや》した。手桶《てをけ》の冷《つめ》たい握飯《にぎりめし》が手頼《たより》ない三|人《にん》の口《くち》を糊《こ》した。勘次《かんじ》は炭《すみ》のやうに成《な》つた痩《や》せた柱《はしら》や梁《はり》を垣根《かきね》の側《そば》に積《つ》んだ。彼《かれ》は其《そ》の新《あたら》しい手桶《てをけ》へ水《みづ》を汲《く》んでまだ火《ひ》の有《あ》り相《さう》な梁《はり》や柱《はしら》へばしやりと其《そ》の水《みづ》を掛《か》けた。彼《かれ》は灰《はひ》を掻《か》き集《あつ》めて處々《ところどころ》圓錘形《ゑんすゐけい》の小山《こやま》を作《つく》つた。彼《かれ》は灰燼《くわいじん》の中《なか》から鍋《なべ》や釜《かま》や鐵瓶《てつびん》や其《そ》の他《た》の器物《きぶつ》をだん/\と萬能《まんのう》の先《さき》から掻《か》き出《だ》した。鐵製《てつせい》の器物《きぶつ》は其《そ》の形《かたち》を保《たも》つて居《ゐ》ても悉皆《みんな》幾年《いくねん》も使《つか》はずに捨《すて》てあつたものゝやうに變《かは》つて居《ゐ》た。彼《かれ》はそれをそつと大事《だいじ》に傍《そば》へ聚《あつ》めた。茶碗《ちやわん》や皿《さら》や凡《すべ》ての陶磁器《たうじき》は熱火《ねつくわ》に割《は》ねて畢《しま》つて一つでも役《やく》に立《た》つものはなかつた。勘次《かんじ》は赤《あか》く燒《や》けた土《つち》を草鞋《わらぢ》の底《そこ》で段々《だん/\》に掻《か》つ拂《ば》かうとした時《とき》、黒《くろ》く焦《こ》げたやうな或《ある》物《もの》が草鞋《わらぢ》の先《さき》に掛《かゝ》つた。燒《や》けて變色《へんしよく》した銅貨《どうくわ》の少《すこ》し凝《こゞ》つたやうになつたのが足《あし》に觸《ふ》れてぞろりと離《はな》れた。彼《かれ》は周圍《しうゐ》にひよつと目《め》を放《はな》つた。彼《かれ》の目《め》に入《い》るものは此《これ》も一|心《しん》に灰《はひ》の始末《しまつ》をして居《ゐ》るおつぎの外《ほか》にはなかつた。彼《かれ》は銅貨《どうくわ》を竊《そつ》と竹《たけ》の林《はやし》の側《そば》へ持《も》つて行《い》つた。彼《かれ》はぎりつと縛《しば》つた三|尺帶《じやくおび》を解《と》いて、財布《さいふ》を括《くゝ》つた結《むす》び目《め》に齒《は》を掛《か》けて漸《やうや》く其《その》財布《さいふ》を取《と》り出《だ》した。燒《や》けた銅貨《どうくわ》を彼《かれ》は財布《さいふ》へ投《な》げ込《こ》んで復《ま》たぎりつと腰《こし》へ括《くゝ》つた。彼《かれ》はさうして再《ふたゝ》びきよろ/\と周圍《ぐるり》を見《み》た。勘次《かんじ》は幾《いく》つかの小山《こやま》を形《かたち》づくつた灰《はひ》へ藁《わら》や粟幹《あはがら》でしつかと蓋《ふた》をした。彼《かれ》はそれを田《た》や畑《はた》へ持《も》ち出《だ》さうとしたので、雨《あめ》に打《う》たせぬ工夫《くふう》である。其《そ》の藁《わら》や粟幹《あはがら》は近所《きんじよ》の手《て》から與《あた》へられた。彼《かれ》は住居《すまゐ》を失《うしな》つた第《だい》二|日目《かめ》に始《はじ》めて近隣《きんりん》の交誼《かうぎ》を知《し》つた。南《みなみ》の女房《にようばう》は古《ふる》い藥鑵《やくわん》と茶碗《ちやわん》とを持《も》つて來《き》てくれた。勘次《かんじ》は平生《へいぜい》何《なん》とも思《おも》はなかつた此《こ》れ等《ら》の器物《きぶつ》にしみ/″\と便利《べんり》を感《かん》じた。彼《かれ》は藥鑵《やくわん》のまだ熱《あつ》い湯《ゆ》を茶碗《ちやわん》に注《つ》いで彼等《かれら》の身《み》を落《お》ちつける唯《たゞ》一|枚《まい》の筵《むしろ》の端《はし》に憩《いこ》うた。俄《にはか》に空洞《からり》とした燒趾《やけあと》を限《かぎ》つて立《た》つて居《ゐ》る後《うしろ》の林《はやし》の竹《たけ》は外側《そとがは》がぐるりと枯《か》れて、焦《こ》げた枝《えだ》が青《あを》い枝《えだ》を掩《おほ》うて幹《みき》は火《ひ》の近《ちか》かつた部分《ぶゞん》は油《あぶら》を吹《ふ》いてきら/\と滑《なめら》かに變《かは》つて居《ゐ》た。
 東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》の庭《には》には此《こ》の日《ひ》も村落《むら》の者《もの》が大勢《おほぜい》集《あつ》まつて大《おほ》きな燒趾《やけあと》の始末《しまつ》に忙殺《ばうさつ》された。それで其《その》人々《ひと/″\》は勘次《かんじ》の庭《には》に手《て》を藉《か》さうとはしなかつた。彼等《かれら》は隣《となり》の主人《しゆじん》に對《たい》して平素《へいそ》に報《むく》いようとするよりも將來《しやうらい》を怖《おそ》れて居《ゐ》る。彼等《かれら》は皆《みな》齊《ひと》しく靜《しづ》かに落《おち》ついた白晝《はくちう》の庭《には》に立《たつ》ことが其《そ》の家族《かぞく》の目《め》に觸《ふ》れ易《やす》いことを知《し》つて居《ゐ》るのである。勘次《かんじ》は疲《つか》れた身體《からだ》を其《そ》の日《ひ》も餘念《よねん》なく使役《しえき》した。其《そ》の夜《よ》は三|人《にん》が空《そら》を戴《いたゞ》いて狹《せま》い筵《むしろ》に明《あか》すのには、僅《わづか》でも其《その》身體《からだ》を暖《あたゝ》める火《ひ》は消滅《せうめつ》して居《ゐ》たのである。三|人《にん》は其《その》夜《よ》南《みなみ》の家《いへ》に導《みちび》かれた。勘次《かんじ》もおつぎも汗《あせ》と灰《はひ》と埃《ほこり》とに汚《よご》れた身體《からだ》を風呂《ふろ》に洗《あら》ひ落《おと》した。快《こゝろ》よかつた其《その》風呂《ふろ》が氣盡《きづく》しな他人《たにん》の家《いへ》に彼等《かれら》をぐつすりと熟睡《じゆくすゐ》させて二|日間《かかん》の疲勞《ひらう》を忘《わす》れさせようとした。
 與吉《よきち》の横頬《よこほゝ》は皮膚《ひふ》が僅《わづか》に水疱《すゐはう》を生《しやう》じて膨《ふく》れて居《ゐ》た。彼《かれ》は其《そ》の日《ひ》の機嫌《きげん》が惡《わる》かつた。南《みなみ》の女房《にようばう》は其《そ》の水疱《すゐはう》に頭髮《あたま》へつける胡麻《ごま》の油《あぶら》を塗《ぬ》つてやつた。
 勘次《かんじ》は燒木杙《やけぼつくひ》を地《ち》に建《た》てゝ彼《かれ》に第《だい》一の要件《えうけん》たる假《かり》の住居《すまゐ》を造《つく》つた。近所《きんじよ》から聚《あつ》めた粟幹《あはがら》の僅少《きんせう》な材料《ざいれう》が葺草《ふきぐさ》であつた。それは漸《やつ》と雨《あめ》の洩《も》るか洩《も》らないだけの薄《うす》い葺方《ふきかた》であつた。固《もと》より壁《かべ》を塗《ぬ》る暇《ひま》はない。そこらこゝらの林《はやし》の間《あひだ》に刈《か》り残《のこ》された萱《かや》や篠《しの》を刈《か》つて來《き》て、乏《とぼ》しい藁《わら》と交《ま》ぜて垣根《かきね》でも結《ゆ》ふやうにそれを内外《うちそと》から裂《さ》いた竹《たけ》を當《あ》てゝぎつと締《し》めた。彼《かれ》は南《みなみ》の家《いへ》から借《か》りた鋸《のこぎり》で大小《だいせう》の燒木杙《やけぼつくひ》を挽切《ひつき》つた。遂《しまひ》に彼《かれ》は後《うしろ》から燒《や》けた竹《たけ》を伐《き》つて來《き》て簀《す》の子《こ》のやうに横《よこた》へて低《ひく》い床《ゆか》を造《つく》つた。竹《たけ》を伐《き》つた鉈《なた》も彼《かれ》の所有《もの》ではなかつた。彼《かれ》の熱火《ねつくわ》に燒《や》かれて獨《ひとり》で冷《さ》めた鉈《なた》も鎌《かま》も凡《すべ》ての刄物《はもの》はもう役《やく》には立《た》たなかつた。彼《かれ》の手《て》に完全《くわんぜん》に保《たも》たれたものは彼《かれ》が自分《じぶん》の手《て》を恃《たの》んで居《ゐ》る唐鍬《たうぐは》のみである。彼《かれ》は此《こ》の壁《かべ》もない小屋《こや》を造《つく》る爲《ため》に二|日《か》ばかりの間《あひだ》は毫《すこし》も他《た》を顧《かへり》みる暇《いとま》がなかつた程《ほど》心《こゝろ》が忙《いそが》しかつた。彼《かれ》の悲慘《みじめ》な狹《せま》い小屋《こや》には藥鑵《やくわん》と茶碗《ちやわん》とそれから火事《くわじ》の夕方《ゆふがた》に隣《となり》の主人《しゆじん》がよこした新《あたら》しい手桶《てをけ》とのみで、夜《よる》の身《み》を横《よこた》へるのに一|枚《まい》の蒲團《ふとん》もなかつた。砥石《といし》を掛《か》けて磨《みが》かねば使用《しよう》に堪《た》へぬ鍋《なべ》や釜《かま》は彼《かれ》の更《さら》に狹《せま》い土間《どま》に徒《いたづ》らに場所《ばしよ》を塞《ふさ》げて居《ゐ》た。其《そ》の土間《どま》にはまだ簡單《かんたん》な圍爐裏《ゐろり》さへなくて、彼《かれ》は火《ひ》を焚《た》くのに三|本脚《ぼんあし》の竹《たけ》を立《た》てゝそれへ藥鑵《やくわん》を掛《か》けた。
 おつぎは只《たゞ》勘次《かんじ》の仕事《しごと》を幇《たす》けて居《ゐ》た。然《しか》し其《そ》の間《あひだ》にも念佛寮《ねんぶつれう》へ運《はこ》ばれた卯平《うへい》を忘《わす》れては居《ゐ》なかつた。おつぎは火事《くわじ》の次《つぎ》の日《ひ》に勘次《かんじ》へは默《だま》つて念佛寮《ねんぶつれう》を覗《のぞ》いて見《み》た。おつぎは卯平《うへい》へ目《め》に見《み》えた心盡《こゝろづくし》をするのに何《なん》の方法《はうはふ》も見出《みいだ》し得《え》なかつた。おつぎの懷《ふところ》には一|錢《せん》もないのである。おつぎは手桶《てをけ》の底《そこ》の凍《こほ》つた握飯《にぎりめし》を燒趾《やけあと》の炭《すみ》に火《ひ》を起《おこ》して狐色《きつねいろ》に燒《や》いてそれを二つ三つ前垂《まへだれ》にくるんで行《い》つて見《み》た。おつぎはこつそりと覗《のぞ》くやうにして見《み》た。卯平《うへい》は誰《たれ》がさうしてくれたか唯《たゞ》一人《ひとり》で蒲團《ふとん》にゆつくりとくるまつて居《ゐ》た。枕元《まくらもと》には小《ちひ》さな鍋《なべ》と膳《ぜん》とが置《お》かれて、膳《ぜん》には茶碗《ちやわん》が伏《ふ》せてある。汁椀《しるわん》は此《こ》れも小皿《こざら》を掩《おほ》うて伏《ふ》せてある。卯平《うへい》は窶《やつ》れた蒼《あを》い顏《かほ》をこちらへ向《む》けて居《ゐ》た。彼《かれ》は眠《ねむ》つて居《ゐ》た。おつぎはすや/\と聞《きこ》える呼吸《いき》に凝然《ぢつ》と耳《みゝ》を澄《すま》した。おつぎはそれから枕元《まくらもと》の鍋蓋《なべぶた》をとつて見《み》た。鍋《なべ》の底《そこ》には白《しろ》いどろりとした米《こめ》の粥《かゆ》があつた。汁椀《しるわん》をとつて見《み》たら小皿《こざら》には醤《ひしほ》が少《すこ》し乘《の》せてあつた。卯平《うへい》は冷《さ》めた白粥《しろがゆ》へまだ一口《ひとくち》も箸
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