なかつた。彼《かれ》は只《たゞ》涙《なみだ》がこみあげて止《と》め處《ど》もなく悲《かな》しくさうしてしみ/″\と泣《な》き續《つゞ》けた。勘次《かんじ》はそれを聞《き》いた瞬間《しゆんかん》肩《かた》の唐鍬《たうぐは》を轉《ころ》がしてぶつりと土《つち》を打《う》つた。唐鍬《たうぐは》の刄先《はさき》は卯平《うへい》の頭《あたま》に近《ちか》く筵《むしろ》の一|端《たん》を掠《かす》つて深《ふか》く土《つち》に立《た》つた。彼《かれ》はそれから燒盡《やきつく》して一|杯《ぱい》の※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》になつた自分《じぶん》の家《うち》に近《ちか》く駈《か》け寄《よ》つた。彼《かれ》は火《ひ》の恐《おそ》ろしい熱度《ねつど》を感《かん》じて少時《しばし》躊躇《ちうちよ》して立《た》つた。後《うしろ》の林《はやし》の稍《やゝ》俛首《うなだ》れた竹《たけ》の外側《そとがは》がぐるりと燒《や》かれて變色《へんしよく》して居《ゐ》たのが彼《かれ》の目《め》に映《えい》じた。それと共《とも》に彼《かれ》は隣《となり》の森《もり》の中《なか》の群集《ぐんしふ》の囂々《がう/\》と騷《さわ》ぐのを耳《みゝ》にして自分《じぶん》が今《いま》何《なん》の爲《ため》に疾走《しつそう》して來《き》たかを心《こゝろ》づいた。然《しか》し彼《かれ》はもう其《そ》の群集《ぐんしふ》の間《あひだ》に交《まじ》つて主人《しゆじん》の災厄《さいやく》に赴《おもむ》く心《こゝろ》は起《おこ》らなかつた。彼《かれ》は其《そ》の群集《ぐんしふ》の聲《こゑ》を聞《き》いて、自《みづか》ら意識《いしき》しない壓迫《あつぱく》を感《かん》じた。彼《かれ》は酷《ひど》く自分《じぶん》の哀《あはれ》つぽい悲慘《みじめ》な姿《すがた》を泣《な》きたくなつた。彼《かれ》は疾走《しつそう》した後《あと》の異常《いじやう》な疲勞《ひらう》を感《かん》じた。彼《かれ》は自分《じぶん》の燒趾《やけあと》を掻《か》き立《た》てようとするのに鳶口《とびぐち》も萬能《まんのう》も皆《みな》其《その》火《ひ》の中《なか》に包《つゝ》まれて畢《しま》つて居《ゐ》た。彼《かれ》は空手《からて》であつた。唐鍬《たうぐは》を執《と》つて彼《かれ》は再《ふたゝ》び熱《あつ》い火《ひ》の側《そば》に立《た》つた。熱《あつ》さに堪《た》へぬ火《ひ》の側《そば》を彼《かれ》は飛《と》び退《すさ》つて又《また》立《た》つた。彼《かれ》は其《そ》の刃先《はさき》の鈍《にぶ》く成《な》るのを思《おも》ふ暇《いとま》もなく唐鍬《たうぐは》で、また立《た》つて居《ゐ》る木材《もくざい》を引《ひ》つ掛《か》けて倒《たふ》さうとした。
 おつぎは後《おく》れて漸《やうや》く垣根《かきね》の入口《いりくち》に立《た》つた。おつぎはもう自分《じぶん》の家《うち》が無《な》いことを知《し》つた。貧窮《ひんきう》な生活《せいくわつ》の間《あひだ》から數年來《すうねんらい》漸《やうや》く蓄《たくは》へた衣類《いるゐ》の數點《すうてん》が既《すで》に其《そ》の一|片《ぺん》をも止《とゞ》めないことを知《し》つてさうして心《こゝろ》に悲《かな》しんだ。汗《あせ》がびつしりと髮《かみ》の生際《はえぎは》を浸《ひた》して疲憊《ひはい》した身體《からだ》をおつぎは少時《しばし》惘然《ぼんやり》と庭《には》に立《た》てた。
 おつぎはそれから又《また》泣《な》いて居《ゐ》る與吉《よきち》と死骸《しがい》の如《ごと》く横《よこた》はつて居《ゐ》る卯平《うへい》とを見《み》た。おつぎは萬能《まんのう》を置《お》いて與吉《よきち》の火傷《やけど》した頭部《とうぶ》をそつと抱《いだ》いた。與吉《よきち》は復《また》涙《なみだ》がこみあげて咽《むせ》びながらしみ/″\と悲《かな》しげに泣《な》いた。其《そ》の聲《こゑ》は聞《き》くものを只《たゞ》泣《な》きたくさせた。疲《つか》れたおつぎの目《め》にはふつと涙《なみだ》が泛《うか》んだ。おつぎは又《また》手《て》で抑《おさ》へた卯平《うへい》の頭部《とうぶ》に疑《うたが》ひの目《め》を注《そゝ》いで、二|人《にん》の悲《かな》しむべき記念《かたみ》におもひ至《いた》つた。おつぎは其《そ》の原因《げんいん》を追求《つゐきう》して聞《き》かうとはしなかつた。おつぎはしみ/″\と與吉《よきち》を心《こゝろ》に勦《いたは》つて更《さら》に、「爺《ぢい》」と卯平《うへい》の蓆《むしろ》に近《ちか》づいてそつと膝《ひざ》をついた。平生《いつも》のおつぎは勘次《かんじ》との間《あひだ》を繋《つな》がうとする苦心《くしん》からの甘《あま》えた言辭《ことば》が卯平《うへい》の心《こゝろ》に投《とう》ずるのであつた。現在《いま》おつぎの心裏《しんり》には何《なん》の理窟《りくつ》もなかつた。只《たゞ》しみ/″\と悲《かな》しい痛《いた》はしい心《こゝろ》からの言辭《ことば》が自然《しぜん》に其《そ》の口《くち》から出《で》るのであつた。おつぎは未《ま》だ燃《も》えてる火《ひ》を忘《わす》れたやうに卯平《うへい》を越《こ》えて覗《のぞ》いた。卯平《うへい》はおつぎの聲《こゑ》が耳《みゝ》に入《はひ》つたので後《うしろ》を向《む》かうとして僅《わづか》に目《め》を開《あ》いた。地《ち》を掠《かす》つて走《はし》りつゝある埃《ほこり》が彼《かれ》の頬《ほゝ》を打《う》つて彼《かれ》の横《よこ》たへた身體《からだ》を越《こ》えた。彼《かれ》は直《すぐ》に以前《もと》の如《ごと》く目《め》を閉《と》ぢた。
「爺《ぢい》も火傷《やけど》したのか」おつぎは靜《しづか》にいつて卯平《うへい》の手《て》をそつと退《の》けて左《ひだり》の横頬《よこほゝ》に印《いん》した火傷《やけど》を見《み》た。
「痛《え》てえか、そんでもたえしたこともねえから心配《しんぺえ》すんなよ」おつぎは火《ひ》に薙《な》ぎ拂《はら》はれた穢《きたな》い卯平《うへい》の白髮《しらが》へそつと手《て》を當《あて》た。卯平《うへい》はおつぎのする儘《まゝ》に任《まか》せて少《すこ》し口《くち》を動《うご》かすやうであつたが、又《また》ごつと吹《ふ》きつける疾風《しつぷう》に妨《さまた》げられた。おつぎは隣《となり》の庭《には》の騷擾《さうぜう》を聞《き》いた。然《しか》も其《その》種々《いろ/\》な叫《さけ》びの錯雜《さくざつ》して聞《きこ》える聲《こゑ》が自分《じぶん》の心部《むね》から或《ある》物《もの》を引《ひ》つ攫《つか》んで行《ゆ》くやうで、自然《しぜん》にそれへ耳《みゝ》を澄《すま》すと何《なん》だか遣《や》る瀬《せ》のないやうな果敢《はか》なさを感《かん》じて涙《なみだ》が落《お》ちた。涙《なみだ》は卯平《うへい》の白髮《しらが》に滴《したゝ》つた。おつぎが心《こゝろ》づいた時《とき》勘次《かんじ》は徒《いたづ》らにさうして發作的《ほつさてき》に汗《あせ》を垂《た》らして動《うご》いて居《ゐ》るのを見《み》た。おつぎの心《こゝろ》も屹《きつ》として未《ま》だ燃《も》えつゝある火《ひ》に移《うつ》つた。おつぎは俄《にはか》に自分《じぶん》の萬能《まんのう》を執《と》つて勘次《かんじ》の手《て》に攫《つか》ませた。勘次《かんじ》は始《はじ》めて心《こゝろ》づいて、熱《ねつ》した唐鍬《たうぐは》を冷《ひや》さうとして井戸端《ゐどばた》へ走《はし》つた。鍵《かぎ》の手《て》を離《はな》れた釣瓶《つるべ》は高《たか》く空中《くうちう》に浮《うか》んでゆつくりと大《おほ》きく動《うご》いて居《ゐ》た。彼《かれ》は流《なが》し尻《じり》にずぶりと唐鍬《たうぐは》を投《とう》じて又《また》萬能《まんのう》を執《と》つた。
 一|日《にち》吹《ふ》いた疾風《しつぷう》が礑《はた》と其《そ》の力《ちから》を落《おと》したら、日《ひ》が西《にし》の空《そら》の土手《どて》のやうな雲《くも》の端《はし》に近《ちか》く据《すわ》つて漸次《だん/\》に沒却《ぼつきやく》しつゝ瞬《またゝ》いた。其《そ》の一|瞬時《しゆんじ》強烈《きやうれつ》な光《ひかり》が横《よこ》に東《ひがし》の森《もり》の喬木《けうぼく》を錆《さび》た橙色《だい/″\いろ》に染《そ》めて、更《さら》に其《そ》の光《ひかり》は隙間《すきま》を遠《とほ》くずつと手《て》を伸《のば》した。冷《つめ》たく且《かつ》薄闇《うすぐら》く成《な》るに從《したが》つて燒趾《やけあと》の火《ひ》が周圍《しうゐ》を明《あか》るくした。隣《となり》の火《ひ》はほんのりと空《そら》をぼかした。隣《となり》の庭《には》には自分《じぶん》の村落《むら》から他《た》の村落《むら》から手桶《てをけ》や飯臺《はんだい》へ入《い》れた握《にぎ》り飯《めし》が數多《かずおほ》く運《はこ》ばれた。消防《せうばう》に力《ちから》を竭《つく》した群集《ぐんしふ》は白《しろ》い握飯《にぎりめし》を貪《むさぼ》つた。群集《ぐんしふ》は更《さら》に時分《じぶん》を見計《みはか》らつてはぐら/\と柱《はしら》を突《つ》き倒《たふ》さうとした。丈夫《ちやうぶ》な柱《はしら》はまだ火勢《くわせい》があたりを遠《とほ》ざけて確乎《しつか》と立《た》つて居《ゐ》た。他《た》の村落《むら》の人々《ひと/″\》は漸次《だんだん》に歸《かへ》り去《さ》つた。自村《むら》の人々《ひと/″\》は交代《かうたい》に残《のこ》つて熾《さかん》な火《ひ》の番《ばん》をした。歸《かへ》り行《ゆ》く人々《ひと/″\》が其《そ》の序《ついで》に勘次《かんじ》の庭《には》に挨拶《あいさつ》に立《た》つたのみで、南《みなみ》の家《いへ》から笊《ざる》へ入《い》れた握飯《にぎりめし》が來《き》た丈《だけ》であつた。彼《かれ》はそれでも其《そ》の爲《ため》に空腹《くうふく》を遁《のが》れた。隣《となり》の主人《しゆじん》からは暫《しばら》くして其《そ》の集《あつま》つた握《にぎ》り飯《めし》の手桶《てをけ》を二つ三つ持《も》たせてよこした。夜《よ》に成《な》つてから近所《きんじよ》の者《もの》の手《て》で卯平《うへい》は念佛寮《ねんぶつれう》へ運《はこ》ばれた。勘次《かんじ》は卯平《うへい》を乘《の》せた荷車《にぐるま》を曳《ひ》いた。彼《かれ》はそれから隣《となり》の主人《しゆじん》へ挨拶《あいさつ》に出《で》たが、自分《じぶん》の喉《のど》の底《そこ》で物《もの》をいうて逃《に》げるやうに歸《かへ》つた。彼《かれ》は其《そ》の夜《よ》は三|人《にん》が凍《こほ》つた空《そら》を戴《いたゞ》いて燒趾《やけあと》の火氣《くわき》を手頼《たよ》りに明《あ》かした。卯平《うへい》を横《よこた》へた筵《むしろ》は誰《たれ》も取《と》りには來《こ》なかつた。筵《むしろ》は三|人《にん》に席《せき》を與《あた》へた。勘次《かんじ》は失火《しつくわ》に就《つ》いて與吉《よきち》から要領《えうりやう》を得《え》なかつた。然《しか》しながら彼《かれ》の悲憤《ひふん》に堪《た》へぬ心《こゝろ》が嘖《さいな》まうとするには與吉《よきち》の泣《な》いて止《や》まぬ火傷《やけど》がそれを抑《おさ》へつけた。勘次《かんじ》は疲《つか》れた。

         二六

 夜《よ》が深《ふ》けるに隨《したが》つて霜《しも》は三|人《にん》の周圍《しうゐ》に密接《みつせつ》して凝《こ》らうとしつゝ火《ひ》の力《ちから》をすら壓《お》しつけた。彼等《かれら》は冷《さ》めて行《ゆ》く火《ひ》に段々《だん/\》と筵《むしろ》を近《ちか》づけた。勘次《かんじ》もおつぎも薄《うす》い仕事衣《しごとぎ》にしん/\と凍《こほ》る霜《しも》の冷《つめ》たさと、ぢり/\と焦《こが》すやうな火《ひ》の熱《あつ》さとを同時《どうじ》に感《かん》じた。與吉《よきち》は火傷《やけど》へ夜《よ》の冷《つめ》たさが沁《し
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