當《ほんたう》だよ、卯平等《うへいら》も仕事《しごと》ぢや強《つを》かつたが、そりや強《つえ》えとも、そんだが此《こ》ら根性《こんじやう》やくざだから、疫病《やくびやう》くつゝいて太儀《こは》くつて仕《し》やうねえなんて、それから俺《お》れ、確乎《しつかり》しろツちへばどうも下痢《くだ》つちや力《ちから》拔《ぬ》けて仕《し》やうねえ、うん/\なんて唸《うな》つて、そんだがあん時《とき》にや嚊《かゝあ》は可哀相《かはいさう》なことしたな世間《せけん》の奴等《やつら》卯平《うへい》は嚊《かゝあ》に崇《とつつか》れべえなんちから心配《しんぺえ》すんなつて俺《お》れ云《ゆ》つたんだな、そんだが此《こ》ら根性《こんじやう》ねえから、俺《お》ら心配《しんぺえ》するもな大嫌《だえきれえ》だ、それ、心配《しんぺえ》しねえで一|杯《ぺえ》引《ひ》つ掛《か》けろつちんだ」爺《ぢい》さんは幾《いく》らでも乘地《のりぢ》になつてまくしかけた。
「さうだよおめえ、酒《さけ》の座敷《ざしき》でむつゝりしてるもな有《あ》るもんぢやねえ」
「婆《ばあ》さまの手《て》だつておめえ酒《さけ》ぢや酩酊《よつぱら》あからやつて見《み》さつせえよ」婆《ばあ》さん等《ら》は側《そば》から交互《たがひ》に杯《さかづき》を侑《すゝ》めた。彼等《かれら》は情《なさけ》なげな卯平《うへい》を慰《なぐさ》めようとするよりも、獨《ひとり》むつゝりとして居《ゐ》る彼《かれ》を伴侶《なかま》に引《ひ》つ込《こ》まうといふのと、變《かは》つて居《ゐ》る彼《かれ》の容子《ようす》に對《たい》して揶揄《からか》つても見《み》たいからとであつた。
「俺《お》ら錢《ぜね》出《だ》しもしねえで、他人《ひと》の酒《さけ》なんぞ」卯平《うへい》は口《くち》が粘《ねば》つて舌《した》が硬《こは》ばつたやうにいつた。
「おめえ管《かま》あもんぢやねえな、其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》こと」婆《ばあ》さん等《ら》は又《また》いつた。
「酒代《さかで》足《た》んなけりや、こつちの方《はう》に寺錢《てらせん》出來《でき》てるよおめえ等《ら》」寶引《はうびき》の仲間《なかま》がこちらを顧《かへり》みていつた。
「要《え》らねえともそんな錢《ぜね》なんざ、俺《お》ら博奕《ばくち》なんざ何《なん》でも嫌《きれ》えだから」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは直《すぐ》に呶鳴《どな》つた。
「俺《お》らはあ錢《ぜね》も有《あ》りもしねえで」卯平《うへい》は他人《ひと》の騷《さわ》ぎに釣《つ》り込《こ》まれようとするよりも、自分《じぶん》の心裏《しんり》の或《ある》物《もの》を漸《やつ》とのこと吐《は》き出《だ》さうとするやうに呟《つぶや》いた。
「又《また》さうだこつたから仕《し》やうねえ、勘次等《かんじら》懷工合《ふところぐえゝ》えゝつちんだから、要《え》らば何《なん》でも、汝《わ》れよこせつと斯《か》ういふんだ。管《かま》あねえから奪取《ふんだく》つてやれ、俺《お》らだらさうだ、いや本當《ほんたう》だとも、聟《むこ》なんぞに威張《えば》られてるなんちこと有《あ》るもんか、卯平等《うへいら》根性《こんじよう》薄弱《やくざ》だから仕《し》やうねえ」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは髮《かみ》を一|杯《ぱい》に汗《あせ》で濕《うるほ》した。
「威張《えば》らツる理由《わけ》ぢやねえが、俺《お》ら俺《お》れでやんべと思《おも》つてんだから」卯平《うへい》は自分《じぶん》を庇護《ひご》するやうにいつた。
「聟《むこ》なんぞ、承知《しようち》するもんぢやねえ、あゝだ泥棒野郎《どろぼうやらう》、俺《お》ら嫌《きれ》えだ、畑《はたけ》でも田《た》でも油斷《ゆだん》なんねえから」
「そんだが、今《いま》ぢや懷《ふところ》ちつたえゝ所爲《せえ》か盜《と》るな盜《と》んねえよ」
「なあに俺《お》れ、蜀黍《もろこし》伐《き》つた時《とき》にや勘辨《かんべん》しめえと思《おも》つたんだつけがお内儀《かみ》さんに來《き》らツたから我慢《がまん》したんだ、俺《お》れ卯平《うへい》だら槍《やり》で突《つ》つ刺《ぶ》してやんだ、いや俺《お》れにや本當《ほんたう》に行《や》られつとも、俺《お》ら家族《うち》の奴等《やつら》げなんざぐづ/\は云《や》あせねえだ、俺《お》ら家《ぢ》ぢや元日《ぐわんじつ》にや闇《くれ》えに起《お》きて、蓑《みの》着《き》て、圍爐裏端《ゐろりばた》で芋《いも》燒《や》えてくふ縁起《えんぎ》なんだが、俺《お》ら家《ぢ》の奴等《やつら》外聞《げえぶん》惡《わり》いから厭《や》だなんて吐《ぬ》かしやがつから、俺《お》れ、何《なん》だとう汝《わ》ツ等《ら》、厭《や》だつちんだら厭《や》だつて今《いま》一|遍《ぺん》云《ゆ》つて見《み》ろ、俺《お》れ目玉《めだま》の黒《くれ》え内《うち》やさうはえがねえぞつちんだから、いや本當《ほんたう》に俺《お》ら聽《き》かねえだから」彼《かれ》は髮《かみ》が餘計《よけい》に濕《うるほ》ひを増《ま》して悉皆《みんな》の耳《みゝ》の底《そこ》に徹《とほ》る程《ほど》呶鳴《どな》つて見《み》せた。
「おめえ見《み》てえにさうは行《い》かねえよ、他人《たにん》は」卯平《うへい》はぽさりといつた。
「本當《ほんたう》におめえ見《み》てえなもなねえよ、若《わ》けえ時《とき》から毎晩《まいばん》酩酊《よつぱら》つちや後夜《ごや》が鷄《とり》でも構《かま》あねえ馬《うま》曳《ひい》て歸《けえ》つちや戸《と》の割《わ》れる程《ほど》叩《たゝ》いて、さうしちや馬《うま》の裾湯《すそゆ》沸《わ》えてねえつて云《ゆ》つちや家族《うち》の者《もの》こと追《お》ひ出《だ》してなあ、百姓《ひやくしやう》はおめえ夜中《よなか》まで眠《ねむ》んねえで待《ま》つちや居《ゐ》らんねえな、そんだがおめえも相續人《さうぞくにん》善《よ》く出來《でき》て仕合《しあはせ》だよなあ」側《そば》に居《ゐ》て先刻《さつき》から聞《き》いて居《ゐ》た婆《ばあ》さんの一人《ひとり》がいつた。其《そ》の服裝《なり》は他《た》の老人等《としよりら》とは異《ちが》つて居《ゐ》た。
「俺《お》れにや打《ぶ》ち出《だ》されつとも、此《こ》んで俺《お》ら力《ちから》は強《つを》かつたかんな、仕事《しごと》ぢや卯平《うへい》も強《つを》かつたが、かうだ大《えけ》え體格《なり》して相撲《すまふ》ぢや俺《お》れにやかたでぺた/\だ。俺《お》らやあつち内《うち》にや打《ぶ》ん投《な》げつちやあだから、あゝ、俺《お》ら腕《うで》ばかしぢやねえ、そらつ位《くれえ》だから齒《は》も強《つえ》えだよ、俺《お》ら麥打《むぎぶち》ん時《とき》唐箕《たうみ》立《た》てゝちや半夏桃《はんげもゝ》貰《もら》つたの、ひよえつと口《くち》さ入《せ》えたつきり、核《たね》までがり/\噛《かぢ》つちやつたな、奇態《きたい》だよそんだが桃《もゝ》噛《かぢ》つてつと鼻《はな》ん中《なか》さ埃《ほこり》へえんねえかんな、俺《お》れが齒《は》ぢや誰《た》れでも魂消《たまげ》んだから眞鍮《しんちう》の煙管《きせる》なんざ、銜《くうえ》えてぎり/\つとかう手《て》ツ平《ぴら》でぶん廻《まあ》すとぽろうつと噛《か》み切《き》れちやあのがんだから、そんだから今《いま》でも、かうれ、此《こ》の通《とほ》りだ」爺《ぢい》さんはぎり/\と齒《は》を噛《か》み合《あは》せて見《み》せた。
「俺《お》らそれから、喧嘩《けんくわ》ぢや負《ま》けたこたねえだよ、野郎《やらう》何《なん》だつち内《うち》にや打《ぶ》つ張《ぱ》るか、掻《か》つ轉《ころが》すかだな、ごろり轉《ころ》がつた處《ところ》爪先《つまさき》と踵《くびす》持《も》つてかうぐる/\引《ひ》ん廻《まあ》すとどうだ大《えけ》え野郎《やらう》でも起《お》きらんねえだよ、から笑止《をか》しくつて仕《し》やうねえな、えゝか、斯《か》う、かうやんだよ、あゝ、俺《お》ら本當《ほんたう》に強《つえ》えのがんだよ、それ卯平等《うへいら》駄目《だめ》だな後《うしろ》の方《はう》にばかし隱《かく》れてゝからつき」と爺《ぢい》さんは少《すこ》し座《ざ》を退《さが》つて兩手《りやうて》を以《もつ》て喧嘩《けんくわ》の相手《あひて》を苛《いぢ》めるやうな容子《ようす》をして見《み》せた。
「そんだが俺《お》れ旦那《だんな》に云《や》あれてから、家族《うち》の奴等《やつら》ことも怒《おこ》んねえはあ、俺《お》れうめえ處《とこ》見《み》られつちやつたな、いや云《や》あれちや勿體《もつてえ》ながす、本當《ほんたう》に勿體《もつてえ》ねえだよ、お婆《ばあ》さん」爺《ぢい》さんは首《くび》を俛《たれ》て滅切《めつきり》靜《しづ》かになつていつた。さうして彼《かれ》は茶碗《ちやわん》の酒《さけ》をだら/\と零《こぼ》しながらに一口《ひとくち》に嚥《の》んだ。
 此《こ》の時《とき》外《そと》から女房《にようばう》が一人《ひとり》忙《せは》しく來《き》た。女房《にようばう》は佛壇《ぶつだん》の前《まへ》へ行《い》つて
「駐在所《ちうざいしよ》來《き》たよ」悉皆《みんな》の中《なか》へ首《くび》を突《つ》き入《い》れるやうにして竊《そつ》と語《かた》つた。悉皆《みんな》は頻《しき》りに輸※[#「羸」の「羊」に代えて「果」、354−14]《かちまけ》にのみ心《こゝろ》を奪《うば》はれて居《ゐ》た。彼等《かれら》の顏《かほ》はにこ/\としたり又《また》は暫《しばら》くどつぺを掴《つか》まぬものは難《むづ》かしくなつた目《め》を蹙《しが》めたり口《くち》をむぐ/\と動《うご》かしたりして自分《じぶん》は一|向《かう》それを知《し》らないのであつた。彼等《かれら》の各自《めい/\》が持《も》つて居《ゐ》る種々《いろ/\》な隱《かく》れた性情《せいじやう》が薄闇《うすぐら》い室《しつ》の内《うち》にこつそりと思《おも》ひ切《き》つて表現《へうげん》されて居《ゐ》た。女房《はようばう》の言辭《ことば》は悉皆《みんな》の顏《かほ》を唯《たゞ》驚愕《おどろき》の表情《へうじやう》を以《もつ》て掩《おほ》はしめた。一|度《ど》に女房《にようばう》を見《み》た彼等《かれら》には其《そ》の時《とき》まで私語《さゞめ》き合《あ》うた俤《おもかげ》がちつともなかつた。彼等《かれら》は慌《あわ》てゝ寶引絲《はうびきいと》も懷《ふところ》へ隱《かく》して知《し》らぬ容子《ようす》を粧《よそほ》うて圍爐裏《ゐろり》の側《そば》へ集《あつま》つた。
「こつちの方《はう》酷《ひど》く威勢《えせい》えゝから俺《お》らも仲間入《なかまいり》させてもらえてもんだ」寶引《はうびき》の婆《ばあ》さん等《ら》はいつた。
「此《こ》の婆等《ばゝあら》寄《よ》れば觸《さあ》れば博奕《ばくち》なんぞする氣《き》にばかし成《な》つて」爺《ぢい》さんは依然《いぜん》として惡口《わるくち》を止《や》めなかつた。
「かうだ婆等《ばゞあら》だつてさうだに荷厄介《にやつけえ》にしねえでくろよ、こんで俺《お》ら家《ぢ》ぢやまあだ俺《お》れなくつちや闇《くらやみ》だよおめえ、嫁《よめ》があの仕掛《しかけ》だもの」婆《ばあ》さんは更《さら》に
「俺《お》らあ仲間《なかま》も寺錢《てらせん》で後《あと》買《か》あから、獨《ひとり》でむつゝりしてねえで一《ひと》つやらつせえね」と卯平《うへい》へ杯《さかづき》を侑《すゝ》めた。一|同《どう》の威勢《ゐせい》が漸次《しだい》に卯平《うへい》の心《こゝろ》を惹《ひ》き立《た》てゝ到頭《たうとう》彼《かれ》の大《おほ》きな手《て》に茶碗《ちやわん》を執《と》らせた。婆《ばあ》さん等《ら》の袂《たもと》が觸《ふ》れて輕《かる》く成《な》つてた徳利《とくり》が倒《たふ》された。婆《ばあ》さん等《ら》は慌《あわ》てゝ手拭《てぬぐひ》でふかうとした。小柄《こがら》な爺《ぢい》
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