と》に失望《しつばう》と滿足《まんぞく》とが悉皆《みんな》の顏《かほ》にそれからそれと移《うつ》つて行《ゆ》く。
 綱《つな》をぎつと束《つか》ねて引《ひ》かせる手《て》もとや、一《ひと》つづゝに思案《しあん》しながら然《しか》も掴《つか》んだら威勢《ゐせい》よくすいと引《ひ》く手《て》もとは彼等《かれら》が硬《こは》ばつた手《て》でありながら熟練《じゆくれん》してさうして敏捷《びんせふ》に運動《うんどう》する。綱《つな》の周圍《しうゐ》から悉皆《みんな》の形《かたち》づくつて居《ゐ》る輪《わ》が縮《ちゞ》まるやうにして、一《ひと》つ掴《つか》んでは又《また》其《そ》の輪《わ》が擴《ひろ》がるやうにしつゝ引《ひ》く容子《ようす》は大勢《おほぜい》が一《ひと》つの紐《ひも》を打《う》つて居《ゐ》るやうな形《かたち》にも見《み》えた。彼等《かれら》は忙《いそが》しく手《て》を動《うご》かして居《ゐ》ると共《とも》に聲《こゑ》を殺《ころ》してひそ/\と然《し》かも力《ちから》を入《い》れて笑語《さゞめ》いた。彼等《かれら》は戸外《こぐわい》の聞《きこ》えを憚《はばか》らぬならば興味《きようみ》に乘《じよう》じて放膽《はうたん》に騷《さわ》ぐ筈《はず》でなければならぬ。各自《かくじ》の前《まへ》に在《あ》る錢《ぜに》はどつぺを引《ひ》き當《あ》てた者《もの》の手《て》に一《ひと》つづゝ引《ひ》き去《さ》られて誰《たれ》の前《まへ》にも全《まつた》くなくなつた時《とき》又《また》更《さら》に置《お》かれるのである。彼等《かれら》はそれに熱中《ねつちう》して全《まつた》く他《た》を忘《わす》れて居《ゐ》る。寶引《はうびき》にも酒《さけ》にも加《くは》はらぬ老人等《としよりら》は棚《たな》の周圍《しうゐ》を廻《まは》つてからは歸《かへ》つたものも有《あ》つて寮《れう》には幾《いく》らか人數《にんず》も減《へ》つて居《ゐ》たが、圍爐裏《ゐろり》の邊《ほとり》は醉《ゑひ》が加《くは》はつて寶引《はうびき》の群《むれ》に行《ゆ》かぬ婆《ばあ》さん等《ら》は酒《さけ》の好《す》きな孰《ど》れも威勢《ゐせい》のいゝものばかりであつた。
「なあおめえ、こんで俺《お》らも若《わ》けえ時《とき》にや面白《おもしろ》えのがんだよなあ」と爺《ぢい》さんの肩《かた》へ靠《もた》れ掛《かゝ》るものもあつた。
「篦棒《べらぼう》、以前《めえかた》のことなんぞ、外聞《げえぶん》惡《わ》りい、俺《お》らなんざこんで隨分《ずゐぶん》無鐵砲《がしよき》なこたあしたが、こんで女《をんな》にや煎《え》れねえつちやつたから」と首《くび》に珠數《じゆず》を卷《ま》いた爺《ぢい》さんが側《そば》でそれを見《み》て居《ゐ》て呶鳴《どな》つた。
「おめえ、怒《おこ》んなくつてもえゝやな、酒《さけ》の座敷《ざしき》ぢや其《それ》つ位《くれえ》なこた仕方《しかた》あんめえな」と叱《しか》られた婆《ばあ》さんは右《みぎ》の手《て》を上《うへ》から左《ひだり》の手《て》の平《ひら》へ打《う》ちつけて、大聲《おほごゑ》を立《た》てゝ笑《わら》ひながら
「どうしたんでえまあ一|杯《ぺえ》やらつせえね」と婆《ばあ》さんは更《さら》に卯平《うへい》へ茶碗《ちやわん》を突《つ》きつけた。卯平《うへい》は一|杯《ぱい》をも口《くち》へ銜《ふく》まぬのに先刻《さつき》から只《たゞ》凝然《ぢつ》として、騷《さわ》ぎを聞《き》くでもなく聞《き》かぬでもない容子《ようす》をして胡坐《あぐら》をかいて居《ゐ》た。二|度目《どめ》の酒《さけ》は幾《いく》らか腹《はら》に餘計《よけい》であつた老人等《としよりら》はもう卯平《うへい》を見遁《みのが》しては置《お》かなかつたのである。
「俺《お》ら暫《しばら》くやんねえから」卯平《うへい》はそつけなくいつて其《そ》の癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らした。
「何《なん》でまた飮《の》まねえんだ、さうだにしんねりむつゝりしてねえで、ちつた威勢《えせい》つけて見《み》るもんだ、そうれ」と先刻《さつき》からの爺《ぢい》さんは茶碗《ちやわん》を突《つ》きつけた。卯平《うへい》は復《ま》た舌《した》を鳴《な》らして、唾《つば》をぐつと嚥《の》んだ。
「俺《お》らはあ、暫《しばら》くやんねえから、煙草《たばこ》は身體《からだ》の工合《ぐえゝ》惡《わ》りいから斷《た》つたんだから何《なん》だが、酒《さけ》は此《こ》れ錢《ぜね》は稼《かせ》げねえし、ちつとでも飮《の》めば又《また》飮《の》みたくなつから廢《や》めつちやつたな、酒《さけ》もはあ以前《めえかた》た違《ちが》つて一|杯《ぺえ》幾《いく》らつちんだから錢《ぜね》くんのむやうで」彼《かれ》はぶすりとして然《しか》も力《ちから》のない聲《こゑ》を投《な》げ掛《か》けるやうにしていつた。
「さうだこと云《や》あねえで、そら來《き》たつとかう手《てえ》つんだすもんだ、倦怠《まだるつこ》くつて仕《し》やうねえ此等《こツら》がな」先刻《さつき》の爺《ぢい》さんは又《また》一|杯《ぱい》をぐつと干《ほ》して呶鳴《どな》つた。
「さうだよ、飮《の》まつせえよおめえ、めでゝえ酒《さけ》だから、威勢《えせえ》つければおめえ身體《からだ》の工合《ぐえゝ》だつてちつと位《ぐれえ》なら癒《なほ》つちやあよ」婆《ばあ》さん等《ら》は又《また》侑《すゝ》めた。
「此《こ》の人《ひと》も勘次《かんじ》どんにや善《よ》くさんねえごつさら、困《こま》つたもんさな、そんだつておめえさうえもな仕《し》やうねえから、さうえにくよくよしねえ方《はう》がえゝよ」他《た》の婆《ばあ》さんもいつた。
「身體《からだ》の工合《ぐえゝ》惡《わ》りいなんて、さうだ料簡《れうけん》だから卯平等《うへいら》仕《し》やうねえ、此等《こツら》ようまづだなんて、ようまづなんち病氣《びやうき》は腹《はら》の蟲《むし》から出《で》んだから、なあに譯《わき》あねえだよ、蛇《へび》でかう扱《こ》きおろすんだ、えゝか、俺《お》れこすつてやつから、いや本當《ほんたう》だよ俺《お》らがなんざあ」小柄《こがら》な爺《ぢい》さんは非常《ひじやう》な勢《いきほ》ひでいつた。
 首《くび》の珠數《じゆず》は彼《かれ》の聲《こゑ》が喉《のど》を膨脹《ばうちやう》させるので其《その》度《たび》毎《ごと》に少《すこ》しづゝ動《うご》いた。
「俺《お》ら蛇《へび》は嫌《きれ》えだから」卯平《うへい》は苦《くる》し相《さう》にいつた。
「蛇《へび》嫌《きれ》えだと、さうだ大《えけ》え姿《なり》してあばさけたこといふなえ、俺《お》らなんざ蛇《へび》でも毛蟲《けむし》でも可怖《おつかね》えなんちやねえだから、かうえゝか、斯《か》うだぞ」といひながら爺《ぢい》さんは後向《うしろむき》に立《た》つて、十|分《ぶん》に酩酊《よつぱら》つた足《あし》を大股《おほまた》に踏《ふ》んで、肌《はだ》を脱《ぬ》いだ兩方《りやうはう》の手《て》をぎつと握《にぎ》つて、手拭《てぬぐひ》で背中《せなか》を擦《こす》るやうな形《かたち》をして見《み》せた。
「俺《お》らようまづぢや八九|年《ねん》も惱《なや》んだんだが、蛇《へび》でこすればえゝつちから、此《こ》ら甘《うめ》えこと聞《きい》たと思《おも》つてな、大《えけ》え青大將《あをだいしやう》ぶらんと※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の木《き》からぶらさがつたから竹竿《たけざを》で掻《か》き落《おと》すべと思《おも》つたら、俺《お》ら家《ぢ》の婆奴等《ばゝめら》構《かま》あななんて云《ゆ》つけが、えゝから汝等《わツら》默《だま》つて見《み》てろ、なんてそれから俺《おれ》ぐうつと頭《あたま》ふん掴《づか》めえて、斯《か》う俺《お》れ背中《せなか》こすつたな、大《えけ》え青大將《あをだいしやう》だから畜生《ちきしやう》縮《ちゞま》つて屈曲《えんぢぐんぢ》した時《とき》や引《ひ》つ掛《かゝ》つて仲々《なかなか》動《いご》かねえだ、それからうゝんと引《ひ》き伸《のば》しちやこすつたな、さうしたら斯《か》う塊《かたまり》ごりつ/\とこけんの知《し》れたつけな、さうしたらなあにけろりよ」
 彼《かれ》は一|同《どう》へ向《む》けた背中《せなか》へ手《て》を廻《まは》して
「此處《こゝ》らんとこに塊《かたまり》有《あつ》たのがだが、それつきり何處《どこ》さか行《い》つちやつたな、それから俺《お》れはあ、ようまづなんざ譯《わき》あねえつちつてんだ」彼《かれ》の手先《てさき》が脊椎《せきずゐ》に近《ちか》く觸《ふ》れた。
「おゝえやまあ、大《えけ》え灸《きう》の痕《あと》ぢやねえけえ」と一人《ひとり》の婆《ばあ》さんが驚《おどろ》いていつた。
「俺《お》らがな此《こ》んで三百|挺《ちやう》一|遍《ぺん》に火《ひい》點《つ》けたんだから、俺《お》らがむしやらなこと大好《だえすき》のがんだから、いや本當《ほんたう》だよ、俺《お》ら恁《こ》んで腹疫病《はらやくびやう》くつゝいた時《とき》だつて到頭《たうとう》寢《ね》ねえつちやつたかんな、今《いま》ぢや教《をさ》つてつから餓鬼奴等《がきめら》まで赤《せき》れえ病《びやう》だなんて知《し》つてんが、俺《お》ら壯《さかり》の頃《ころ》あ何《なん》でも疫病《やくびやう》と覺《おべ》えてたのがんだから、なあ卯平《うへい》、此《こ》ツ等《ら》もそん時《とき》やつたから知《し》つてらな、俺《お》ら一日《いちんち》に十六|度《ど》手水場《てうづば》へ行《い》つたの一|等《とう》だつけが、なあに病氣《びやうき》なんぞにや負《ま》けらツるもんかつちんだから、其《そ》ん時《とき》にや村落中《むらぢう》かたではあ、みんなごろ/\してんで俺《お》ればかり藥箱《くすりばこ》持《も》つて醫者《いしや》の送迎《おくりむけ》えしたな、隣近所《となりきんじよ》一軒毎《えつけんごめら》役《やく》にや立《た》たねえだから、いや本當《ほんたう》だよ、俺《お》ら十五|日《んち》下痢《くだ》つて癒《なほ》つたが俺《お》ら強《つよ》かつたかんな、いや強《つえ》えとも全《まつた》く、なあにツちんで俺《お》れ毎日《まいんち》酒《さけ》ぴん飮《の》んだな、酒《さけ》飮《の》んぢや惡《わり》いなんて醫者《いしや》なんちや駄目《だめ》だなかたで、檳榔樹《びんらうじゆ》とか何《なん》とかだなんてちつとばかしづゝ、削《けづ》つた藥《くすり》なんぞ倦怠《まだるつこ》くつて仕《し》やうねえから、當藥《たうやく》煎《せん》じ出《だ》して氣日《まいんち》俺《お》れ片口《かたくち》で五|杯《へえ》づゝも飮《の》んだな、五|合《がふ》位《ぐれえ》へえつけべが、俺《お》ら呼吸《えき》つかずだ、なあに呼吸《えき》ついちや苦《にが》くつて仕《し》やうねえだよ」と彼《かれ》は穢《きたな》い手拭《てぬぐひ》で顏《かほ》の汗《あせ》を一|度《ど》ふいた。彼《かれ》は七十を越《こ》えても髮《かみ》はまだ幾《いく》らも白《しろ》くなかつた。彼《かれ》は石《いし》の塊《かたまり》を投《な》げ出《だ》したやうな堅《かた》い身體《からだ》に力《ちから》を入《い》れて獨《ひと》り威勢《ゐぜい》づいた。
「俺《お》らそれから五|百匁《ひやくめ》位《ぐれえ》な軍鷄雜種《しやもおとし》一|羽《ぱ》引《ひ》つ縊《くゝ》つて一|遍《ぺん》に食《く》つちまつたな、さうしたら熱《ねつ》出《で》た」彼《かれ》は俄《にはか》に聲《こゑ》を低《ひく》くしたが、更《さら》に以前《いぜん》に還《かへ》つて
「熱《ねつ》は出《で》たがそれで俺《お》れぐつと身體《からだ》にや力《ちから》つけつちやつたな、其《そ》の所爲《せゐ》だな十五|日《んち》で癒《なほ》つたな、そんだから俺《お》ら直《す》ぐに麥《むぎ》の八|斗《と》はずん/\搗《つ》けたな、俺《お》らこんで體格《なり》はちつちえが強《つを》かつたな、俺《お》らがな無垢《むく》に強《つえ》えのがだから、いや本
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