平《うへい》はそれと共《とも》に其《そ》の乾燥《かんさう》した肌膚《はだ》が餘計《よけい》に荒《あ》れて寒冷《かんれい》の氣《き》が骨《ほね》に徹《てつ》したかと思《おも》ふと俄《にはか》に手《て》の自由《じいう》を失《うしな》つて來《き》たやうに自覺《じかく》した。彼《かれ》は繩《なは》を綯《な》ふにも草鞋《わらぢ》を作《つく》るにも、其《それ》が或《ある》凝塊《しこり》が凡《すべ》ての筋肉《きんにく》の作用《さよう》を阻害《そがい》して居《ゐ》るやうで各部《かくぶ》に疼痛《とうつう》をさへ感《かん》ずるのであつた。器用《きよう》な彼《かれ》の手先《てさき》が彼自身《かれじしん》の物《もの》ではなくなつた。彼《かれ》は與吉《よきち》が狹《せま》い戸口《とぐち》に立《た》つ毎《ごと》に心《こゝろ》から迎《むか》へる以前《いぜん》の卯平《うへい》ではなくなつて居《ゐ》た。それでも彼《かれ》は與吉《よきち》を愛《あい》して居《ゐ》た。
「明日《あした》にしろ」と彼《かれ》は簡單《かんたん》に拒絶《きよぜつ》してさうしてそれつきりいはないことが有《あ》るやうになつた。與吉《よきち》は屡《しば/\》さういはれて悄然《せうぜん》として居《ゐ》るのを、卯平《うへい》は凝視《みつ》めて餘計《よけい》に目《め》を蹙《しか》めつゝあるのであつた。さういふことが幾度《いくたび》か幾日《いくにち》か反覆《くりかへ》された後《のち》卯平《うへい》は與吉《よきち》へ一|錢《せん》の銅貨《どうくわ》を與《あた》へた。從來《これまで》に倍《ばい》して居《ゐ》るのと殆《ほとん》ど復《また》拒絶《きよぜつ》されるのではないかといふ懸念《けねん》を懷《いだ》きつゝある與吉《よきち》は何時《いつ》でも其《それ》に非常《ひじやう》な滿足《まんぞく》を表《あら》はした。其《その》容子《ようす》を見《み》る卯平《うへい》は勢《いきほ》ひ心《こゝろ》が動《うご》かされた。
 自分《じぶん》の老衰者《らうすゐしや》であることを知《し》つた時《とき》諦《あきら》めのない凡《すべ》ては、動《と》もすれば互《たがひ》に餘命《よめい》の幾何《いくばく》もない果敢《はか》なさを語《かた》り合《あ》うて、それが戲談《じようだん》いうて笑語《さゞめ》く時《とき》にさへ絶《た》えず反覆《くりかへ》されて、各自《かくじ》が痛切《つうせつ》に感《かん》ずる程度《ていど》の相違《さうゐ》はあるにしても、死《し》の問題《もんだい》に苦《くる》しめられて居《ゐ》るのは事實《じじつ》である。卯平《うへい》の心《こゝろ》にも同《おな》じく死《し》の觀念《くわんねん》が止《や》まず往來《わうらい》した。
 彼《かれ》は其《その》手先《てさき》の自由《じいう》を失《うしな》うた時《とき》自棄《やけ》の心《こゝろ》から彼《かれ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を解《と》いた。野田《のだ》に居《ゐ》た頃《ころ》主人《しゆじん》や又《また》は主人《しゆじん》の用《よう》での出先《でさき》から貰《もら》つた幾筋《いくすぢ》の手拭《てぬぐひ》を繼《つ》ぎ合《あは》せて拵《こしら》へた浴衣《ゆかた》を出《だ》した。清潔好《きれいずき》な彼《かれ》には派手《はで》な手拭《てぬぐひ》の模樣《もやう》が當時《たうじ》矜《ほこり》の一《ひと》つであつた。彼《かれ》はもう自分《じぶん》の心《こゝろ》を苛《いぢ》めてやるやうな心持《こゝろもち》で目欲《めぼ》しい物《もの》を漸次《だん/\》に質入《しちいれ》した。彼《かれ》は眼前《がんぜん》に氷《こほり》が閉《と》ぢては毎日《まいにち》暖《あたゝか》い日《ひ》の光《ひかり》に溶解《ようかい》されるのを見《み》て居《ゐ》た。彼《かれ》にはそれが只《たゞ》さういふ現象《げんしやう》としてのみ眼《め》に映《うつ》つた。彼《かれ》は自由《じいう》を失《うしな》うた其《その》手先《てさき》が暖《あたゝか》い春《はる》の日《ひ》が積《つも》つて漸次《だん/\》に和《やは》らげられるであらうといふ微《かす》かな希望《のぞみ》をさへ起《おこ》さぬ程《ほど》身《み》も心《こゝろ》も僻《ひが》んでさうして苦《くる》しんだ。彼《かれ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》から獲《え》つゝあつた金錢《きんせん》は些少《すこし》のものであつたが、それは時《とき》として彼《かれ》の硬《こは》ばつた舌《した》に適《てき》した食料《しよくれう》の或《ある》物《もの》を求《もと》める外《ほか》に一|部分《ぶぶん》は與吉《よきち》の小《ちひ》さな手《て》に落《おと》されるのであつた。果敢《はか》ない煙草入《たばこいれ》の叺《かます》の中《なか》を懸念《けねん》するやうに彼《かれ》は數次《しばしば》覗《のぞ》いた。陰鬱《いんうつ》な狹《せま》い小屋《こや》の中《なか》で覗《のぞ》く叺《かます》の底《そこ》は闇《くら》かつた。僅《わづ》かに交《まじ》つた小《ちひ》さな白《しろ》い銀貨《ぎんくわ》が見《み》る度《たび》に彼《かれ》の心《こゝろ》に幾《いく》らかの光《ひかり》を與《あた》へた。彼《かれ》が什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》に惜《をし》んでも叺《かます》の中《なか》の減《へ》つて行《ゆ》くのを防《ふせ》ぐことは出來《でき》ない。然《しか》も寡言《むくち》な彼《かれ》は徒《いたづ》らに自分《じぶん》獨《ひとり》が噛《か》みしめて、絶《た》えず只《たゞ》憔悴《せうすゐ》しつゝ沈鬱《ちんうつ》の状態《じやうたい》を持續《ぢぞく》した。彼《かれ》は其《その》状態《じやうたい》を保《たも》つて念佛寮《ねんぶつれう》の圍爐裏《ゐろり》にどつかと懶《ものう》い身體《からだ》を据《す》ゑて居《ゐ》た。
 庭《には》の騷《さわ》ぎは止《や》んで疾風《しつぷう》の襲《おそ》うた如《ごと》く寮《れう》の内《うち》は復《また》雜然《ざつぜん》として卯平《うへい》を圍《かこ》んだ沈鬱《ちんうつ》な空氣《くうき》を攪亂《かくらん》した。軈《やが》て老人等《としよりら》が互《たがひ》の懷錢《ふところせん》を出《だ》し合《あ》うた二|升樽《しやうだる》が運《はこ》ばれて酒《さけ》が又《また》沸《わか》された。酒《さけ》の座《ざ》は圍爐裏《ゐろり》に近《ちか》く形《かたちづく》られた。其《そ》の時《とき》まだ與吉《よきち》は去《さ》らなかつた。卯平《うへい》は默《だま》つて五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を投《な》げた。側《そば》に居《ゐ》た一人《ひとり》の老人《としより》がそれを拾《ひろ》はうとして見《み》せると與吉《よきち》は兩方《りやうはう》の手《て》を掛《かけ》てそれから身《み》を以《もつ》て俺《おほ》うた。彼《かれ》はそれを堅《かた》く掴《つか》んで
「爺《ぢい》、いま一《ひと》つくんねえか」と更《さら》に強請《せが》んだ。彼《かれ》は五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を大事《だいじ》にした。然《しか》し彼《かれ》は暫《しばら》く一|錢《せん》の銅貨《どうくわ》に訓《な》れて居《ゐ》たので心《こゝろ》に僅《わづか》な不足《ふそく》を感《かん》じたのであつた。卯平《うへい》は口《くち》を緘《つぐ》んで居《ゐ》る。
「汝《わ》りや、さうだこと云《い》ふんぢやねえ、先刻《さつき》あゝだに何《なにつ》か貰《もら》つて要《い》るもんか、まつと欲《ほ》しいなんちへば俺《お》れ腹《はら》掻裂《かつツ》えて小豆飯《あづきめし》掻出《かんだ》してやつから、汝《わ》りや口《くち》ばかし動《いご》かしてつから見《み》ろうそれ、鴉《からす》に灸《きう》据《す》ゑらツてら」と先刻《さつき》の首《くび》へ數珠《ずゝ》を卷《ま》いた爺《ぢい》さんががみ/\といつた。與吉《よきち》は羞《はにか》んだやうにして五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》で脣《くちびる》をこすりながら立《た》つて居《ゐ》た。彼《かれ》の口《くち》の兩端《りやうはし》には鴉《からす》の灸《きう》といはれて居《ゐ》る瘡《かさ》が出來《でき》て泥《どろ》でもくつゝけたやうになつて居《ゐ》た。
「汝《わ》りや錢《ぜね》欲《ほ》しけりやおとつゝあに貰《もら》へ」爺《ぢい》さんは又《また》呶鳴《どな》つた。
「そんだつて駄目《だめ》だあ、おとつゝあ等《ら》呉《く》れやしめえし」與吉《よきち》は漸《やつ》といつた。
「おとつゝあ聾《つんぼ》だから聞《きけ》えねんだ、おとつゝあ呉《く》ろうつと俺《お》れ見《み》てえに呶鳴《どな》つて見《み》ろ、そんでなけれ耳《みゝ》引張《ひツぱつ》てやれ」
「そんだつて厭《や》だあ俺《お》ら、おとつゝあに打《ぶ》つ飛《と》ばされつから」
「えゝから行《え》けはあ、汝等《わつら》見《み》てえな餓鬼奴等《がきめら》ごや/\來《き》ちや五月蠅《うるさ》くつて仕《し》やうねえから」與吉《よきち》は悄々《しを/\》と立《た》つた。
「さうら」と卯平《うへい》は後《あと》から五|厘《りん》の銅貨《どうくわ》を庭《には》へ投《な》げてやつた。
 さうして居《ゐ》る間《ま》に二|度目《どめ》の酒《さけ》に與《あづか》らぬ婆《ばあ》さん等《ら》は表《おもて》の雨戸《あまど》を更《さら》に二三|枚《まい》引《ひい》て餘計《よけい》に薄闇《うすぐら》く成《な》つた佛壇《ぶつだん》の前《まへ》に凝集《こゞ》つた。何時《いつ》の間《ま》にか念佛衆《ねんぶつしゆう》以外《いぐわい》の村落《むら》の女房《にようばう》も加《くは》はつて十|人《にん》ばかりに成《な》つた。彼等《かれら》は外《そと》からの人目《ひとめ》を雨戸《あまど》に避《さ》けて其《そ》の唯一《ゆゐいつ》の娯樂《ごらく》とされてある寶引《はうびき》をしようといふのであつた。疊《たゝみ》には八|本《ほん》の紺《こん》の寶引絲《はうびきいと》がざらりと投《な》げ出《だ》された。彼等《かれら》はそれを絲《いと》と喚《よ》んで居《ゐ》るけれども、機《はた》を織《お》つて切《き》り放《はな》した最後《さいご》の絲《いと》の端《はし》を繩《なは》のやうに綯《な》つた綱《つな》である。婆《ばあ》さん等《ら》は圓《まる》い座《ざ》を作《つく》つて銘々《めい/\》の前《まへ》へ二|錢《せん》づつの錢《ぜに》を置《お》いた。親《おや》に成《な》つた一人《ひとり》が八|本《ほん》の綱《つな》の本《もと》を掴《つか》んで一|度《ど》ぎつと指《ゆび》へ絡《から》んでばらりと投《な》げ出《だ》すと、悉皆《みんな》が一《ひと》つづゝ掴《つか》んで此《こ》れも其《そ》の端《はし》を指《ゆび》へぎりつと絡《から》んで一|度《ど》に引《ひ》くと七|本《ほん》の綱《つな》が空《むな》しくすつとこける。只《たゞ》一|本《ぽん》の綱《つな》の臀《しり》には彼等《かれら》のいふ「どツぺ」が附《つ》いて居《ゐ》てそれがどさりと疊《たゝみ》を打《う》つて一人《ひとり》の手《て》もとへ引《ひ》かれる。どつぺは一|厘錢《りんせん》を三|寸《ずん》ばかりの厚《あつ》さに穴《あな》を透《とほ》してぎつと括《くゝ》つた錘《おもり》である。一|厘錢《りんせん》は黄銅《くわうどう》の地色《ぢいろ》がぴか/\と光《ひか》るまで摩擦《まさつ》されてあつた。どつぺを引《ひ》いたのが更《さら》に親《おや》になつて一|度《ど》毎《ごと》にどつぺは解《と》いて他《た》の綱《つな》へつける。さうすると婆《ばあ》さん等《ら》は思案《しあん》しつゝ然《しか》も速《すみや》かに綱《つな》の一《ひと》つを抓《つま》んでは放《はな》したり又《また》抓《つま》んだり極《きは》めて忙《いそが》しげに其《そ》の手《て》を動《うご》かす。彼等《かれら》は丁度《ちやうど》※[#「鬥<亀」、第3水準1−94−30]《くじ》を引《ひ》くやうに屹度《きつと》一《ひと》つは當《あた》る筈《はず》のどつぺを悉皆《みんな》が心《こゝろ》あてに掴《つか》んで引《ひ》くのである。一|度《ど》毎《ご
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