の隙間《すきま》に小《ちひ》さな麥畑《むぎばたけ》があつた。麥畑《むぎばたけ》の畝《うね》は大抵《たいてい》東西《とうざい》に形《かたち》づけられてあつた。遠《とほ》くから南《みなみ》へ廻《まは》らうとして居《ゐ》る日《ひ》は思《おも》ひの外《ほか》に暖《あたゝ》かい光《ひかり》で一|帶《たい》に霜《しも》を溶《と》かしたので、何處《どこ》でも水《みづ》を打《う》つたやうな濕《うるほ》ひを持《も》つて居《ゐ》た。然《しか》し薄《うす》い日《ひ》の光《ひかり》は畑《はたけ》の畝《うね》が形《かたち》づくつて居《ゐ》る長《なが》い小山《こやま》の頂點《ちやうてん》を越《こ》えて幾《いく》らも其《そ》の力《ちから》を及《およ》ぼさなかつた。どの畝《うね》でも其《その》陰《かげ》は依然《いぜん》として白《しろ》かつた。卯平《うへい》は田圃《たんぼ》に從《つ》いて北側《きたがは》の道《みち》を歩《ある》いたので彼《かれ》の目《め》には悉《こと/″\》く夜明《よあけ》の如《ごと》き白《しろ》い冷《つめ》たい霜《しも》を以《もつ》て掩《おほ》はれて居《ゐ》る畑《はたけ》のみが映《うつ》つた。
 午後《ごご》から村落《むら》のどの家《いへ》からも風呂敷包《ふろしきづゝみ》の飯《めし》つぎや重箱《ぢゆうばこ》が寮《れう》へ運《はこ》ばれた。老人等《としよりら》は皆《みな》夫《それ》を埃《ほこり》だらけな佛壇《ぶつだん》の前《まへ》に供《そな》へた。穢《きたな》い風呂敷包《ふろしきづゝみ》が小山《こやま》の如《ごと》く積《つ》まれた時《とき》念佛《ねんぶつ》の太鼓《たいこ》が復《また》鳴《な》つた。それから庭《には》に聚《あつま》つた子供等《こどもら》の前《まへ》に其《そ》の飯《めし》つぎや重箱《ぢゆうばこ》の供物《くもつ》が分與《ぶんよ》された。念佛衆《ねんぶつしゆう》はそれから更《さら》に酒《さけ》を飮《の》んで各自《てんで》に重箱《ぢゆうばこ》や飯《めし》つぎを箸《はし》でつゝいて近頃《ちかごろ》にない口腹《こうふく》の慾《よく》を充《み》たしめた。獨《ひとり》卯平《うへい》は杯《さかづき》を手《て》にしなかつた。彼《かれ》は他《た》の老人《としより》に先立《さきだ》つて自分《じぶん》の家《うち》の重箱《ぢゆうばこ》を持《も》つてぽさ/\と歸《かへ》つた。大抵《たいてい》の家《うち》では米《こめ》の菱餅《ひしもち》を出《だ》すのが常例《じやうれい》であるが勘次《かんじ》にはさういふ暇《ひま》がないのでおつぎは僅《わづか》に小豆飯《あづきめし》を炊《たい》て重箱《ぢゆうばこ》を持《もつ》て行《い》つたのであつた。凡《すべ》ての老人《としより》が殆《ほとん》ど狂《きやう》するばかりに騷《さわ》ぐ二日《ふつか》の其《その》一|日《にち》が卯平《うへい》には不快《ふくわい》でさうして無意味《むいみ》に費《つひや》された。彼《かれ》は夜《よ》になつてから
「爺《ぢい》、今朝《けさ》のお飯《まんま》冷《つめ》たく成《な》つたつけべ俺《お》ら忘《わす》れて喚《よ》ばりに行《え》つたのがよ、さうしたら爺《ぢい》は疾《とつく》に居《え》ねえのがんだもの、そんでも先刻《さつき》はがや/\一|杯《ぺえ》居《え》るやうだつけがあつちぢや甘《うめ》え物《もの》あつて爺等《ぢいら》とつ返《けえ》しとつたんべなあ」とおつぎが少《すこ》し甘《あま》えたやうにいつたことを彼《かれ》は有繋《さすが》に憎《にく》いと思《おも》つては聞《き》かなかつた。

         二三

 念佛《ねんぶつ》は次《つぎ》の日《ひ》も同一《どういつ》に反覆《はんぷく》された。午後《ごご》になつて村落《むら》のどの家《いへ》からも復《ま》た風呂敷包《ふろしきづゝみ》が運《はこ》ばれた。子供等《こどもら》は學校《がくかう》から歸《かへ》つて風呂數包《ふろしきづゝみ》を脊負《しよ》つたのも、乳呑兒《ちのみご》を帶《おび》で括《くゝ》つたのも大抵《たいてい》は寮《れう》の庭《には》へ集《あつま》つた。
「さあそんぢや又《また》、みんな上《あが》れ」と婆《ばあ》さん等《ら》がいふと閾際《しきゐぎは》に迫《せま》つて待《ま》つて居《ゐ》た子供等《こどもら》は爭《あらそ》うて席《せき》をとつた。彼等《かれら》は今日《けふ》も狹《せま》い寮《れう》の内側《うちがは》にぎつしりと膝《ひざ》を窄《すぼ》めて坐《すわ》つた。四五|人《にん》の婆《ばあ》さん等《ら》は佛壇《ぶつだん》の前《まへ》に積《つ》まれてあつた風呂敷包《ふろしきづゝみ》を解《と》きながらひそ/″\と耳語《さゝや》いた。
「此《こ》りや何《なん》だと思《おも》つたら、鮨《すし》だよ」と一人《ひとり》の婆《ばあ》さんがいへば
「そんぢや、そつちへ別《べつ》にして置《お》けよおめえ」
「そんぢやこつちのがも別《べつ》にして置《お》くべよ、なあ」婆《ばあ》さん等《ら》は頗《すこぶ》る慌《あわ》てたやうに手《て》もと忙《せは》しく三つ四つの風呂敷包《ふろしきづゝみ》をそつと佛壇《ぶつだん》へ隱《かく》した。さうして居《ゐ》る内《うち》に他《ほか》の婆《ばあ》さん等《ら》は
「みんな、おとなしく仕《し》なくつちや、呉《く》んねえぞ」
「さうだに洟《はな》垂《た》らしてるものげはやんねえことにすべえ」口々《くち/″\》に揶揄《からか》つた。子供等《こどもら》は一|齊《せい》に洟《はな》を啜《すゝ》つてさうして衣物《きもの》で横《よこ》に拭《ぬぐ》つた。白《しろ》い紙《かみ》が一|枚《まい》づつ子供等《こどもら》の前《まへ》に擴《ひろ》げられた。
「子奴等《こめら》こと云《ゆ》つて、手洟《てばな》なんぞかんだ手《て》ぢや引《ひ》かねえで呉《く》ろえ、おめえ等《ら》も勿體《もつてえ》ねえから」婆《ばあ》さん等《ら》が飯《めし》つぎを左《ひだり》の手《て》に抱《かゝ》へて立《た》つた時《とき》、かう圍爐裏《ゐろり》の側《そば》から呶鳴《どな》つた。彼《かれ》は小柄《こがら》な爺《ぢい》さんで一寸《ちよつと》婆《ばあ》さん等《ら》を顧《かへり》みて微笑《びせう》しながらいつたのである。彼《かれ》は喉《のど》へ二|重《ぢゆう》にした珠數《じゆず》を卷《ま》いて居《ゐ》た。彼《かれ》の聲《こゑ》は恐《おそ》ろしく大《おほ》きかつた。婆《ばあ》さん等《ら》は
「はい/\、そんぢや手《て》でも洗《あら》ひますべよ」といつたり
「俺《お》らおめえ、手洟《てばな》はかまねえよ」といつたりがら/\と騷《さわ》ぎながら、笑《わら》ひ私語《さゝや》きつゝ、濡《ぬ》れた手《て》を前掛《まへかけ》で拭《ふ》いて再《ふたゝ》び飯《めし》つぎを抱《かゝ》へた。婆《ばあ》さん等《ら》は箸《はし》の先《さき》で少《すこ》しづつ、飯《めし》つぎの物《もの》を突《つ》つ掛《か》けて其《そ》の擴《ひろ》げられた紙《かみ》へ置《お》きつゝ、端《はし》からぐるりと廻《まは》つて行《ゆ》く。紙《かみ》は子供等《こどもら》の數《かず》の外《ほか》にも敷《し》かれてあつた。それは空虚《から》になつた飯《めし》つぎを返《かへ》す時《とき》に其《そ》の中《なか》へ入《い》れてやる爲《ため》であつた。飯《めし》つぎには大抵《たいてい》菱餅《ひしもち》と小豆飯《あづきめし》とが入《い》れられてあつた。小豆飯《あづきめし》はどれも/\米《こめ》が能《よ》く搗《つ》けてないのでくすんでさうして腹《はら》の裂《さ》けた小豆《あづき》が粉《こ》を吐《は》いて餘計《よけい》に粘氣《ねばりけ》のないぼろ/\な飯《めし》になつて居《ゐ》た。それでも飯《めし》つぎの異《ことな》る毎《ごと》に小豆飯《あづきめし》の赤《あか》さが幾《いく》らかづつ變《かは》つて居《ゐ》た。子供等《こどもら》は變《かは》つた小豆飯《あづきめし》が一箸々々《ひとはし/\》と殖《ふ》えて行《ゆ》くのが嬉《うれ》しくて、外《そと》へ轉《ころ》がつたのは慌《あわ》てゝ手《て》でとつて紙《かみ》へ載《の》せた。小豆飯《あづきめし》は昨日《きのふ》に異《ことな》つたことはなかつたが、菱餅《ひしもち》は昨日《きのふ》のやうに米《こめ》のではなくてどれでも粟《あは》ばかりであつた。子供等《こどもら》は大小《だいせう》異《ことな》つた粟《あは》の菱餅《ひしもち》が一つは一つと紙《かみ》の上《うへ》に分量《ぶんりやう》を増《ま》して積《つ》まれるのを樂《たの》しげにして、自分《じぶん》の紙《かみ》から兩方《りやうはう》の隣《となり》の紙《かみ》から遠《とほ》くの方《はう》から、それから一つ/\に屈《かゞ》んで箸《はし》を動《うご》かして居《ゐ》る婆《ばあ》さん等《ら》の忙《せは》しい手《て》もとに目《め》を奪《と》られるのであつた。婆《ばあ》さん等《ら》はそは/\としつゝ狹《せま》いので互《たがひ》に衝突《つきあた》つては騷《さわ》ぎながら、自分《じぶん》の家《いへ》に居《ゐ》る時《とき》のやうな節制《たしなみ》が少《すこ》しも保《たも》たれて居《ゐ》なかつた。
「さあ、汝《わ》つ等《ら》此《こ》れつきりだ」婆《ばあ》さん等《ら》が空虚《から》になつた最後《さいご》の飯《めし》つぎの底《そこ》を叩《たゝ》いて腰《こし》を伸《の》ばした時《とき》、子供等《こどもら》は危《あぶ》な相《さう》な手《て》で漸《やうや》く紙《かみ》を包《つゝ》んで、がた/\と先《さき》を爭《あらそ》うて立《た》つた。下駄《げた》を遠《とほ》くへ跳《は》ね飛《と》ばされたり、轉《ころが》つたり、紙包《かみづゝみ》の餅《もち》を落《おと》したりして泣《な》く聲《こゑ》が相《あひ》交《まじ》つた。彼等《かれら》は庭《には》へおりてから徐《おもむ》ろに其《そ》の紙《かみ》を開《ひら》いて小豆飯《あづきめし》を手《て》で抓《つま》んで喫《た》べた。紙《かみ》にくつゝいた小豆飯《あづきめし》を彼等《かれら》は齒《は》で噛《かじ》るやうにしてとつた。破《やぶ》れた紙《かみ》を棄《す》てゝ菱餅《ひしもち》を懷《ふところ》へ入《い》れるものもあつた。庭《には》にはそつちにもこつちにも棄《す》てられた紙《かみ》が白《しろ》く亂《みだ》れて散《ち》らばつて居《ゐ》た。
 老人等《としよりら》は圍爐裏《ゐろり》に絶《た》えず薪《たきぎ》を燻《く》べながら酒《さけ》を沸《わか》し始《はじ》めた。村落《むら》のどの家《うち》からか今日《けふ》も念佛衆《ねんぶつしう》へというて供《そな》へられた二|升樽《しようだる》を圍爐裏《ゐろり》の側《そば》へ引《ひ》きつけて、臀《しり》の煤《すゝ》けた土瓶《どびん》へごぼ/\と注《つ》いで自在鍵《じざいかぎ》へ掛《か》けた。外《そと》が餘《あま》りに寒《さむ》いからといふので念佛《ねんぶつ》が濟《す》んでから誰《たれ》かゞ雨戸《あまど》を二三|枚《まい》引《ひ》いたので寮《れう》の内《うち》は薄闇《うすぐら》くなつて居《ゐ》た。佛壇《ぶつだん》の前《まへ》には婆《ばあ》さんが三四|人《にん》でひそ/″\と額《ひたひ》を鳩《あつ》めて居《ゐ》る。
「此《こ》の婆奴等《ばゝあめら》、そつちの方《はう》で偸嘴《ぬすみぐひ》してねえで、佳味《うめ》え物《もの》有《あ》つたら此方《こつち》へ持《も》つて來《こ》う」先刻《さつき》の首《くび》へ珠數《じゆず》を卷《ま》いた小柄《こがら》な爺《ぢい》さんが呶鳴《どな》つた。
「盜《ぬす》んだつち譯《わけ》ぢやねえが、蓋《ふた》とつて見《み》た處《ところ》なんだよ」さういつて婆《ばあ》さん等《ら》は風呂敷《ふろしき》の四隅《よすみ》を掴《つか》んで圍爐裏《ゐろり》の側《そば》へ持《も》つて來《き》た。飯《めし》つぎには干瓢《かんぺう》を帶《おび》にした稻荷鮨《いなりずし》が少《すこ》し白《しろ》い腹《はら》を見《み》せてそつくりと積《つ》まれてあつた。鮨《すし》は少《すこ》し減《へ》つて居《ゐ》た。
「獨《ひとり》でせしめちやえかねえか
前へ 次へ
全96ページ中76ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング