か》に土手《どて》の往來《わうらい》へ出《で》た。霧《きり》が一|遍《ぺん》に晴《は》れた。彼《かれ》は何《なに》かに騙《だま》された後《あと》のやうに空洞《からり》とした周圍《しうゐ》をぐるりと見廻《みまは》さない譯《わけ》にはいかなかつた。彼《かれ》は沿岸《えんがん》の洪水後《こうずゐじ》の變化《へんくわ》に驚愕《おどろき》の目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。偶然《ひよつと》彼《かれ》は俄《にはか》に透明《とうめい》に成《な》つた空氣《くうき》の中《なか》から驅《かけ》つて來《き》て網膜《まうまく》の底《そこ》にひつゝいたものゝやうにぽつちりと一つ目《め》についたものがある。それは遠《とほ》い上流《じやうりう》に繋《かゝ》つて居《ゐ》る小《ちひ》さな船《ふね》であつた。
其處《そこ》には數本《すうほん》の竹竿《たけざを》が立《た》てられてあるのも同時《どうじ》に彼《かれ》の目《め》に入《い》つた。彼《かれ》は直《す》ぐにそれが鮭捕船《さけとりぶね》であることを知《し》つた。漁夫《ぎよふ》は鮭《さけ》が深夜《しんや》に網《あみ》に懸《かゝ》るのを待《ま》ちつゝ、假令《たとひ》連夜《れんや》に渡《わた》つてそれが空《むな》しからうともぽつちりとさへ眠《ねむ》ることなく、又《また》獲物《えもの》が鋭《するど》く水《みづ》を切《き》つて進《すゝ》んで來《く》るのを彼等《かれら》の敏捷《びんせふ》な目《め》が闇夜《あんや》にも必《かなら》ず逸《いつ》することなく、接近《せつきん》した一|刹那《せつな》彼等《かれら》は水中《すゐちう》に躍《をど》つて機敏《きびん》に網《あみ》を以《もつ》て獲物《えもの》を卷《ま》くのである。彼等《かれら》は夜《よ》が明《あ》けると銀《ぎん》の如《ごと》く光《ひか》つて居《ゐ》る獲物《えもの》が一|尾《ぴ》でも船《ふね》に在《あ》ればそれを青竹《あをだけ》の葉《は》に包《つゝ》んで威勢《ゐせい》よく擔《かつ》いで出《で》る。さもなければ怜悧《りこう》な鮭《さけ》が澱《よど》みに隱《かく》れて動《うご》かぬ白晝《ひる》の間《あひだ》のみぐつたりと疲《つか》れた身體《からだ》に僅《わづか》に一|睡《すい》を偸《ぬす》むに過《す》ぎないので、朝《あさ》の明《あか》るく白《しろ》い水《みづ》にさへ凝然《ぢつ》と其《そ》の目《め》を放《はな》たないのである。孰《いづ》れにしても小《ちひ》さな船《ふね》は今《いま》冷《つめ》たい朝《あさ》の靜《しづ》けさを保《たもつ》て居《ゐ》るのである。只《たゞ》遙《はるか》に隔《へだ》つた村落《むら》の木立《こだち》の梢《こずゑ》から騰《のぼ》る炊煙《すゐえん》が冴《さ》えた冷《つめ》たい空《そら》に吸《す》ひこまれて居《ゐ》るのみで、其《そ》の小《ちひ》さな船《ふね》が中心點《ちうしんてん》をなして勘次《かんじ》の目《め》には一つも動《うご》く物《もの》を見《み》なかつた。彼《かれ》は暫《しばら》く又《また》凝然《ぢつ》として上流《じやうりう》の小船《こぶね》を見《み》て居《ゐ》た。彼《かれ》は氣《き》がついた時《とき》土手《どて》を一|散《さん》に北《きた》へ急《いそ》いだ。土手《どて》は軈《やが》て水田《すゐでん》に添《そ》うてうね/\と遠《とほ》く走《はし》つて居《ゐ》る。土手《どて》の道幅《みちはゞ》が狹《せま》くなつた。それは刈《か》られてぐつしやりと濕《しめ》つて居《ゐ》る稻《いね》が土手《どて》の芝《しば》の上《うへ》一|杯《ぱい》に干《ほ》されてあつたからである。稻《いね》はぼつ/\と簇《むらが》つて居《ゐ》る野茨《のばら》の株《かぶ》を除《のぞ》いて悉《こと/″\》く擴《ひろ》げられてある。野茨《のばら》の葉《は》はもう落《お》ちて畢《しま》つて、小《ちひ》さな枝《えだ》の先《さき》には赤《あか》いつやゝかな實《み》が一つづゝ翳《かざ》されて居《ゐ》る。草刈《くさかり》の鎌《かま》を遁《のが》れて確乎《しつか》と其《その》株《かぶ》の根《ね》に縋《すが》つた嫁菜《よめな》の花《はな》が刺立《とげだ》つた枝《えだ》に倚《よ》り掛《かゝ》りながらしつとりと朝《あさ》の濕《うるほ》ひを帶《おび》て居《ゐ》る。濡《ぬ》れた稻《いね》の臭《にほひ》が勘次《かんじ》の鼻《はな》を衝《つ》いた。螽《いなご》がぱら/\と足《あし》の響《ひゞき》に連《つ》れて稻《いね》を渉《わた》つて遁《にげ》た。彼《かれ》は其《その》干《ほ》された稻《いね》の穗先《ほさき》を攫《つか》んで籾《もみ》の幾粒《いくつぶ》かを手《て》に扱《しご》いて見《み》た。彼《かれ》は更《さら》に其《その》籾粒《もみつぶ》を齒《は》で噛《か》んで見《み》た。彼《かれ》は夫《それ》から又《また》一|散《さん》に走《はし》つた。彼《かれ》は少《すこ》しの間《ま》に酷《ひど》く暇《ひま》どつたやうに感《かん》じた。足《あし》には脚絆《きやはん》と草鞋《わらぢ》とを穿《はい》て背《せ》には蓙《ござ》を負《お》うて居《ゐ》る。蓙《ござ》は終《た》えず彼《かれ》の背後《はいご》にがさ/\と鳴《な》つて其《そ》の耳《みゝ》を騷《さわ》がした。彼《かれ》は遂《つひ》に土手《どて》から折《を》れて東《ひがし》へ/\と走《はし》つた。
村落《むら》がぽつり/\と木立《こだち》を形《かたど》つて居《ゐ》る外《ほか》には一|帶《たい》に只《たゞ》連續《れんぞく》して居《ゐ》る水田《すゐでん》を貫《つらぬ》いて道《みち》は遙《はるか》に遠《とほ》く、ひつゝいたやうな臺地《だいち》の林《はやし》を望《のぞ》んで一|直線《ちよくせん》である。彼《かれ》は嘗《かつ》て其處《そこ》を歩《ある》いたことはあつた。然《しか》し彼《かれ》の知《し》つてるのは幾屈曲《いくくつきよく》をなして居《ゐ》た當時《たうじ》である。彼《かれ》は何時《いつ》の間《ま》にか極端《きよくたん》に人工的《じんこうてき》の整理《せいり》を施《ほどこ》された耕地《かうち》に驚愕《おどろき》の目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。彼《かれ》は溝渠《こうきよ》の井然《せいぜん》として居《ゐ》るのに見惚《みと》れて畢《しま》つた。
日《ひ》は漸《やうや》く朝《あさ》を離《はな》れて空《そら》に居据《ゐすわ》つた。凡《すべ》ての物《もの》が明《あか》るい光《ひかり》を添《そ》へた。然《しか》しながら周圍《しうゐ》の何處《いづこ》にも活々《いき/\》した緑《みどり》は絶《た》えて目《め》に映《うつ》らなかつた。まだ幾《いく》らも刈《か》られてない田《た》は、黄褐色《くわうかつしよく》の明《あか》るい光《ひかり》を反射《はんしや》して、處々《しよ/\》の畑《はたけ》に仕《あ》る桑《くは》も、霜《しも》に逢《あ》ふまではと梢《こずゑ》の小《ちひ》さな軟《やはら》かな葉《は》の四五|枚《まい》が潤《うるほ》ひを有《も》つて居《ゐ》るのみである。ぽつ/\と簇《むらが》つた村落《むら》の木立《こだち》の孰《いづ》れも悉《こと/″\》く赭《あか》いくすんだ葉《は》を以《もつ》て掩《おほ》はれて居《ゐ》る。さうして低《ひく》く相《あひ》接《せつ》して居《ゐ》る木立《こだち》との間《あひだ》に截然《くつきり》と強《つよ》い線《せん》を描《ゑが》いて空《そら》は憎《にく》い程《ほど》冴《さえ》て居《ゐ》る。さうだ。凡《すべ》ての植物《しよくぶつ》が有《も》つて居《ゐ》る緑素《りよくそ》は悉皆《みんな》空《そら》が持《も》つて居《ゐ》るのだ。春《はる》になると空《そら》はそれを雨《あめ》に溶解《ようかい》して撒《ま》いてやるのだ。それだから濕《うるほ》うた枝《えだ》はどれでも青《あを》く彩《いろど》られねばならぬ筈《はず》である。それだから幾度《いくたび》百姓《ひやくしやう》の手《て》が耕《たがや》さうとも其《そ》の土《つち》を乾燥《かんさう》して濡《ぬ》らさぬ工夫《くふう》を立《たて》ない限《かぎ》りは、思《おも》はぬ處《ところ》にぽつり/\と草《くさ》の葉《は》が青《あを》く出《で》て、雨《あめ》が降《ふ》れば降《ふ》る程《ほど》何處《どこ》でも一|杯《ぱい》に其《そ》の草《くさ》の葉《は》が濃《こ》く成《な》つて行《ゆ》かねばならぬ筈《はず》である。それを晩秋《ばんしう》の空《そら》が悉皆《みんな》持《も》ち去《さ》るので滅切《めつきり》と冴《さ》える反對《はんたい》に草木《くさき》は凡《すべ》てが乾燥《かんさう》したりくすんだりして畢《しま》ふのに相違《さうゐ》ないのである。
明《あか》るい日《ひ》は全《まつた》く晝《ひる》に成《な》つた。處々《ところ/″\》の島《しま》のやうな畑《はたけ》の縁《へり》から田《た》へ偃《は》ひ掛《かゝ》つて居《ゐ》る料理菊《れうりぎく》の黄《き》な花《はな》が就中《なかでも》一|番《ばん》強《つよ》く日光《につくわう》を反射《はんしや》して近《ちか》いよりは遠《とほ》い程《ほど》快《こゝろ》よく鮮《あざや》かに見《み》えて居《ゐ》る。勘次《かんじ》は始終《しよつちう》手拭《てぬぐひ》を以《もつ》て捲《ま》いた右手《めて》の肘《ひぢ》を抱《かゝ》へるやうにして伏目《ふしめ》に歩《ある》いた。道《みち》に添《そ》うて狹《せま》い堀《ほり》の淺《あさ》い水《みづ》に彼《かれ》の目《め》が放《はな》たれた。がら/\に荒《すさ》んだ狼把草《たうこぎ》やゑぐがぽつ/\と水《みづ》に浸《ひた》つて居《ゐ》る。蒼《あを》い空《そら》は淺《あさ》い水《みづ》の底《そこ》から遙《はる》かに深《ふか》く遠《とほ》く光《ひか》つた。さうして何處《どこ》からか迷《まよ》ひ出《だ》して落付《おちつ》く場所《ばしよ》を見出《みいだ》し兼《か》ねて困《こま》つて居《ゐ》るやうな白《しろ》い雲《くも》が映《うつ》つて、勘次《かんじ》が走《はし》れば走《はし》る程《ほど》先《さき》へ/\と移《うつ》つた。勘次《かんじ》はそれを凝視《みつ》めて行《ゆ》くと何《なん》だか頭腦《あたま》がぐら/\するやうに感《かん》ぜられた。彼《かれ》は昨夜《ゆふべ》は眠《ねむ》らなかつた。彼《かれ》の自分《じぶん》獨《ひとり》で噛《か》み殺《ころ》して居《ゐ》ねばならぬ忌々敷《いま/\し》さが頭腦《あたま》を刺戟《しげき》した。彼《かれ》は只管《ひたすら》肘《ひぢ》の瘡痍《きず》の實際《じつさい》よりも幾倍《いくばい》遙《はるか》に重《おも》く他人《ひと》には見《み》せたい一|種《しゆ》の解《わか》らぬ心持《こゝろもち》を有《も》つて居《ゐ》た。寸暇《すんか》をも惜《をし》んだ彼《かれ》の心《こゝろ》は從來《これまで》になく、自分《じぶん》の損失《そんしつ》を顧《かへり》みる餘裕《よゆう》を有《も》たぬ程《ほど》惑亂《わくらん》し溷濁《こんだく》して居《ゐ》た。白晝《ひる》の日《ひ》は横頬《よこほゝ》に暑《あつ》い程《ほど》に射《さ》し掛《か》けたが周圍《あたり》は依然《やつぱり》冷《つめ》たかつた。堀《ほり》の淺《あさ》い水《みづ》には此《こ》れも冷《つめ》たげに凝然《ぢつ》と身《み》を沈《しづ》めた蛙《かへる》が默《だま》つて彼《かれ》を見《み》て居《ゐ》た。遠《とほ》い田圃《たんぼ》を彼《かれ》は前後《ぜんご》に只《たゞ》一人《ひとり》の行人《かうじん》であつた。遙《はるか》にぽつり/\と見《み》える稻刈《いねかり》の百姓《ひやくしやう》は※[#「煢−冖」、第4水準2−79−80]然《ぽつさり》とした彼《かれ》の目《め》から隱《かく》れようとする樣《やう》に悉皆《みんな》ずつと低《ひく》く身《み》を屈《かゞ》めて居《ゐ》る。明《あか》るい光《ひかり》に滿《み》ちた田圃《たんぼ》を其《そ》の惑亂《わくらん》し溷濁《こんだく》した心《こゝろ》を懷《いだ》いて寂《さび》しく歩數《あゆみ》を積《つ》んで行《ゆ》く彼《かれ》は、玻璃
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