んじ》は漸《やうや》くこれだけいつた。淺猿《さも》しい彼《かれ》はおつたへやつた南瓜《たうなす》を換《か》へて置《お》いたのであつた。
「どうしたつけ、昨日《きのふ》の豆《まめ》はそんでもたんと收穫《と》れた割合《わりえゝ》だつけが」おつたが謎《なぞ》のやうにいつても勘次《かんじ》は更《さら》にはき/\といはなかつた。おつたも不快《ふくわい》な容子《ようす》をしながら南瓜《たうなす》と葱《ねぎ》とを脊負《しよ》つて別《べつ》に口《くち》を利《き》くでもなく、只《たゞ》卯平《うへい》と二言《ふたこと》三言《みこと》いつてもうどうでも好《い》いといふ態度《たいど》で出《で》て行《い》つた。勘次《かんじ》はつく/″\と中間《ちうかん》の痛《いた》く痩《や》せて括《くび》れた俵《たわら》を見《み》た。
財貨《ざいくわ》によつて物質的《ぶつしつてき》の滿足《まんぞく》を自分《じぶん》の暖《あたゝ》かな懷《ふところ》に感《かん》じた時《とき》凡《すべ》ては此《こ》れを失《うしな》ふまいとする恐怖《きようふ》から絶《た》えず其《その》心《こゝろ》を騷《さわ》がせつゝあるやうに、無盡藏《むじんざう》な自然《しぜん》の懷《ふところ》から財貨《ざいくわ》が百姓《ひやくしやう》の手《て》に必《かなら》ず一|度《ど》與《あた》へられる秋《あき》の季節《きせつ》に成《な》れば、其《そ》の財貨《ざいくわ》を保《たも》つた田《た》や畑《はたけ》の穗先《ほさき》が之《これ》を嫉《ねた》む一|部《ぶ》の自然現象《しぜんげんしやう》に對《たい》して常《つね》に戰慄《せんりつ》しつゝ且《かつ》泣《な》いた。二百十|日《か》から廿|日《か》の間《あひだ》に渡《わた》つての暴風《ばうふう》は懸念《けねん》した程《ほど》のことはなく、只《たゞ》秋《あき》の空《そら》は六かし相《さう》に低《ひく》く成《な》つて棒《ぼう》のやうな雲《くも》へ煙《けぶり》の樣《やう》な雲《くも》がぽつり/\と纏《まつは》つて居《ゐ》る日《ひ》が續《つゞ》いて二三|日《にち》晝《ひる》から夜《よる》へ掛《か》けてぼか/\と暖《あたゝ》かい空《から》つ風《かぜ》が思《おも》ひ切《き》り吹《ふ》いた。小松《こまつ》や櫟《くぬぎ》の林《はやし》に交《まじ》つて、之《これ》に觸《ふ》れゝば人《ひと》の肌膚《はだへ》に血《ち》を見《み》せる程《ほど》の硬《こは》い意地《いぢ》の惡《わる》い葉《は》を持《も》つた芒《すゝき》までが、さうしなければ目《め》にも立《た》たないのに態々《わざ/\》と薄赤《うすあか》い軟《やはら》かな穗先《ほさき》を高《たか》くさし扛《あ》げて、他《ひと》一|倍《ばい》に騷《さわ》いだ。暫《しばら》くして秋《あき》は眩《まぶし》い程《ほど》冴《さ》えた空《そら》を見《み》せた。畑《はたけ》には晝《ひる》が餘計《よけい》に明《あか》るい程《ほど》黄褐色《くわうかつしよく》に成熟《せいじゆく》した陸稻《をかぼ》が一|杯《ぱい》に首肯《うなづ》いた。蕎麥《そば》は爽《さわや》かで且《か》つ細《ほそ》く強《つよ》い秋雨《あきさめ》がしと/\と洗《あら》つて秋風《あきかぜ》がそれを乾《かわ》かした。洗《あら》つては乾《かわか》し/\屡《しば/\》それが反覆《はんぷく》されてだん/\に薄青《うすあを》く、さうして闇《やみ》の夜《よ》をさへ明《あかる》くする程《ほど》純白《じゆんぱく》に曝《さら》された。臺地《だいち》の畑《はたけ》は黄白《くわうはく》相《あひ》交《まじ》つて地勢《ちせい》の儘《まゝ》になだらかに起伏《きふく》して鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》に近《ちか》く向方《むかう》へ低《ひく》くこけて居《ゐ》る。さういふ畑《はたけ》の周圍《まはり》に立《たつ》て居《ゐ》る蜀黍《もろこし》は強《つよ》い莖《くき》がすつくりと穗《ほ》を支《さゝへ》て、それが疎《まば》らな垣根《かきね》のやうに連《つらな》つて畑《はたけ》から畑《はたけ》を繼《つな》いでは幾《いく》十|度《ど》の屈折《くつせつ》をなしつゝ段々《だん/\》に短《みぢか》くなつて此《こ》れも鬼怒川《きぬがは》の土手《どて》に近《ちか》く竭《つ》きる。土手《どて》の篠《しの》の高《たか》さに見《み》える蜀黍《もろこし》は南風《なんぷう》を受《う》けて、さし扛《あ》げた手《て》の如《ごと》き形《かたち》をなしては先《さき》から先《さき》へと動《うご》いて、其《そ》の手《て》が溯《さかのぼ》る白帆《しらほ》を靜《しづ》かに上流《じやうりう》へ押《お》し進《すゝ》めて居《ゐ》る。さうしては又《また》其《そ》の疎《まば》らな垣根《かきね》は長《なが》い短《みじか》いによつて遠《とほ》くの林《はやし》の梢《こずゑ》や冴《さ》えた山々《やま/\》の頂《いたゞき》を撫《な》でゝ居《ゐ》る。爽《さわや》かな秋《あき》は斯《か》くしてからりと展開《てんかい》した。
然《しか》し勘次《かんじ》の作《つく》つた陸稻《をかぼ》はかういふ畑《はたけ》ではなく、梢《こずゑ》の荒《すさ》んだ雜木林《ざふきばやし》の間《あひだ》のみであつた。彼《か》の開墾地《かいこんち》へは周圍《しうゐ》に隱《かく》れる場所《ばしよ》が有《あ》る所爲《せゐ》か、村落《むら》の何處《どこ》にも俄《にはか》に其《その》聲《こゑ》を聞《き》かなくなつた雀《すゞめ》が群《ぐん》をなして日毎《ひごと》に襲《おそ》うた。彼《かれ》はそれでも根《こん》よく白《しろ》い瓦斯絲《ガスいと》を縱横《じゆうわう》に畑《はたけ》の上《うへ》に引《ひ》つ張《ぱ》つてひら/\と燭奴《つけぎ》を吊《つ》つて威《おど》して見《み》た。それでも狡獪《かうくわい》な雀《すゞめ》の爲《ため》に籾《もみ》のまだ堅《かた》まらないで甘《あま》い液汁《しる》の如《ごと》き状態《じやうたい》をなして居《ゐ》る内《うち》から小《ちひ》さな嘴《くちばし》で噛《か》んで夥《したゝ》かに籾殼《もみがら》が滾《こぼ》された。彼《かれ》は空《から》つ風《かぜ》が障《さは》つたとは思《おも》つて居《ゐ》ても、長《なが》い幹《から》を刈《か》り倒《たふ》した時《とき》はそれでも熱心《ねつしん》で且《かつ》愉快《ゆくわい》であつたが、然《しか》し乾燥《かんさう》して米《こめ》にした時《とき》には彼《かれ》は夏《なつ》の頃《ころ》の豫想《よさう》と非常《ひじやう》な相違《さうゐ》であることを確《たしか》めて落膽《らくたん》せざるを得《え》なかつた。
彼《かれ》の淺猿《さも》しい心《こゝろ》が僅《わづか》な米《こめ》や麥《むぎ》を※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、308−10]《あね》なるものゝおつたに騙《だま》して取《と》られたかと思《おも》ひ出《だ》しては暫《しばら》くの間《あひだ》忌々敷《いま/\し》さに堪《た》へなかつた。彼《かれ》は勢《いきほ》ひ何《なに》かに當《あた》り散《ち》らさうとするのにおつぎと與吉《よきち》とに對《たい》しては餘《あま》りに深《ふか》い親《した》しみを有《も》つて居《ゐ》た。斯《か》うして彼《かれ》の卯平《うへい》に對《たい》する憎惡《ぞうを》の念《ねん》が彼《かれ》の心《こゝろ》へ錐《きり》を穿《うが》つて更《さら》に釘《くぎ》を以《もつ》て確然《しつか》と打《う》ちつけられたのであつた。
二一
勘次《かんじ》が走《はし》つて鬼怒川《きぬがは》の岸《きし》に立《た》つた時《とき》は霧《きり》が一|杯《ぱい》に降《お》りて、水《みづ》は彼《かれ》の足許《あしもと》から二三|間《げん》先《さき》が見《み》えるのみであつた。岸《きし》には船《ふね》が繋《つな》いでなかつた。彼《かれ》は焦慮《あせ》つて例《いつも》するやうに大聲《おほごゑ》出《だ》して對岸《むかう》へ行《い》つた筈《はず》の船《ふね》を喚《よ》んだ。「おうえ」と應《おう》ずる聲《こゑ》が水《みづ》を渉《わた》つて強《つよ》く然《し》かも近《ちか》く聞《きこ》えた。勘次《かんじ》は其《そ》の聲《こゑ》に壓《あつ》せられて默《だま》つた。直《す》ぐに舳《へさき》が薄《うす》く霧《きり》の中《なか》から見《み》えた。勘次《かんじ》は殆《ほと》んど咽《むせ》ぶやうな霧《きり》に包《つゝ》まれて船《ふね》に立《た》つた。處々《ところ/″\》さら/\と微《かす》かに響《ひゞき》を傳《つた》ひて船《ふね》の底《そこ》が支《さゝ》へられようとする。初秋《しよしう》の洪水《こうずゐ》以來《いらい》河《かは》の中央《ちうあう》には大《おほ》きな洲《す》が堆積《たいせき》されたので、船《ふね》は其《そ》の周圍《しうゐ》を偃《は》うて遠《とほ》く彎曲《わんきよく》を描《ゑが》かねば成《な》らぬ。勘次《かんじ》は目《め》を掩《おほ》はれたやうで心細《こゝろぼそ》い霧《きり》の中《なか》に、其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことで著《いちじる》しく延長《えんちやう》された水路《すゐろ》を辿《たど》つて居《ゐ》ながら、悠然《ゆつくり》として鈍《にぶ》い棹《さを》の立《た》てやうをするのに心《こゝろ》を焦慮《あせ》らせて
「どうしたんべ、入《へえ》つちや越《こ》せめえか」船頭《せんどう》の方《はう》を向《む》いて彼《かれ》はいつた。
「ぶく/\やりたけりや入《へえ》つた方《はう》がえゝや」船頭《せんどう》はそつけなくいつて徐《おもむ》ろに棹《さを》を立《た》てる。船底《ふなぞこ》が觸《さは》つて立《た》つて居《ゐ》る身體《からだ》がぐらりと後《うしろ》へ倒《たふ》れ相《さう》に成《な》つた。勘次《かんじ》は船頭《せんどう》が態《わざ》と自分《じぶん》を突《つ》きのめしたものゝやうに感《かん》じて酷《ひど》く手頼《たより》ない心持《こゝろもち》がした。彼《かれ》は凝然《ぢつ》と屈《かゞ》んで船頭《せんどう》の操《あやつ》る儘《まゝ》に任《まか》せた。中央《ちうあう》の大《おほ》きな洲《す》から續《つゞ》く淺瀬《あさせ》に支《さゝ》へられて船《ふね》は例《いつも》の處《ところ》へは着《つ》けられなく成《な》つて居《ゐ》る。只《たゞ》一人《ひとり》の乘客《じようかく》である勘次《かんじ》は船頭《せんどう》の勝手《かつて》な處《ところ》へおろされたやうに思《おも》つた。河楊《かはやなぎ》が痩《や》せて、赤《あか》い實《み》を隱《かく》した枸杞《くこ》の枝《えだ》がぽつさりと垂《た》れて、大《おほ》きな蓼《たで》の葉《は》が黄色《きいろ》くなつて居《ゐ》る岸《きし》へ船《ふね》はがさりと舳《へさき》を突《つ》つ込《こ》んだのである。それでも其處《そこ》にはもう幾度《いくたび》か船《ふね》がつけられたと見《み》えて足趾《あしあと》らしいのが階段《かいだん》のやうに形《かたち》づけられてある。勘次《かんじ》は河楊《かはやなぎ》の枝《えだ》に手《て》を掛《か》けて他人《ひと》の足趾《あしあと》を踏《ふ》んだ。枝《えだ》や葉《は》がざら/\と彼《かれ》の蓙《ござ》に觸《ふ》れて鳴《な》つた。彼《かれ》は三足目《みあしめ》に岸《きし》に立《た》つた。岸《きし》は畑《はたけ》で、洪水《こうずゐ》が齎《もたら》した灰《はひ》に似《に》てる泥《えごみ》が一|杯《ぱい》に乾《かわ》いて大《おほ》きな龜裂《きれつ》を生《しやう》じて居《ゐ》る。周圍《しうゐ》の蜀黍《もろこし》が穗《ほ》を伐《き》られた儘《まゝ》、少《すこ》し遠《とほ》くはぼんやりとして此《こ》れも霧《きり》の中《なか》に悄然《ぽつさり》と立《た》つて居《ゐ》る。勘次《かんじ》が顧《ふりかへ》つた時《とき》、彼《かれ》を打棄《うつちや》つた船《ふね》は沈《しづ》んだ霧《きり》に隔《へだ》てられて見《み》えなかつた。彼《かれ》は蜀黍《もろこし》の幹《から》に添《そ》うて足趾《あしあと》に從《したが》つて遙《はる
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